19.ハム
丸みを帯びた小さくてピンク色の身体に、つぶらな瞳と上を向いた鼻。短い足でよちよちと歩く姿はおぼつかなく、しっぽはフリフリと彼の上機嫌を伝えてくれる。
「か、かわいい……!」
シェリルはブルーノの家にいたぶたに、そう歓喜の声を上げた。
まだ生まれて間もないのか、小さなぶたは、ぶ、ぶ、ぶ、とこちらに向かって鼻をヒクヒクさせている。
「あああぁぁ! なんでこんなに愛らしいんでしょう! やはり目と鼻の比率に秘密が!? かわいいの黄金比!? それともその短い手足が可愛いんでしょうか! ああぁ、だめです! そんなに見つめないで! 私たちは触れあえないんです! 私だってあなたを抱っこしたいと――」
「良いですよ。触っても」
「本当ですか!?」
ブルーノの許可が出て、シェリルは小ぶたを抱きしめた。
ふわふわの柔肌に頬ずりをすると、心がほっとおちついていく。
そんなシェリルの隣でサシャがブルーノに頭を下げた。
「すみません、うちのシェリル様が」
「良いんですよ。かわいいですよね、ぶた」
「はい! こんなに愛らしい生き物、初めて見ました!」
抱きしめれば抱きしめるほど、その体温に愛おしさが募っていくようだった。まるで人間の赤ちゃんを抱きしめているようなここちだ。あまりにもかわいらしいのでいけないとわかりつつも持って帰りたくなってしまう。
「シェリル様、あまり感情移入すると、食べるときに悲しくなっちゃいますよ」
「食べる!?」
シェリルがひっくり返った声を上げると、サシャがさも当たり前というような顔で首肯した。
「食べるに決まってるじゃないですか。ここでは畜産をしていて、その豚はここで飼われている豚なんですから」
「食べる……」
シェリル、信じられない面持ちで腕の中にいる小ぶたを見る。
小ぶたはなにも知らないつぶらな瞳をシェリルに向けていた。
「ぶ?」
「サシャ、どうしましょう。私もう二度と豚肉を食べられないかもしれないわ!」
「大丈夫ですよ。シェリル様、お肉大好きじゃないですか。ねぇ、ハムー?」
「そんな名前付けないでください! この子はハムじゃありません! 少なくともまだ!」
シェリルは半泣きになりながらサシャから子ぶたを引き離す。
そんな二人の様子にブルーノは苦笑を浮かべた。
「実は、もう養豚はやっていないんですよ」
「そ、そうなんですか?」
「えぇ、半年前の土砂災害で養豚場が被害に遭いまして。その子以外の豚はみんな流されてしまったんですよ」
「それは……」
「そんなに暗くならないでください。実は半年ほど前から豚が病気に罹るようになってしまって、もう養豚はやめようと思っていたところだったんです」
「そう、だったんですか?」
「はい。子供を産ませていた母豚がある日突然子供を産まなくなってしまって、産んだ子も死産が続いて。この辺では養豚場も多いうえに、私たちは養豚を始めたばかりで豚が少なかったこともあり、市場的にも撤退した方が良いという判断になりました。その直後に起こった土砂災害だったので、むしろ踏ん切りがついたというか……」
そういうブルーノはどこか落ち込んでいるように見える。
シェリルがなんと声をかければいいか迷っていると、
それまで黙ってやりとりを見ていたルークが間に入ってきた。
「でも、この子は生き残ったんだよね? この子は売るつもりないの?」
「その子、実はその大きさで大人なんですよ。両親がどちらも小さかったからかな。どうやってもそれ以上大きくなりそうにないので、その子は売らないことにしたんです。ちなみに、病気の方は大丈夫ですよ。その子は健康そのものなので」
「だってさ。良かったわね、ハム」
のぞき込んできたサシャの言葉に応えるように、ハムは「ぶ!」と鼻を鳴らす。
「サシャ、その名前はやめてください! この子にはもっとふさわしい名前があるはずです!」
「ふさわしい名前って、例えばなんですか?」
「そうですね。有名な詩人から名前を借りて、『ベンジャミン・コラン』というのはどうでしょうか? 紳士的でとても頼りになる名前だと思うんです!」
「なるほど。つまり、略してベーコンですね」
「どうしてそうなるんですか!?」
ブルーノは彼女らのやりとりに苦笑いを浮かべたあと、これまで黙ってやりとりを見ていたルークとエリックに視線を移した。
「それで、皆さんはなにをしにこんなところへ? 街の方ではないですよね?」
「私たちはこの近くに流れている川の水質の調査をしているんです」
「水質の調査? あぁ、そういえば鉱山から出た水で川が汚染されているって街の人たちが騒いでたな……」
「なにか気がついたことはありませんか?」
「気がついた……ですか」
ブルーノはそこで言葉を切り、なにかを考えるような表情になった。
そのあからさまな表情の変化に、エリックはわずかに身を乗り出す。
「何か知っているんですか?」
「知っているというより、私、あの川の水を飲んでいますが、なにも変わりませんよ?」
「つまり、今回のことは街の人たちの虚言だったってことですかね?」
シェリルがそうこぼしたのは、ルークたちに屋敷の近くまで送ってもらったあとだった。ルークたちはまだ少し調べることがあるらしく、シェリルたちに「まっすぐ屋敷に帰ること」と釘を刺して街の方へ戻っていってしまっていた。なので、その場にはシェリルとサシャの二人だけしかいない。
先ほどの独り言のようなシェリルの問いかけに、サシャは隣で難しい顔になる。
「どうですかね。でも、そんなことをして一体なにになるんでしょうか。鉱山を止めたって誰にも良いことはないのに……」
「そうよね」
二人は屋敷を見据えながら歩を進める。そうしていると、どこからか複数の男性の声が聞こえてきた。声の主は三人。服装や話の内容から全員が鉱山で働く者だということがなんとなくわかる。
「やっぱり、気にくわねぇ! 半年も放置したのに、今更なんなんだ!」
「俺たちがどれだけ苦労しているかなんて、貴族様にはわからないんだろうな」
どうやら彼らはルークのことを話しているようだった。
シェリルとサシャは無意識に足を止め、彼らの話に耳を澄ましてしまう。
「まぁまぁ、落ち着けって。来てくれたんだからそれでよしとしようじゃないか」
「そんな風に簡単に考えられるかよ!」
「もしかしてあいつら、国から鉱山を取り戻すために川に毒でも流したんじゃないか?」
「あり得るな……」
「自分の私利私欲のためだけに、俺たちのことを利用しようとしたんだぜ、きっと!」
「――!」
その言葉にシリルは我慢出来ず、一歩前に出ようとした。しかし、すぐにサシャが腕を掴んで止めてくる。
「サシャ?」
「ダメですよ。ああいうのにはなにを言っても無駄です」
「でも!」
「私たちが何かを言って変わるものじゃない。ルーク様たちだって自分たちがどう言われているかぐらいわかっていると思います」
サシャの冷静な言葉に、シェリルは今にも駆け出しそうだった身体の力を抜いた。
その間にも彼らのルークに対する文句は積み重ねられていく。
それを聞きたくなくて、シェリルはつま先を屋敷の方へ向けた。そして彼らの会話を振り切るように歩き出す。
「あーぁ、やだやだ。もっと俺たちに親身になってくれる領主様は居ないものかね」
「どいつもこいつも自分さえ良ければそれで良いんだもんな」
「さすがは自分の妹を殺した男だよ」
(妹?)
その言葉に気を取られ、シェリルは思わず足を止めてしまう。しかし、振り返った時には、もう彼らは別の話題に移っていた。ルークへの文句は言っていない。
それに安堵すると同時に、なんだか胸がむかむかした。
街の人たちが半年間困っていたことも辛かったことも知っている。不安だっただろうし、訴えを聞いてもらえなくて悲しかったりもしただろう。
けれど、ここに来てからのルークたちはずっと彼らのことを考えている。
そもそも、ルークはここを取り戻すために、シェリルとの結婚を呑んだのだ。したくもない結婚を呑んで、国からこの場所を取り戻し、鉱夫の賃金を上げて……。
そこに私利私欲がないとはいいきれないけれど、きっと行動の大半は領民のためだ。
それがわかってもらえないことがひどく悔しい。
「ああいうのを黙らせる方法は一つだけ。目に見える成果を出すことですよ」
そのサシャの言葉に、シェリルは黙ったまま屋敷へ足を一歩踏み出した。
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