17.有用性を示しますわ!
標高六〇〇メートルの高原にある、鉱山街。
高原に広がる街の建物は白一色で、ひときわ大きな労働者たちの集会所には、青い塗料で労働者のシンボルであるハンマーが描かれている。
鉄や銅を掘り出しているのは奥の山からで、製錬所も近くにあるのか、街からも煙突がいくつも見えた。
行き交う男性たちは同じ人間か疑ってしまうほど身体が大きく、屈強で。また女性たちも身体が大きい人が多い。
周囲には酪農や畜産業を営む農場がいくつもあり、労働者の街特有のせわしなさとのどかさがうまい具合に同居している街だった。
「ここが、ロースベルグ鉱山街……」
ルークから婚前旅行に誘われたその翌朝には、シェリルたちはもうロースベルグ鉱山街にたどり着いていた。約一日馬車を走らせてたどり着いた街並みは、以前見て回った城下町とは全く違い雄々しく、シェリルは驚いたように目を瞬かせる。
興味深げに周囲をキョロキョロと見回す彼女に、ルークは苦笑を漏らした。
「どうしたの、シェリル?」
「ルーク様、なんだか、想像していた街と全然違います!」
「もしかして、がっかりした?」
「いいえ、全然! なんだかとってもわくわくする街だな、と! 同じ街でもこんなに雰囲気が違うものなのですね! すごく面白いです!」
「シェリルは何でも面白がってくれるよね」
苦笑を漏らすルークの隣でシェリルはキョロキョロと周りを見る。すると、こちらを見てひそひそと話す女性たちが目に入った。彼女たちがこちらを見る目は一様に鋭く、とてもシェリルたちを歓迎しているようには見えない。
シェリルは隣にいるサシャに聞こえるかどうかぐらいの声を出した。
「もしかして歓迎されてない……んですかね?」
「みたいですね」
そうしていると、ここを管理しているだろう役場の人間が走ってやってきた。鉱山で働く男たちとはうってかわって、眼鏡をかけた細身の男はルークたちの前で「お待たせしました」と息も絶え絶えに頭を下げた。
ルークは彼と二、三言話すと、こちらを向く。
「それじゃ、俺は詳しい話を聞いてくるから、シェリルは屋敷で適当に過ごしていて」
「適当……ですか? それでは――」
「街の方には出ないでね」
ルークにそう釘を刺され、シェリルは「え?」と呆けた声を出す。
「もしかしたら、危険かもしれないからさ。だから、屋敷で、大人しく。ね?」
にこやかな表情でそう言われ、シェリルは頷きつつ「屋敷で、大人しく……」とルークの言葉を繰り返すのだった。
長らく訪れてなかったはずなのに、先日去ったという国の役人に貸し出していたからか、ロースベルグ鉱山にあるヴァレンティノ別邸は掃除が行き届いていてとても綺麗だった。
シェリルは自室にと通された部屋で無限書庫から出した本を読む。
しかしながら、それも長くは続かず、彼女は溜息と共にこう吐き出した。
「どうしましょう。暇です」
「暇ですねぇ」
呼応するように言ったのはサシャだ。
別邸の使用人の数が足りているからだろう、どうやらサシャもここでは手持ち無沙汰らしい。シェリルの世話だけはやるようだが、「ここでは私たちのやり方があるから」と、ここの使用人に屋敷周りの手伝いは拒まれてしまったらしい。
シェリルは窓の外を見る。視線の先には談笑する街の人間と、活気溢れる商店。駆け回る子供たちなどが見えた。
「まさか、街を見て回ってはいけないと言われると思いませんでした……」
「まぁ、あの視線ですからね。ルーク様も危険だと思われたんじゃないでしょうか」
「でも、危害を加えてくる人たちには見えませんでした」
「私もそう思いました。が、万が一ということも考慮されたんじゃないですか?」
自分のためだと言われれば従わざるを得ない。けれど、これではいつもと変わらない日常だ。いや、街に出るなと言われている分、いつもよりもずっと窮屈かもしれない。
しかも、今回はルークもいないのだ。
「しかし、シェリル様が珍しいですね」
「なにがですか?」
「いえ、今まででしたら、本を読んでいる最中に『暇だ』なんて言い出さなかったじゃないですか。むしろ、お食事の時間よりも楽しみにしていたぐらいで……」
「そう、ですね」
今までは、シェリルの世界は本で、本はシェリルの世界だった。外に出るということが出来ない彼女にとって、本は最大の娯楽であり、冒険であり、過ぎていく時間を有意義に過ごすための唯一の手段だった。けれど、今はそうではない。
もちろん今だって本は読んでいて楽しいが、本の中ではなく自分の目で見る世界はあまりにもきらきらとしていて、美しかった。
「それだけシェリル様の世界が広がったということですね」
そう話を締めたサシャの表情はひどく優しい。
シェリルは、彼女の言葉の意味を咀嚼して、飲み込んで。その上で早く今回の件が片付けば良いと願ってしまう。だって、早く片付かないと、シェリルはこのままだ。ルークだってずっと帰ってこないかもしれない。
そんな想いが、シェリルの口を自然と開かせた。
「……住民の方はなぜあんな視線を向けてきたのでしょうか?」
公害で困っている彼らにとって、調査しにやってきたルークは歓迎するべき存在のはずだ。なのに、彼らはルークを見てあからさまに顔をしかめていた。その理由がわからない。
「それなのですが、私も気になって、この屋敷の使用人の方々に尋ねてみました。それでわかったことなのですが、どうやらこの街で被害が出たのは半年前のことだそうです」
「半年前?」
「当時、ここの住民たちはルーク様に被害の訴えをしたらしいのですが、どうにも対応してもらえなかったそうです。その少し前にも大きな土砂災害があったらしいのですが、それにも助けをよこしてくれなかったということで、それらのことを恨んでいるみたいでした」
「で、でも! ルーク様は川の汚染のこと今回初めて聞いたような反応でしたけれど……?」
シェリルは、エリックからの報告を聞いていたときのルークの様子を思い出す。元々嘘を見分けられるような性質はしていないシェリルだが、それでも彼のあの様子は嘘をついているようには見えなかった。
「これは恐らくなのですが、もしかすると国がもみ消していたのではないですか?」
「国が?」
「はい。つい先日までここの利権は国が持っていたのでしょう? 当然、地域の管理も国がやっていた。けれど、土地だけはずっとヴァレンティノ領だったから、当然領民の訴えは領主であるルーク様に向かうはず。訴えがあれば領主であるルーク様はこの土地に介入してきます。国はそれを望んでいなかったのではないですか?」
「だから、住民からの訴えをもみ消し続けた? 半年間も?」
「半年間も」
この推測に、さすがのシェリルの眉間にも皺が寄る。
そんな彼女を尻目に、サシャは更に話を続けた。
「この地域には生活に使える川が二本流れている。汚染されているのはそのうちの一本。片方の川が使えなくなっても、不便ではあるが命が脅かされるような事にはならなかった。だから半年間も訴えは退かれ続けたんじゃないでしょうか?」
「そんな……」
シェリルはそう漏らしてしまうが、考えれば考えるほどその推測が当たっているような気がしてならない。だって、そう考えれば鉱夫がいきなり仕事を放棄すると言い出したのも納得なのだ。あれは溜まりに溜まった鬱憤が溢れてしまった結果だったのだ。
「まぁ、事実がどうにしろ、これはきっと長期戦ですね。国がいくらやる気がなかったとしても、川が汚染されている状態を半年間放置していただけというわけではないでしょうし。その間に原因が突き止められなかったということは、きっと単純に鉱山を止めれば良いという話でもない」
「それは……」
確かにそうだ。国だってきっと何かしらの対策は講じようとしたはず。けれど、どうにもならなかったから、このタイミングでルークにお鉢が回ってきてしまったのだ。
(つまり、このままでは運命の日までここに留まる羽目になってしまうかもしれない……?)
それはまずい。非常にまずい。
それに、
(どうにかしないと――)
「シェリル様。この際だから逃げませんか?」
「え?」
声が上ずったのは、サシャの声があまりにも低く、真剣味を帯びていたからだ。
サシャは困惑するシェリルを置いて話を続ける。
「私とエルヴィシアに帰るんです。この街はエルヴィシアの国境に接しています。幸いなことにルーク様はこの屋敷に警護の兵はつけていても、私たちに見張りの兵はつけていない。ですから――」
「サシャ?」
シェリルの問いかけにサシャは口を閉じた。今までに見たことがない真剣な表情に、シェリルは狼狽える。
「そ、それは、何かの冗談ですか?」
「……」
「あ、あの、その。サシャがそこまで私のことを考えてくださっているのはわかるのだけれど、でも私、やっぱりこの国を黙って出て行くのは危険だと思っていて! それこそ逃げて捕まったら、私は首をはねられてしまうかもしれない。それに私、オルテガルドのことがそこまで嫌いでは――」
「冗談です」
「…………え?」
「冗談だと言ったんです。二人だけでここから逃げるわけがないじゃないですか? そもそも一度送り出したエルヴィシアの国王様が、私たちを受け入れてくれるはずがありませんしね」
「そ、そうよね! そうよね!」
「シェリル様、もしかして、本気にしたんですか? 全く、やっぱりあなたはポンコツですね」
「だ、だって!」
いつもどおりの微笑みを浮かべるサシャに、シェリルはほっと息をついた。
「でも、驚かせてしまったついでに、一つだけアドバイスをしましょうか。私が思うに、これはシェリル様の有用性を示すチャンスじゃないですか?」
「有用性、ですか?」
「国さえもどうにも出来なかったこの問題をルーク様よりも先にシェリル様がなんとかするんです。そうすれば、ルーク様のシェリル様に対する株はうなぎ登り。その上――」
「ルーク様がこの件にかかりっきりではなくなる?」
「そういうことです」
同意された瞬間、シェリルは目の前がぱぁっと開けたような心地になった。
シェリルは胸の前で拳を作ってみせた。
「私、頑張ってルーク様に私の有用性を示したいと思います!」




