14 振り回すって物理ですか?①
それからシェリルとルークはすぐに宿屋をあとにした。濡れたシェリルの服は宿屋で乾かしてもらえることになり、後日、貸してもらった服を返すときに合わせて返却という運びになった。
それから再び大通りに出て二人は歩く。最も混雑している時間帯はすぎたのか、通りに人は多いものの、先ほどよりも歩きやすくなっていた。
シェリルは少し先を行くルークの背を追いかけながら、先ほど言われたことを考えていた。
(アンヌさんはああ言っていましたが、振り回すとはどんなことをすればいいんでしょうか? まさか物理的に振り回すというわけではないでしょうし……)
脳裏に、ルークを(腕力で)振り回す映像が浮かび、シェリルはふるふると首を振った。
(そもそも、私には振り回すだけの力がありません)
でも、それならどうしたら……と頭を悩ませていると、ルークがこちらを振り返ってくる。
「で、他に行きたいところある?」
「行きたいところ、ですか?」
「そ。まだ全然見回れてないでしょ?」
行きたいところはたくさんある。なんて言ったって、街を回るなんて初めてなのだ。周りを見ても全部楽しそうなところに見えるし、行きたいところなんて一つに決められない。
(とは言え、全部回っていたら、ルーク様のことを振り回してしまいそうですし……って、振り回す? 振り回す……。振り回す! もしかして、これ!?)
シェリルは顔を跳ね上げると、ルークの手を取った。
そのいきなりの行動に驚いたのか、彼は目を見張る。
「ルーク様! 私、行きたいところたくさんあります!」
「たくさん?」
「たくさん! 全部、連れて行ってくださいますか?」
(振り回すってこういうことだったんだわ!)
いろんな場所を一緒に回れば、親密になれる。
きっとアンヌはそういうことを言いたかったに違いない。
シェリルはルークの手を持つ両手に力を込めた。
「よろしくお願いします!」
三時間後――。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です……」
シェリルは公園のベンチにぐったりと身体を預けていた。三時間も歩き通しだった身体はヘトヘトで、もう正直指一本も動かしたくない。けれど、これだけシェリルが疲れているにもかかわらず、一緒に回ったはずのルークはピンピンしており、それどころかシェリルの有様に苦笑いを浮かべている様子だった。
そんな彼を見ながら、シェリルは思う。
(もしかして私、体力がないのでは?)
十六年間、ほとんど塔の中から出たことがないということはこういうことなのだと突きつけられた気分だった。
あまりにも疲弊しているように見えたのだろう。ルークは「ここで待ってて、飲み物でも買ってくるから」とそばを離れる。
それに「お願いします」と頭を下げてから彼の背中を見送った。
一人っきりになったシェリルは空を見上げる。
「空って、こんなに広かったんですね」
これまでシェリルの空は塔の窓から見上げるものがほとんどだった。絵画のような切り取られた青は今見ているものと変わらず綺麗だったけれど、こんなにたくさんの空気を含んでいなかった気がする。大きくなかった気がする。
正直な話、結婚の話を聞いたばかりの頃は、オルテガルドに行くのに不安があった。
文通相手からいい国だということは聞いていたけれど、シェリルを人質として迎え入れようとしている国が自分にとってのいい国だとはあまり思えなかったからだ。それに、自叙伝のこともある。向かえば殺されてしまう国だとわかっていて、それでもなにも感じないほど、シェリルは鈍感でもなかった。
(でも、今はちょっとだけ――)
オルテガルドに来て良かったとおもっていた。
塔で過ごす日常は穏やかだったけれど、それは『なにもない』『なにも起こらない』という穏やかさで、物足りなさや窮屈さが常にどこかにつきまとっていた。けれど、あの自叙伝を見つけてからは、ルークにであってからは、これまでの人生からは考えられないほどにいろんな出来事が起こって、そのあまりの早さに、心が、身体が、置いていかれそうになるほどだ。
だから、オルテガルドに来たことに後悔はなかった。
それどころか、今ではできるだけここにいたいとも思ってしまう。
けれど、やっぱり死にたくないし、なによりルークに殺されたくはないとおもってしまう。
「だから、ルーク様をメロメロにしないといけないのに。ダメですね、私は……」
ここまで来て、ルークをメロメロにしている手応えはゼロだ。
ルークはいつも笑顔でいてくれているが、あれはシェリーに笑いかけているわけではなくて、シェリルのことを笑っているだけに過ぎない。
今だって振り回そうとして全く振り回されていないし、もしかしたらシェリルの情けない姿にルークの好感度はどんどん落ちているのかもしれない。
あたまに浮かんだそんな考えに溜息をついたときだった。
「お前っ! いい加減にしねぇと怒るぞ!」
耳をつんざくほどの大きな声が聞こえた。
声のした方を見ると、十歳に行くか行かないかぐらいの少年が露店の店主に怒鳴られている。
「あれは――」
シェリルはベンチから腰を浮かせた
..◆◇◆
(さすがに疲れたな)
ルークは露店の店主から果実水を受け取りつつ、そう溜息をついた。
シェリルにいろんなところに連れ回されたこともそうだが、単純にエルヴィシアから帰ってきてから今日まで休みなく働いていたのが、今ごろになって身体にきていた。
(シェリルも疲れていたし、もうそろそろ屋敷に帰ってもいいか。ここに来たいなら、またいつでもこられるわけだし……)
そんな風に考えていたときだった。不意に、頭の中に馬車の中で聞いたシェリルの言葉が蘇ってきた。
『私、実は王宮の敷地から出るの、はじめてなんです』
『いつもは敷地内にある塔の中で、ほとんどの時間を過ごしていて。塔の外にはお呼びがあるまで出ちゃいけない決まりなんです』
(あれ、普通に軟禁だよな)
シェリルは気がついていないようだったが、話を聞く限り、あれは監禁に近い軟禁だ。彼女はトリニアム教の象徴である神使で、その神秘性を保つために人前には姿を現さないというのはわかるが、塔の中に閉じ込めておくというのははっきり言ってやり過ぎだ。
神使はあくまで象徴で、その肩書きはエルヴィシアの国を動かすものではない。
つまり、なんの力もない外側だけが必要な少女を、軟禁する意味がわからないのだ。
(神秘性を保つだけなら外に出る頻度を減らせば良いだけだし)
全く外出をしたことがないなんておかしな話だ。そもそも、あの様子では象徴としての役割をしていたのかさえも怪しい。あの王宮から一歩も外に出ることも人前に出ることなく、象徴なんて出来るのだろうか。
(あとから、少しだけ詳しく聞いてみるか)
ルークはそんなことを考えつつ、先ほどシェリルと別れたベンチに向かったのだが――
「シェリルただいま――って……。シェリル!?」
シェリルはいなくなっていた。
周りを見渡しても、それらしき影はない。
ルークの背中に冷たいものが落ちる。
(まさか、誰かに――!)
そう言って、駆け出そうとしたときだった。もう覚えてしまった、今一番聞きたいと思っていた声が、耳に飛び込んでくる。
「ですから、これの適正価格はどう少なく見積もっても五〇万ベルだと言っているんです! ここを見てください。この本にきちんと書いてあるじゃないですか!」
「そんなこと言われたって、俺は絶対に三千ベルしか出さねぇぞ」
「適正価格の百分の一以下じゃないですか。これはどう考えても詐欺です」
声の下方向へ行くと、何がどうしてそうなったのかわからないが、シェリルが露店の男性と言い争いをしていた。手には分厚い本が握られており、広げたページを指さしながら、彼女は必死に何かを訴えている。傍らには十歳になるかならないかぐらいの少年もいる。
「そんなこと言うなら、姉ちゃんが買い取ってやればいいだろうが。まさか、お金がねえとはいわねぇよな?」
「それは……」
「そもそも俺はそんな本なんか見たことないんだ。いい加減なことばっかり言っているんじゃねぇよ!」
「お姉ちゃん、もういいよ」
少年がシェリルの袖を引き、彼女を止める。しかし、普段は温厚であるはずの彼女は、それでは止まらなかった。
「よくありません! 売ったお金でお母さんの薬を買うんでしょう? それならば、できるだけ高く買い取ってもらった方がいいはずです!」
「でも……」
ルークはその言葉に状況を理解する。きっと少年はあの手にあるオパールのブローチをこの露店に売りに来たのだ。しかし店主は、子供だと侮って適正な価格で買い取ろうとしなかった。それを見かけたシェリルが、口を挟んだというところだろう。
シェリルは普段からは考えられないような啖呵を切る。
「それに、私はこの人にも人の想いを踏みにじるようなことをしてほしくないんです。それはきっと癖になって、いつかこの人自身さえも傷つけるから!」
『それはきっといつか、兄様自身さえも傷つけるから……』
不意に蘇ってきたのは、もういない人間の声だった。瞬きの間だけそこにいた、ルークに似た黒髪を持つ彼女は、彼よりも年齢が下だというのに、大人びた顔で笑う。
『信じることは願うこといっしょだから、私はずっと兄様のことを信じています』
ルークは、一瞬だけ現れた幻影に息をついて、手に持っていた飲み物を先ほどまでシェリルが座っていたベンチに置いた。そのままシェリルに近づき、彼女を背後からのぞき込んだ。
「かっこいいこと言うね」
「実は、本の受け売りなんですけどね。って、ル――」
自分の名を呼びそうになったシェリルの唇に指を当てて、ルークは彼女の言葉を止める。そうして、視線だけで「後は任せて」と告げた。
ルークの意図を汲んで黙ったシェリルに微笑みを浮かべ、ルークは露店の男の方を見る。
「ねぇ。もし良かったら、俺にも一枚噛ませてくれない?」
「アンタは?」
「同業者だよ。と言っても、普段は帝都の方で商売しているんだけどね。グラントン商会ってところで、買い付け役を任されているんだ」
「グラントン商会!?」
大手商会の名前を出しただけで、相手が食いついてくる。その食いつきっぷりに彼の裏にいる組織があまり大きくないことを知る。こういう相手は騙すのが簡単だ。情報を持っていないくせに野心だけはしっかりとあるから、うまく転がせば大きな話に乗ってきやすい。
ルークは少年の持っていたブローチを手に取った。そしてじっくりと眺めてから「うん、やっぱり」と頷く。
「少しくすんでいるけど、いいオパールだね。このくすみも磨けば関係ないから、俺が五十万ベルで買い取ろう」
「は?」
「本当!?」
嬉しそうな声を出したのは、少年だ。シェリルも驚きに目を見張っている。
「あぁ。意匠を今時のものにすれば、倍――いや、三倍以上の値段で売れるだろうし。それにいま、王都ではオパールが流行っているから、来月にはもっと価値が上がっているだろう」
「そんな、デタラメ――」
「そう思うなら、デタラメで構わないよ。ただ、貴方も知っているだろ? マルシャル公爵のご息女の話」
「マルシャル公爵? 今の貴族女性の流行を作っているとかいう?」
「そうそう。それで、先日の夜会で、彼女が大きなオパールのペンダントを付けてきてね。あれから帝都でオパールの値段がうなぎ登りなんだ。君だって貴族のお得意様ぐらいはいるだろう? そこから最近頻繁にオパールの問い合わせが来てない?」
「……」
「あぁ、来ているみたいだね。でもだからって、こんなに良いオパールを三千ベルはないだろう? さすがにぼったくりが過ぎるよ」
ルークの言葉に、店主の表情が強ばった。
「ここは帝都から離れているからね、まだそこまでの値上がりはしていないんだろう。だからこそ俺みたいな買い付け役にも仕事があるんだけどさ。でも、帝都ではすごいもんだよ。この間なんてこのぐらいのオパールが二百万なんて値段がついてね」
ルークは親指と人差し指で作った指の隙間を彼に見せつつ、そう言った。
「二百!?」
「でもまぁ、あれはこれよりも色が多かったから、当然と言えば当然なんだけど。でも、これほどの大きさになれば――」
「そ、それなら俺が五十万出す!」
「ダメだよ。それは俺が言い出した額だからね。早い者勝ちだ。そうだろう、僕?」
「え? あ、うん!」
少年が頷くのを見て、商人が途端に慌て出す。
「なら、六十万だ! こっちは六十万出す!」
「七十万」
「な、七十五万!」
「九十万」
「きゅ、きゅう?」
ルークが勝ったような表情を浮かべると、露店の店主はそれを見て顔を真っ赤にさせた。そうして勢いのまま口を滑らせる。
「ひゃ、百万! 俺は百万出す!」
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