12.小悪魔ってなんですか?
噴水の近くにある、酒場の二階。
宿屋として貸し出されているその一室から、彼の笑い声は響いていた。
「ははは……! いや、もうっ、シェリルってば、最高! なんでそうなるわけ!?」
「うぅ……すみません」
先ほどまで着ていた服を全て脱ぎ、白い布を適当につぎはぎしたようなワンピースを頭から被っているシェリルは、ベッドの縁に座ったまましょんぼりと肩を落としていた。
そんな彼女の頭をタオルでふいているのは、当然ルークだ。彼は笑いすぎて苦しいのか身体をくの字に曲げつつも、彼女の銀糸のような髪をまるで大型犬を拭くかのようにわしゃわしゃと豪快にかき混ぜていた。
そこはルークの昔なじみが営む酒場兼、宿屋らしい。噴水に落ちたシェリルは、ルークに抱えられ、びちゃびちゃのままこの宿屋に逃げ込んだのだ。
なので当然、ルークの服も濡れてしまったのだが、 シェリルが今着ている白いワンピースに着替えている間に、気がつけば彼はもう着替え終わっていたのだ。
「でもまぁ、そう何度も謝らなくてもいいよ。面白かったし」
「けれど、ルーク様とお約束したのに、あんなに目立ってしまうだなんて! これはきちんと反省しなくては! でも、まさか私も噴水に落ちてしまうとは思いませんでした」
「ま、噴水に落ちる前からシェリルは目立っていたけどね」
そのときのことを思い出したのか、ルークの表情は少しだけ困ったようなものになる。けれど、シェリルがその表情の理由を聞く前に、扉のノック音が二人の会話を断ち切った。
『ルーク、入っても大丈夫?』
扉の向こうからした声にルークが「いいよ」と答えると、赤毛の女性が扉から顔を覗かせた。彼女はシェリルが噴水に落ちてしまう前に着ていたものとよく似た服を、こちらに向かって広げてみせる。
「着替えの服これでいい?」
「ありがと。助かる! やっぱり持つべきものはアンヌだね!」
「まったく。調子が良いんだから」
アンヌと呼ばれた女性はルークの軽口を半眼で受け流し、シェリルに視線を止めた。
「こっちおいで。着替えるの手伝ってあげるから」
「あ、はい!」
シェリルは立ち上がり、アンヌについて行く。
すると、先ほどまでいた部屋の隣に通された。
アンヌは持っていた服をベッドの脇に広げるとこちらを振り返る。
「んじゃ、その白いの脱いで」
そこから言われるがままにシェリルは服を脱ぎ、新しい服に袖を通した。アンヌもそれを手伝ってくれるのだが、小さな姉弟でもいるのだろうかその手つきはひどくて慣れている。
「ったくもー。久々に来たと思ったら、厄介ごと押しつけてくるんだから」
「すみません……」
「アンタは謝らなくていいのよ。どうせルークに無茶振りでもさせられたんでしょ?」
「そ、そんな違います! あれはただ、私の運動神経が壊滅的に悪かっただけで……!」
あれは完璧にシェリルが悪かった。これまで運動をしてこなかったので、自分がここまで壊滅的に運動神経がないとは思っていなかったのだ。
(でもまさか、後ろにコインを飛ばすことも出来ないなんて……!)
これは明らかなマイナスポイントだ。ルークはおかしそうに笑っていたが、あれは彼が優しいだけで、運動は出来ないよりも出来た方が良いに決まっている。
(なんとかして、挽回しなくっちゃ――!)
シェリルがそんな風に考えている間にも、アンヌはテキパキとシェリルの服を着替えさせていく。
「というか、貴女の髪、なんか糸くずいっぱいついてるわね」
「糸くず、ですか?」
「あぁ、もしかしてさっきのタオルのかしら? 急いでいたから少し古いの貸しちゃったわね。ごめんなさい」
「い、いえ! 貸してもらえただけで充分です!」
「それにしても、ルークってば人の髪の毛拭くの下手すぎでしょ! 糸くずも相まって絡まっているんだけど、もー! ちょっと待ってなさいよ。今ほどいてあげるから……」
「ありがとうございます」
(それにしても、アンヌさん、ルーク様と仲が良さそうでしたわよね……)
ルークがここにシェリルを連れてきたときも、それからシェリルとルークを部屋に通したときも、彼らは打てば響くような会話を交わしていた。まるで、なんでも話せるかのような気安い二人の様子を思いだし、シェリルはしばらく固まったあと、はっと顔を跳ね上げた。
「ア、アンヌさん。つかぬ事をお伺いしても良いですか?」
「んー? なあに?」
「もしかして、アンヌさんはルーク様の恋人だったりしますか!?」
「はぁ!?」
突然のことにアンナはひっくり返った声を上げる。
ルークはシェリルと結婚する予定だが、それは彼が望んだことではない。きっと上からそうしろと言われたから、するのだ。つまり、他に想っていた相手がいてもおかしくないのである。
それに貴族間では、結婚は家のためにして、本当に好きな人は愛人にする……なんていう文化もあると聞く。アンヌがルークの愛人になるのならば、いろんな意味で覚悟をしておかなければならないと思ったのだ。
シェリルの言葉に、アンヌはしばらく目を瞬かせたあと、まるで何かが破裂したかのように突然笑い出した。
「あははは! 私が? ルークと!? ないない! あり得ない! というか、絶対嫌なんだけど、あんな性格悪い男!」
「せ、性格が悪い、ですか?」
「悪い、悪い。遊びでも付き合いたくないわよ! 死んでもごめん!」
『性格が悪い』と『ルーク』がかみ合わず首をかしげているシェリルの正面で、アンヌは笑いすぎで滲んだ目尻の涙を指先で拭う。
「なぁんで、そんな勘違いするかなぁ」
「ルーク様とアンヌさん、とても仲が良さそうに見えたので……」
「そりゃまぁ、私はルークの幼なじみですからね」
「幼なじみ?」
「私の両親が、あのお屋敷で働いていたのよ。料理人としてね。私は両親と一緒にあのお屋敷でお世話になっていて、そのときによく一緒に遊んだのよ」
アンヌは何かを懐かしむように目を細める。先ほどルークのことは『性格が悪い』やら『死んでもごめん』などと言っていたが、彼女にとってルークが大切な人だということが、その表情を見ているだけでわかる。
「昔はまだかわいかったんだけどねー。……あいつも変わったからなぁ」
「そう、なんですか?」
「まぁ、あんなことあっちゃ、仕方がないけどね」
アンヌは視線を落としたまま、苦笑を滲ませた。その表情に、ルークの心の中にシェリルにはまだ触れない場所があるということを理解する。
なんだかそれに少しだけ近づきたくなって。それでも、直接聞くのはためらわれて。
シェリルは言葉を慎重に選んだ
「ルーク様は昔はどんなお子さんだったんですか?」
「えー? 根っからのいたずらっ子って感じ? 好きな子ほどちょっかいを出したがる、やんちゃな子だったよ。意地悪なところはなにも変わらないんだけど、昔はもっとわかりやすかったなぁー。……あぁでも、貴女といる時のルーク。ちょっとだけ昔に戻ったみたいで、楽しそうね」
「そう、なんですか?」
「そうそう。まるで、新しいおもちゃを買ってもらった時みたいなはしゃぎよう。……って、これは貴女に失礼ね。せっかくエルヴィシアから来てくれたのに」
「へ!?」
シェリルが素っ頓狂な声を上げたのは、彼女が『エルヴィシア』という単語を出したからだった。だって、ルークは彼女に会ったときもシェリルの事を『うちに来てる客人』としか説明しなかったのだ。
「もしかして、ルーク様から聞いたんですか?」
「なにが?」
「私が、その、エルヴィシアから……」
シェリルがまごまごしながらそれだけ言うと、アンヌはすべて理解したようで「あぁ」と頷いた。
「貴女の下着についていた唐草模様、エルヴィシア独特のものなのよ。モデルになっている植物があっちの方でしか生えていないものでね。こっちには似たような模様はあっても、これと同じ模様はないの。だから『この子はエルヴィシアからルークのところへ嫁いできた子なのかなぁ』って。 エルヴィシアから誰かがお嫁に来るって話は、少し前から聞いていたしね。まぁ、それがルークになるとは思わなかったけど」
そう言われて初めて、シェリルは自分のシュミーズに唐草模様が刺繍されたあることに気がついた。そんな些細な情報からシェリルの身元を明らかにするなんて、まるで魔法でも使ったかのようだった。
シェリルは興奮したように声を上げる。
「アンヌさん、すごいです。今まで読んだどの本にもそんなこと書いていませんでした! どこからそのような知識を!?」
「別に、たいしたことじゃないわよ」
アンヌは、どこか恥ずかしそうに、頬をわずかに桃色に染める。
「私ね、仕立屋になりたいのよ。服の意匠を考える人になりたいの。そのために、居酒屋の仕事が終わった後はお針子もしていてね。……まぁ、私みたいながさつな人間が出来るような仕事じゃないってのはわかっているんだけどさ」
「アンヌさんはがさつなのですか?」
「見ていたらわかるでしょ? お父さんからもよく男勝りだって叱られるしね」
シェリルはしばらく黙ったまま何かを考えていた。そしてようやく考えがまとまったのか口を開く。
「がさつ――、動作や態度などに落ち着きがなく、荒っぽい言動をする人のこと」
「は?」
「……と、私は本で見ました。アンヌさんが使ってらっしゃる『がさつ』が私の知っている『がさつ』は恐らく違う言葉なのですね」
「なに言って――」
「だって、とっても綺麗です。このリボン」
シェリルは腰の辺りに結んであるリボンを手で触る。
「私ではこんな風に綺麗に結べません。着替えを手伝っていただいているときの手つきは丁寧でしたし、服もほら、几帳面にたたんである。オルテガルドの人が使う『がさつ』は私の知っている『がさつ』とは言葉の意味が逆なんですね。これはよき知識を得ました」
「あなたね……」
「アンヌさんは、きっといい仕立屋さんになりますね!」
シェリルが先ほどまとめた考えをそう口にすると、アンヌの頬は先ほどよりもますます赤くなった。
「エルヴィシア人ってみんなそうなわけ?」
「そう?」
「多分違うわよね。こんなぽよぽよしている奴らが戦争なんて仕掛けてくるはずはないし。アンタが変なのね。そうね……」
「よくわかりませんが、もしかして私、アンヌさんを傷つけるようなことを言ってしまいましたか?」
「そんなわけないじゃない! 変なこと言われて少し驚いただけよ。……ちょっと待ってなさい」
なぜか少しだけ不機嫌そうな顔でアンヌは部屋から出て行った。けれど、シェリルがその背を追おうかと迷っている間に、彼女は戻ってくる。その手にはたくさんの服が抱え込まれていた。アンヌはそれらをベッドの上に広げていく。
「服、脱ぎなさい。着替えるわよ」
「えっと。でも、これ着たばかりで……」
アンヌはその言葉に、先ほど自身が持ってきた服を見た。
「これ、私が仕立てた服なの」
「え!? これ全部ですか!?」
アンヌはその中の一つを選び、シェリルに宛がった。
「これからまたルークとどこかへ行くんでしょう? それなら、私がとびっきりかわいくしてあげる!」
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