9.デートをいたしましょう!
本当に申し訳ありません。
9話抜けておりました!
申し訳ありません。
それは、シェリルがオルテガルドのヴァレンティノ邸にお世話になり始めてから一週間ほどが経ったある日のこと――
シェリルはいつになく真剣な様子で机に向かっていた。彼女の手元には例の青い本――自叙伝がある。彼女はその本のとあるページに目を落としつつ、固い声を出した。
「ねぇ、サシャ。私、大変なことに気がついてしまったわ」
「どうしたんですか?」
そう問いかけてはいるが、サシャの反応は冷たく、どこまでも興味がなさそうだった。しかしそんな彼女の反応など気にすることなく、シェリルは声を張る。
「この一週間、ルーク様と会っていないわ!」
「まぁ、ここ最近お忙しそうでしたからね」
サシャは、やっぱり冷めたように言いつつ、シェリルにお茶を淹れる。
それを口に運びつつ、彼女は珍しく眉間に皺を寄せた。
「お部屋に来てくださったのも、あの晩だけでしたし。これはゆゆしき事態よ!」
「平和なんだからいいじゃないですか」
「よくないわ! このままではルーク様をメロメロにすることなく、運命の日を迎えてしまうかもしれないもの!」
「そもそも、ルーク様にバレている時点で、もういろいろ破綻しているような気がしますがね……」
そこか遠くを見つめるサシャに、シェリルは「これを見て!」と、先ほどまで自身が見ていた自叙伝を差し出した。
サシャはそれを受け取ると、どこかめんどうくさそうにページをめくってみせる。
「珍しいですね。こんなに先の未来が書いてあるなんて――って、ん?」
何かに気がついたサシャが険しい顔つきになる。
それと同時に、シェリルは口を開いた。
「そう。このままだと私、一ヶ月間もルーク様に会えないんです!」
『今日は中庭の花を見ながら読書をしたわ。バラの花がとてもきれいで、本当に素敵。
……あぁ、でも、最近、ルーク様に会ってないわね』
『今日は仲良くなった使用人の方からパンを焼くのを教わったわ。こねるのは大変だけれど、粘土細工みたいで楽しかったわ。
……そういえば最近、ルーク様とは顔を合わせていないわね』
『今日は珍しく雨が降ったから、庭師の方と使用人の皆さんと育てているお野菜の様子を見に行ったわ。畑の野菜たちはみんな元気そうだったわ。よかった!
……やっぱり今日もルーク様の気配を感じないわね』
「どうするんですかこれ、最後は気配を探るようになってるじゃないですか。……と言うか、屋敷の人たちとめっちゃ仲良くなってますね」
サシャはパラパラとページをめくりながら呆れたようにそう言った。
ページのインクはまだ薄いものの、一ヶ月間の長期間にわたって短い日記と『やっぱりルーク様に会えなかった』が繰り返されているのは、問題以外の何物でもない。
「それに、書いてあるのが一ヶ月間というだけで、それ以上会えないって可能性もありますしね」
「私が死ぬまでたったの三ヶ月よ!? いいえ。もう、三ヶ月を切っているわ! これは、さすがにまずい! なんとか対策を取らなくては……!」
「対策って、どうするんですか?」
シェリルはじっと固まった。そうしてしばらく考えた後、はっと顔を跳ね上げる。
「そうよ!」
「何か思いつきましたか?」
「こういうときこそ、あのとっておきを使うのよ!」
..◆◇◆
ダークオークの家具でまとめられた重厚感のある執務室。
その一番奥の大きな机で、ルークは書類に目とペンを走らせていた。その隣にはエリックが立っており、積み重なった書類の山を整理し、優先度の高いものをルークの前に差し出している。部屋には、紙を捲り、ペンが書類の上を滑る音。それと端的な指示だけの言葉が飛び交うだけ。
そんな張り詰めた空気の漂う空間に、先に音を上げたのはやっぱりルークだった。
「あーもー! 疲れた! もうやりたくない!」
「『やりたくない』じゃありません! 貴方が急に『エルヴィシアに行く』といいだしたから、こんなに溜まってしまったんですよ?」
「いや、だってさぁ!」
「ほら、あともうちょっとですよ。後はこの桟橋建設の書類に目を通していただいてサインをいただくのと、ロースベルグ鉱山の利権関係の書類の修正だけですから!」
エリックにそう尻を叩かれ、ルークはいやいやながらも仕事を再開する。しかしながら、もうその場には先ほどまでのような緊張感はなく、ルークは思ったままを口から滑らせる。
「あーぁ、こんな仕事終わらせて、早くシェリルで遊びたいなぁ」
「シェリルと、じゃないあたりに貴方の性根の悪さがにじみ出ていますね」
「あはは、褒められちゃった」
「褒めていませんからね」
主の適当な返事に、エリックはがっくりと肩を落とす。
「でもまぁ、よかったですね。偶然手に入れたおもちゃが、存外面白くて」
「ほんとほんと! 最初、どんな性悪女が来るのかと思ったからね」
ルークはこれまでのシェリルとのことを思い出しながらそう肩をふるわせた。
考えてみれば最初からシェリルは変な子だった。
国王の姪で、神使なんていう宗教上のお飾りをしている女だなんて言うから、どんな居丈高な奴が来るのかと思っていたら、現れたのは世間からずれたお子様で。
あまりの無害っぷりに、なんだかこのまま連れ帰って殺すのも可哀想になり、ちょっと脅しを掛けて逃がしてやろうとしたら、逃げたのは最初だけでちゃんと三日後には輿入れの準備をして彼女は目の前に現れた。
普通の人間なら、少なくともルークなら、そんな脅しを掛けられた時点で家を捨てて逃げるという選択肢を取るかもしれないのに、目の前に現れた彼女にはなぜか気合いが入っているようにみえた。
だから案外肝が据わっているお嬢さんなのだと思ったら、ルークの後ろをつけるような真似をして、暗殺でも企てているのかと警戒したら――
「メロメロってなんだよ……」
思わずといった感じで、ルークはそう言葉にしていた。
夫になる予定の人間を籠絡しておこうという、その心情だけはまだ理解が出来る。
けれど、それをルーク自身に言ってのけるのが面白すぎるし、意味がわからない。
その上、『手伝ってください』だ。
(正直、わけがわからない)
ルークは無意識に思い出し笑いをする。
そんな彼を見て、エリックは今日何度目かわからない、疲れたような息を吐いた。
「貴方が楽しそうにしているのは、私としても嬉しく思います。しかし、やはりもう少し距離を取っておいた方がいいんじゃないですか? 後で辛くなるのは貴方ですよ?」
エリックの言葉に、その先の話が予想できたのか、ルークは笑みを収める。
「こちらの見立てではエルヴィシアが再び仕掛けて来るのは確実。しかも、当初の予想よりも動きが活発です。つまり――」
「シェリルは絶対殺さないといけないってことでしょ? 大丈夫。わかってるって」
「ですが――」
エリックがそこで言葉を切ったのは、ノック音が聞こえたからだ。
改めて扉を見れば、もう一度コンコンと扉が音を立てる。
ルークの代わりにエリックが「どうぞ」と言うと、躊躇いがちに扉が開かれた。
その奥に立っていたのは――
「お仕事中に失礼します」
「あ。シェリルじゃん。どーしたの?」
先ほどの疲れ切った表情を一変させ、ルークがからりと笑う。そして、処理しかけの書類が山積みになった机を軽やかに飛び越えて、シェリルの前に跳ね寄った。
「あ、あの。突然なのですが。ルーク様、デートに行きませんか?」
「デート?」
「実は、つい先ほど、ここ一週間ルーク様にお会いしていないことに気がつきまして!」
「ついさっき気がついたの?」
「ついさっき気がつきました!」
なぜか胸を張るようにしてそう言ってのける彼女にルークは苦笑を浮かべる。
「それで、このままではルーク様をメロメロに出来ないと思い立ちまして、是非お力を貸していただきたく思い、こちらに参りました。つきましては、お暇な日時と時間を教えていただけませんか? そうすれば、こちらで完璧なデートプランを――」
「それって、今からじゃだめなの?」
「え。今から、ですか?」
思わぬ提案にシェリルが目を瞬かせると、背中の方からエリックの声が飛んでくる。
「ルーク様!」
「大丈夫、大丈夫! その仕事は帰ってからやるからさ!」
手をひらひらとさせながらエリックのお小言を先んじて封じると、彼は嫌そうに眉間に皺を寄せた。そんな右腕を軽く無視して、ルークは面白そうな事へと向き直る。
「……で、今からなにか用事でもある?」
「いえ、用事などはありませんが。私としては完璧なデートプランを考えた上、現地の下見まで済ませた状態で、ルーク様を誘いに――」
「その下見って誰と行くの?」
「え、誰と?」
「君一人で街になんて行かせられるはずないでしょ? あのエルヴィシアから連れてきた使用人と一緒でもだめだからね。単純に危険だし、絶対に街の中で迷うでしょ?」
「それは――」
「それに、俺もそろそろ城下町ぐらいは紹介しておこうと思ってたしね」
ダメ押しのようにそういえば、シェリルは「それなら……」と頷いた。
その頷きを見てから、ルークはエリックを振り返った。
「って事で、 シェリルとデートに行ってくるね!」
「ちょ――!」
ルークは言いたいことだけ言うと、シェリルの背を押しながら、まるで逃げるように執務室の外に出ていった。
..◆◇◆
『本当によろしいのですか?』
『いいのいいの』
廊下で交わされるそんな会話を聞きながら、エリックはその場で溜息をついた。
手には先ほどまでやっていた仕事の書類がある。
彼はそれを書類の山に戻しつつ、二人が消えていった扉に向かって低い声を出す。
「まったく……、私はちゃんと警告しましたからね」
そのとき、エリックは何かに気がついた。
机の引き出しから書類がはみ出している。
そこは普段はあまり使用しない場所でたいしたものは入っていないのだが、それ故にルークが開けることもめったにない。もちろんエリックが開けることも。
(それなら誰が――……)
こみ上げてきた警戒心を感じながら、エリックは引き出しを開けて書類をきちんと入れ直すのだった。
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