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「米国の攻撃が始まっているのですが、少し様子が今までと違ってるのが分かりました。それで、もし敵機が方向を変えてこちらに進んでくるようならここはたいへん危険なので、防空壕を出て逃げることになりました」


奥さんが簡潔に伝える。


「はい?……どういうことですか?」


岸さんは困惑している。


「壕に入っている方が危ないということなんですよ」


「ええぇ……?」


「班長さんと相談して、壕から出て敵機が飛んでいる東側から離れた方がいいと判断したんです。……それに、和枝ちゃん。壕に入っているの嫌なんですよね?」


「……」


岸さんは締め切った壕の扉を振り返る。


子供の声が聞こえている。


「外に出してあげて、夜の風に当たらせてあげませんか?」


「う……」


「今、壕の中には和枝ちゃんと太一君のほかにどなたかいらっしゃるんですか?」


よくよく耳をすませば子供の声と小さく大人のあやす声が混じって聞こえる。


「あの、私の実家の母が一緒に入ってます。少し衣類を分けてもらえたそうで、うちにも持ってきてくれて……」


「そうですか。では、四人一緒に出て北の方に、風上に移動しましょう」


奥さんが説得している間、千颯は奥さんの背後を見守りながら敵機の動きも視野に入れている。


また少し空が赤く染められた。


「班長さんがそうした方がいいと言うのなら行きます。……北に歩いていけばよいのですね?」


「はい。北風が吹いているので竹田さんの家の方に避難するのがいいと思うんです。班長さんたちは隅田さん家の方に戻って壕に入って避難している班員を連れてそちらに行くことになっていますから」


「焼夷弾という兵器を敵機が落としていっているんです。油を入れた容器に火をつけて広範囲の場所にばら撒かれているんです。この中に詰められた油は水をかけてもなかなか火を消し止められず、火災をおこす厄介なものだと聞きました。防空壕に入っていると周りの火災のせいで温度が上がってしまって中は蒸し焼きになってしまうし、逃げ遅れたら焼け死んでしまいます。避難袋と水筒を持って、すこしでも遠くに離れましょう。太一君は僕が抱いていきましょうか?」


千颯は奥さんの説明の後に続いて今の空襲の状況説明をして避難を促す。


「太一はきっと自分で歩くと思います。和枝は母にだっこしてもらえば大丈夫です。中で説明してきますので先に行っててください。必ず後から追いかけます」


岸さんは不安そうな顔だった。


「分かりました。生き延びましょう。……子供たちと一緒に生き延びましょうね」


奥さんは岸さんの目を見据えて言い聞かせる。


「はい」


奥さんの言葉に戸惑うものの、岸さんは返事をしっかりとしてくれた。


戸を少しだけ開けて泣いている和枝ちゃんに声をかける。


「和枝、班長さんが防空壕から出て夜のお散歩していいって言ってくれたらしいの。だからお母ちゃんとおばあちゃんと太一お兄ちゃんの、みんなで行こうね? お母さん、明かりを消して壕から出ますよ」


「ええぇ……? そんな、いいのかい?」


岸さんのお母さんの声は岸さんの声に似ていた。


「いま、班長さんからの伝言をお隣さんから聞いてね……」


そんなやり取りが聞きながら、千颯と奥さんは壕の出入り口から離れて次の家、お向かいの森下家へと歩いていく。


「森下さーん。班長さんからの伝言ですー」


奥さんが声をかけて向かい側の家の庭へと入っていく。


「森下さーん。園部ですー。壕から出て話を聞いてくださーい」


そうして隣組の班員の家の壕に、同じことの説明を繰り返す。


次の家の森下家も「班長が外に出て避難しろというのならば」と、渋々と風上に移動することを分かってくれた。


岸家の横にあるあぜ道を通って一番西端の竹田家に行って、避難方法が変わったことを説明すると「班長さんが本当にそんなことをいったのか?」と疑われてしまった。


出征した父親に代わって家を守ろうとしている子供がいるのだが。


どんなに言葉を重ねてもなかなか理解してくれず、火災が広がりつつある下町に救助に向かおうと飛び出そうとする少年たちを押しとどめるのに苦労した。


竹田さんの家にはまだ集団疎開に行けない国民学校一年生と五歳の男の子と三歳の女の子がいて、消火訓練や軍事教練の真似をして『兵隊さんごっこ』で毎日のように遊んでいる。


消火訓練通りにやればどんな大火災であってもバケツリレーで自分たちにも消し止められて役に立つのだと信じ込んでいるのだ。


なぜ消火活動に行かせてくれないのかと少年たちに文句を言われ、千颯が理由を説明してもギャーギャーと喚かれ泣かれてどうにもならない。


挙句の果てに「さてはおまえ!ひこくみんだな!?」とまで罵倒された。


奥さんも少年たちの母親も頑張って説明してくれる。


ご近所どうしでの信頼関係を築いていたこともあり、最後には大火災へと変貌していく下町を目の当たりにして少年たちを宥めるのに手伝ってくれて、やっとのことで風上へと歩き始めた。


竹田兄弟はしくしくと泣きながら歩く。


自分たちが消火できないことを悔やんでは下町方面の赤い明かりを振り返って立ち止まり、ため息としゃくりあげるを繰り返すのでなかなか避難が進まない。


そうして移動が遅いせいで、直接行って避難方法を変更したと声掛けに向かっていた班長さんが後ろから追いついてきた。


やはり男性で責任ある班長が直接説明された方が聞き分けが良いのだろうか。


防空壕から出て避難してくる班員が多い。


「あ!班長さんだ!」


「後ろからいっぱい歩いてきてる……?」


赤い背景の中に複数の人影が現れて、それを見た竹田兄弟が声を上げた。


幼い兄弟が班長さんたちを見つけた背後には敵機の大編成が風上へと飛んでいくのが見える。


進路は変わらず北に向かっているようだ。


どうやらこちらにはやってこないのだろう。


下町は木造住宅が密集しているため、一度火がついたらあっという間に燃え移り、大火災になってしまう。


今夜は強風でもあるので更に被害は大きくなるはずだ。


その効果を狙った攻撃は、米軍が日本とよく理解し研究を重ね、戦略を練っていることが分かる。


屋根瓦は燃えないが、この瓦を突き破ればあとは木の柱、木の板でできた壁、床には板張りの廊下や畳、家の材料は木なのだ。


襖や障子などの建具は紙、家具類も木でできている。


家の中には燃えるものしかないといっても過言ではない。


ならば焼いてしまえばそこに住んでいる者たちも戦意意欲が削がれて、戦争はできなくなり終結する。


戦争を終わらせられる。


効率の良い戦略だろうが米軍の考えた攻撃は千颯にとっては恐ろしいとしか思えないのだが。


これが大本営の考えるところは、非戦闘員も戦闘員も関係なく攻撃せねばならないほどに敵国もなりふり構っていられない……と取られなくもない。


この事態を好機ととらえても良いものなのか……それとももっと、まだたくさんの国民の生命を犠牲にして戦わなくてはならないのか。


千颯はこの大群に、圧倒的武力に恐れを抱いたが、軍はこの空襲に敵国は切羽詰まってきたことと発表することで戦意喪失にならないように鼓舞し国民を追い立てるのか、考えることになった。


この巣鴨から下町までは凡そ四から五キロの距離なので、少しでも進路が西にずれるとすぐに巣鴨に戦火が広がってしまう。


竹田兄弟は幼いからこそ飛来してくる敵機が落としていく焼夷弾の脅威が想像しにくいのだろう。


千颯の目に映る炎の雨はまだ降り注いでいて、その中を逃げねばならない人々の恐怖をまるで無視して火を消しに行くことしか考えられていない。


そんな子供たちや軍からの教練を真面目に熟していた大人たちが消せない火を相手に消火活動をして逃げ遅れてしまうのだ。


千颯の住むこの地域は下町に比べると畑や田んぼばかりだ。


ほんの少しの地域差で景色が変わるほど長閑な風景なのだ。


下宿屋の修一郎と奥さんが探したこの地は、庭付き一戸建てだが、農家だった売り家をそのまま買い取ったことで広大な畑地までついてきてしまった広い敷地。


民家は畑の中に埋まるようにポツリポツリと点在するので、隣組の班員も連絡事項の伝達で使用する回覧板も、ちいさな子供を一人でおつかいに出すのにちょうどいい距離にお隣さんがあるくらいの百姓の村、と思えるほどの、そこだけぽっかりと民家が途絶えたような田舎扱いの場所だ。


修一郎氏は野菜を育てるのが好きで、弁護士の仕事をしながら奥さんを巻き込み一家で採れたて新鮮な野菜を使って美味しい料理を食卓で囲むのが夢だったそうで、達成したときにはとても幸せそうな顔を見せていた。


その家や畑を守れないかもしれない不安があるのだが、米軍の攻撃の目的がたくさんの家屋を焼き払うという作戦ならばこの辺りには焼夷弾を落としていく可能性は低いのかもしれない。


しかし米軍の考えることは千颯には分からないので空襲警報が鳴る度に避難せねばならない。


今夜の下町を狙った火災による攻撃は、燃えるものの少ないこの地域であれば戦火は延びてはこないはず。


が、念のためのということと、戦火から逃れてきた人たちが押し寄せてくることのあるのでもうしばらくは離れた方が良いとも考える。


班長さんたちも千颯の考えることを真剣に聞いて受け止め、皆をもう少し歩かせることにした。


これから生きるための行動を一緒に考えたり意見を聞いてくれる大人がいることにうれしくなった。


警報が鳴り始めてどれくらい経ったのか時計を持っていないのでよく分からないが、東側の炎の勢いが強くなっていく……。


竹田家から西へと続く道を歩ていくと次第に右へと曲がって北へと延びていく。


班長さんたちの集団が追いついた。


「千颯君、園部さん。確かにあんな大火災になってしまうと僕たちが消火の手伝いには行きたくても行けそうにないことがよく分かったよ」


班長さんが千颯と奥さんを見つけて話しかけてきた。


だからといって千颯は自分の考えていた通りになってしまっていることを自慢気に態度に表すことはしない。


むしろそうなってしまったことが恐ろしくて、どうしようもない無力感に声に力が入らなくなってきている。


「そうなってしまったのが辛いですね……」


背後の赤い光にため息が大きくなってしまう。

全然話が進んでいませんね。

すみません。


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