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勉学を支援してくれる人がいなくなってしまうと途端に学習速度が遅くなったことに、今までの待遇が良すぎたのだと千颯は実感した。


それでも千颯の勉強に対する意識は変わらずにいられたのは、双子の所有する書籍が興味深かったからだ。


彼らが使った教科書の書き込みやメモが単純に面白かった。


入室許可がおりて、早速本棚に収まっている書籍の中から引っ張り出した本は千颯が現在使っている二学年の国語の教科書だ。


その中身をパラパラとページを捲って何が書かれているのかを確認するのが簡単だった。


走り書きやメモの内容を、自分が勉強してきた内容との精査をしているのだが、内容に沿った書き込みがなされているし、解りやすい。


双子がそれぞれ使っていたので同じものが二冊並んで本棚に収められている。


千颯はもう一冊の同じ教科書も出してみる。


同じページを開いてみると、二人の個性が表れていた。


後から出した方の書き込みの文字が汚い。


読む……解読するのに時間がかかる。


所有者の名前を確認すると、教科書の裏表紙に「園部厚司」とやはり癖の強すぎる文字があった。


読みやすく解りやすい方には「園部孝志」と書かれている。


千颯は厚司の教科書を読むのを諦めて孝志の使った教科書で勉強することにした。


何が書かれているのか読めない教科書よりも参考書以上にまとまっている美しいページを読んで勉強したい。


誰だってそう思うだろう。


千颯は自分が使っている教科書に孝志と同じように読みやすい書き込みをして、友人たちにも学習内容をまとめて教えていくことにした。


下宿の夕飯時に奥さんから相談を持ち掛けられた。


相談内容は、家の敷地内に新しい防空壕を作ってその中に家財道具を入れて非難させたい、ということだった。


家財道具といっても一番守りたいのはご主人の仕事関係の物だという。


ご主人である園部修一郎氏の職は弁護士で、自宅の一部屋を納戸にしてたくさんの書籍や依頼の書類に資料が山積みにしている。


日々の情報収集と弁護の参考になるかもしれないという理由で毎日複数の新聞が溜まっていき、納戸の荷物が増えていく。


戦争が始まる直前に都心の弁護士事務所にほど近い下町から長閑な西巣鴨に転居した。


大事な資料なども事務所から自宅に持ち帰り管理していたのだが、この西巣鴨にまで空襲があるのでは焼失してしまうかもしれないと心配になり、奥さんに壕を掘って荷物を守ってほしいと頼まれた。


非力な女の腕では壕などいつまでたっても完成しないので、学生で時間のとれる下宿人の千颯が手伝うことになった。


毎日の奉仕作業で掘ることには慣れている千颯がやった方がはるかに早く防空壕が出来上がる。


頑張って奉仕作業後のつかれた身体をなんとか動かして掘り続けた。


どこからか、つっかえと補強の木材を調達してくるのは、この家の主人である園部氏で、彼の職業柄のおかげなのだろう情報が入ればすぐに動いて道具なども入手してきた。


家の勝手口に住人用の防空壕は転居してすぐに作っていたので、今回の2つ目の壕を作るための材料は何が不足しているのかわかっていたのだろう。


園部氏が指示して、千颯がその通りに作業を進める。


家財用の壕は完全に千颯が作ったといってもいいくらいに作業量は圧倒的に千颯が多かった。


おかげで愛着がわいて、居心地がいいと思えるのは千颯だけだ。


時間はかかったが、勉強よりも家財道具用の防空壕を作る方を優先して、指定されていたよりも大きく作り双子が残していった書籍や荷物も入れてしまう。


まだ余裕があったので住人全員の荷物も詰め込んだ。


更に物書きができるように小さな机も置けるようにした。


家財道具がなくなってしまったので家の中は妙にすっきりとしている。


荷物はこれで安心だろうとはいえ、この壕に爆弾が直撃してしまえば防空壕は簡単に破壊され、中に入れていた物はすべて壊れたり燃えたり、それこそそこに人がいたら即死してしまうのだが。


何も対策していなければ確実に着の身着のまま焼け出されてしまい一文無しになるので、すこしでも財産を残しておくための緊急対策をしていなければならない。


ほとんどの家庭でも大小様々な壕を掘って食糧や貴重なものを敷地内に保管していた。


壕が完成してやっと落ち着いて勉強ができるようになった。


必要な物や本、参考書になった双子の教科書を開いて、灯火管制の不便な中でも千颯は勉強をすすめていく。


学んだ教科書のまとめを同じ奉仕作業仲間の高階たちに教える。


それが昼休憩の短い時間ではあるが、貴重な彼ら中学生の勉強時間だ。


この昼休憩にはいつの間にか他の作業仲間も加わるようになり、また引率教師も見守る傍らで、もう少し踏み込んだ説明をしてくれるようにもなっていく。


こうして千颯たちは戦時でも己のやるべきこととやりたいことを両立させ、それぞれ学生らしく教師らしくあろうと努めた。


たまに派遣されてくる軍人も教練指導でやってくるが、学生たちが懸命に集中し作業を頑張っている迫力を目の当たりにして、疲れているにもかかわらず勉学にも励んでいる昼休憩の時間までは、口を出してくるようなことはなかった。


それが千颯たちの日常になった。


三月十日。


日付が変わった直後に始まった。


サイレンが鳴ると同時に飛行機のエンジンの音が聞こえてくる。


家財用の壕で勉強をしていた千颯は、そろそろ自分の部屋に戻ろうと孝志の数学の教科書を片付けていたのだが、警報音を聞くと反射的に学生帽と防空頭巾を入れている鞄を掴んで確実に明かりを消してから壕を出る。


外に少しでも明かりが漏れると叱られてしまうので、本当に気を付けなければならない。


灯火管制が徹底されている中での勉強は自分の部屋でするにはどうしても光が漏れてしまうので、家財用の防空壕に入ってランプの光で励んでいた。


夜中にランプの光だと集中できるし教科書類もあるし、空襲があっても逃げ込むことはもうできているので楽だと思ったのだ。


三月に入ったというのにまだまだ寒い日が続くなか、勉強しようと壕に向かった千颯は玄関を出てすぐに「今日は北風が強いな」と思ったことを思い出す。


この空襲で焼夷弾を使用されたら強風の影響を受けて火が燃え広がってしまうかもしれない。


米国が日本家屋を効率よく焼き払うために開発した焼夷弾は去年から使われ始めていて、なぜ千颯がそんなことを知っているのかといえば、奉仕作業で知り合った新聞社に勤めている鈴木氏から得た情報だった。


この焼夷弾がどんな兵器でどんな威力があるのかを教えてもらえた。


まず、燃えやすい油が入っていて、その薬剤は消火が難しいということ。


一つ一つは小さな火種だがその火種が大量に空からばら撒かれると、木造建築が多い地域では大火災となること。


そして火を消している間に周りの火災で火に囲まれて逃げ遅れてしまうこと。


「だからこの焼夷弾による攻撃が始まったら火を消すよりも風上に逃げるんだ」


鈴木氏から聞いた話は、大本営の話とは逆だった。


大本営の発表では火を消し止めるのが最善だというのに。


どういうことなのかを聞けば、鈴木氏は小声で誰にも言ってはいけないと念を押してから話し始めた。


まず火種となる焼夷弾は飛来してきた敵機から落とされ瓦を突き破り、油をまき散らして火が付く仕組みだ。


どんな材料を充填しているのか分からないが水をかけても砂をかけても火は消えにくい。


それが大量に降ってくるのだから、一つ一つ消火するのは人海戦術であっても到底不可能だ。


鈴木氏は新聞社に勤めているから正しい情報が入って事実を話してくれたのだが、この情報はここで留めておかなければならないという。


「この事実が広まってしまうと総動員法違反に触れて憲兵に連行されてしまうから、君が正しい知識を持っていてくれればそれでいい」


「僕が?」


「手遅れになる前に逃げ延びるんだ。この戦争が終われば君たちがこの国を支えていかねばならないのだから。……こんなこと言ってはいけないのは分かっているのに。はぁ……」


鈴木氏のため気を付く顔を見て、僕と同じような葛藤をこの人もしているのか、と千颯は感じた。


新聞に正しい情報を載せることができず苦悩している。


戦争に不利になると思われる記事はたとえそれがどんなに正しいことであっても規制されてしまうのだ。


国民を鼓舞し戦争に勝利するまで、玉砕しても、最後の一人になっても、国を守るため、陛下のために、竹やり訓練に参加せよと奮い立たせる記事を書かねばならないのだ。


新聞の内容と新聞記者の思想はまるで違っていて千颯は驚いていた。


とはいえ、今夜のこの敵機の大編成は本当に不気味なのだ。


敵機が進んでいく方角を確認していると、隣組の班長と近所のおじさんがやってきて声をかけてきた。


「おぉ? 千颯! まだ防空壕に入っていなかったのか!?」


「はい。攻撃が始まってから入るか考えようと思いまして」


「あぁ、そうだな。今夜は風が強い。こんな日に空襲なんて。この辺は下町でも人家が少ないから攻撃される可能性はないとは思うが」


「だといいんですけど……」


「祈るしかない」


近所のおじさんが呟く。


「なんだか嫌な感じがして気持ち悪い。数も多いし」


轟々と多数のエンジンの音を唸らせてやってくる敵機を見上げている班長の眉間にしわが寄っているように見えた。


「とにかく気を付けるんだぞ?」


「はい」


暗がりの中、二人は次の班員の避難状況を確認しに走って行った。


彼らを見送っていると奥さんが防空頭巾の紐を結びながら玄関から出てきた。


「あ、千尋さん! まだ防空壕に入っていないんで探しましたよ。早く入りましょ!」


「いえ、僕はまだここで様子を見ておこうと思います」


「ええ!? どうして!?」


いつ始まるか分からない米軍の攻撃を見るというのは不謹慎だ、と言いたげな奥さんの表情に千颯は東側の大編成を注視したまま説明を始めることにした。


月はなく星々だけの頼りない空に、次第に大きくなってくるエンジンの音がとても不気味で、これまでの比べものにならないくらい良くないことが起きるのではと不安になった。

何となくこんな感じで情報が出回るのかなと思って書いてます。


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