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世界の片隅で生きるということ  作者: 鈴音あき


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すると家の外に人の気配がした。


千颯が使わせてもらっている部屋は通りに面している。


カーテンがしっかりと閉じられた硝子窓越しにかすかな物音が聞こえたのだ。


気になったので、千颯は寝るのを諦めて玄関から様子を見に行くことにした。


もしかしたら家主の修一郎氏が帰宅したのかもしれない。


そうであってほしい。


そう願いながら千颯は鍵を開けて外に出た。


家の門の傍で数人が座り込んでいるように見えた。


まだ暗がりの中、誰がいるのか分からないがさっきまで一緒にいた隣組の人たちではない。


もちろん修一郎氏でもなかった。


こんな空襲のあった夜に酒で酔っ払って道端で眠りこけるような者もいないだろうし、きっと下町方面からの避難者がここまで歩いてきたのだろう。


千颯は奥さんを起こして相談するために一度奥の間へと戻った。


襖を叩いて奥さんを呼ぶと、まだ寝ていなかった奥さんが返事をして出てきてくれた。


外の様子を話すとすぐに家の中に入ってもらうようにと頼まれた。


外で座り込んでしまっている人たちに千颯が声をかけている間に、奥さんは明かりをつけている。


全員がよろよろとしながら玄関土間に入ってきてくれたので戸締りをしようとしたのだが、奥さんから「まだこういう人たちがいるかもしれないから鍵はかけないでおきましょうか」とやんわりと断られた。


奥さんが薬缶でお湯を沸かし始めたので、何か手伝いますと協力したいと言えば「じゃあ、部屋の明かりをつけてもらいましょ。 灯火管制に気を付けてくださいね」と指示された。


そしてそれが終われば避難してきた人たちの人数を数えて「……しばらくの間、千颯さんのお部屋を使わせてもらうことになるかもしれませんが、よろしいですか?」と小さな声と早口で問われた。


もちろん家主の言うことに否やはない。


「はい。僕は家財道具の壕に横になれる場所を作っているので、僕一人なら壕でも平気ですよ。どうぞ避難してきた人たちのために使ってください」


と、言わざるを得ない。


一人になれる場所というよりも、豪にいる方が居心地が良くなりつつある空間だし、愛着も沸いてきている。


豪ができてからはこちらにいる時間が多かったりするのだから、奥さんも千颯の行動を観察していて自室を数人でせせこましく気遣いしながら生活するよりも、遥かに良いだろうと思っているかもしれない。


自室には着替えと布団があるくらいで、勉強道具や本などは壕の中に持ち込んでいる。


千颯の荷物はほとんどない。


2,3往復すれば部屋の中は空っぽになる。


「では、僕の荷物は多くはないので今運び出していまいます」


ごく少量の引っ越しをしてから「お湯に浸かって疲れを癒してもらいましょう。僕、お風呂の準備しますね」と奥さんに声をかけた。


家の明かりをつけていた時にちらりと見えたのは、煤で汚れ焦げ臭くなってしまっている人たち。


彼らを安心して眠らせてあげたいと思った千颯は風呂でさっぱりとさせたいと思い、風呂に入ったら少しは気持ちが休まるのではないかと奥さんに提案した。


奥さんも千颯に同意した。


その間に奥さんは防空頭巾を外してあげたり濡らした手ぬぐいを渡したり静かに声掛けをして世話を焼く。


薬缶のお湯が沸いてきたので熱いおしぼりにして手渡すと彼らはほっとした顔を見せた。


風呂を沸かすのは重労働で時間がかかる。


千颯は息を吸い気合を入れた。


井戸から水を2,3回汲んで五右衛門ぶろにザバザバと流し込んでいく。


風呂の外に回り込んで薪を手早く組んで火をつけた。


少し空気を送り込んでやればすぐに燃え上がり、さらに薪を投げ込んで火力を上げる。


これを何度も繰り返しお湯の量を増やしていく。


日常では家には修一郎氏と奥さんと千颯の3人しかいないので、風呂を沸かすことが無くなってしまった。


双子の厚志と孝志がいたときには沸かしていたのだが疎開の引率をして地方に行ったままでは燃料の薪がもったいないので沸かさなくなったのだ。


今は隣組の班長さんか副班長の鈴木さん宅の風呂を隣組の全員で使わせてもらう生活である。


それも毎日ではない。


風呂に入れない日は薬缶でお湯を沸かして手ぬぐいで簡単に身体を拭いて終わりだ。


千颯が頭を洗うのは月に一度、風呂の時だけ。


それ以外は井戸の水で手早くガシガシと洗うくらいで坊主頭だからすぐに済ませられる。


女性は髪を結うのでそういうわけにはいかないから、週に一度は借りた風呂で洗っているんだろう。


幸い入浴中に空襲警報がなったことがここではない。


どこかは知らないが風呂に入っているときに空襲が始まって全裸で逃げることになった男がたらしい。


これはもう不運とした言えないが、しっかりと衣類と手荷物だけは持っていたようだ。


新聞記者の鈴木さんからこの話を聞いた千颯は、自分がそうなったときに慌てずに行動できるのだろうかと想像してみたが巧くいかなかったのは数日前のこと。


そして今夜は風呂に入る日ではなかったし、風呂を使わせてもらっていたとしても火は落としてしまっているし、第一こんな時間に押し掛けるわけにはいかない。


今からの風呂の支度は、焼け出されて路頭に迷い困っている人たちを少しでも安心して休めるためのもので、決して贅沢ではないと自分に言い聞かせる。


そう思って風呂の準備をしていく。


いつものように江戸っ子が好む熱めの湯ができたので奥さんに伝える。


部屋を汚さぬようにと遠慮して廊下の端に固まって座っているのが見えた。


彼らは奥さんが入れてくれた白湯を大事そうに両手で包み、かじかむ手を温めていた。


「さあ、お風呂に順に入ってくださいな。きっと気持ちも休まりますよ」


奥さんは膝をついて彼らと同じ目線になった。


「本当によろしいのですか?」


「もちろんです。今夜は大変な目に合われたのですもの。しっかりと休んで、それから次のことを考えましょ。まずは英気を養ってください。お子さんからお風呂を使わせていいですか? ……小さいのによく頑張りましたね、偉いわ」


奥さんは子供を褒めて小さな肩を撫でた。


「お母さん、大丈夫ですか? お子さんと一緒にお風呂どうぞ?」


子供の隣で礼儀正しく正座をしていた女性に声をかけた。


「いえ。私、この子の母親ではありません。この子のお母さんから頼まれて預かっているだけなんです。たまたま同じ方向に逃げている途中だったので」


「え……それじゃあ」


「はい。防空頭巾に書かれていることしか、私この子のこと知りません。でも、頼られたら守ってあげなきゃ……一緒にいてあげなきゃって思って」


母親だと思って話しかけると、その女性は子供とは何のかかわりもない他人だったと知って一同が驚いた顔をした。


「ずっと手を繋いでいたからてっきり……」


一緒にここまで逃げ延びてきた人たちも親子だと思っていたのだろう。


「そうなんですか。それはご苦労様でした。えーと。この子の名前は、田沼勝弥くんというのね。男の子ね。では……母親ではないというのなら、この子と一緒にお風呂に入って面倒を見るというのは、無理かしら」


「はぁ……。私まだ女高だし……結婚もしてませんし……小さい子の面倒も見たことがなくて」


「あらら……。それは恥ずかしいわねぇ。ごめんなさいね」


「いえ……」


「それじゃあ、そちらの男性に一緒にお風呂に行ってもらいましょうか……。お願いできます?」


「はい。そういうことなら。ボウズ、おじさんと風呂に行って身体を洗わせてもらおう。いいかい?」


「……はい」


二人はのろのろと腰を上げて風呂に向かうことになった。


「では、お風呂の場所を……千颯さん教えてあげてくださいね。私はこの人たちが着られそうなものを用意します」


「はい。勝弥くん、こっちだよ、おいで」


「うん」


おとなしくいうことを聞いてくれるのは、甘えられる環境ではないことを十分に理解できているからなのか。


千颯が二人を連れて風呂に向かう。


台所を通り抜けて突き当りの開き戸は外に出る勝手口でその右側が脱衣所と風呂場。


戸を開けて先に中に入る。


「ここが風呂の場所です。熱めに沸かしているので緩めましょうか。……子供が入れる温度ってどれくらいなんだろ? あ、服はその棚においてください。手ぬぐいはそこに積んであるのを使って良いです」


千颯は少し悩みながら水を足していき、脱衣の置き場を教えた。


その間に奥さんが一緒に逃げてきた人たちからどうやってこの集落までたどり着いたのか事情を聴くことになった。


田沼勝弥くんと手を繋いでいた速水菊子という女性は、教職志望の女高4年生だった。


菊子自身も同居していた家族と離れ離れになってしまい、一人で燃え盛る町の炎の中を必死で逃げている途中だったのだが、同じ方角に向かっている勝弥の母親が偶々隣り合っていた菊子を呼び止めて「もう一人の子と手が離れてしまったので探しに行くから先に勝弥を連れて脱出してほしい」と頼まれたのだという。


そして、託された勝弥は7歳の男の子で、まだうら若き乙女が、いくらまだ子供だとはいえ混浴するのは、帝国女子としては抵抗感があったのだ。


園部家までたどり着いたのは5人。


菊子、中年女性の原田優子と中村法子、風呂に入っている勝弥と男性の石橋三郎。


全員が見知らぬ者同士で、石橋氏が4人を励ましながらここまで引率してきたらしい。


この石橋氏は素性がよく分からないが、子供の扱いは巧いのか風呂からは水音しか聞こえない。


勝弥少年が母親と無事に再会できるように皆が風呂の方を見て祈る。


奥さんから修一郎氏の持ち物の寝間着など一式を受け取り、脱衣の引き戸を開けると石橋氏の声が聞こえてきた。


「熱くないかい?」「これで身体を洗いなさい。俺も一緒に洗うから」「自分でできてえらいぞ」「あ、ここ、洗い忘れてるな。手伝ってやろう。これからは気を付けて」「おー、奇麗になった。お湯に浸かって温まろう。俺も浸からせてくれ」「もう少し奥に詰めてくれるか?」「はぁ……。気持ち良いな……」


石橋氏が甲斐甲斐しく世話をしている声だ。


勝弥の声は聞こえないが、きっと頷いたりの反応はあるのだろう。


独り言のように聞こえるが、ちゃんとやり取りをしているようだ。


「すみません、聞こえますか?」


千颯は風呂場の二人に声をかけた。


「あ、はい。聞こえています。なんでしょう?」


返事をしたのは石橋氏で、少し気持ちが和らいだのか緊張がほどけてきた声だ。


「石橋さんの着替えはここに置いておきます。この家の主人の寝間着ですが……」


「わかりました、ありがたいです」


「でも、勝弥君の着替えがちょっとなくて、ですね。どうしようかと」


「……あ、そうですねぇ。ボウズの体型のモンはないよな。どうするか」


「この時間なので近所で子供のいる家に借りに行っても起きているとは思えなくて。今夜の空襲でみんな疲れて寝てしまっていると思うんです」


「ある」


そこまで言って、少年の声が聞こえた。


子供の着替えの話を聞いて、自分のことを話しているのだと気づいての返事だ。


「……ある?」


「うん。……ある。……着替え……下着だけ。……僕の袋に。一つだけ……入れてあるの」


か細い声は、弱弱しく、辛うじて千颯は聞き取れた。

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