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帰郷 Ⅱ

 躊躇いと罪悪感を飲み込む。


 ――もう遅い。考えるな。


 先程屋敷へ通してもらった際にも、使用人しかおらず、護衛となるものはいなかった。滞りなく進むだろう。そう考えながら、背後からする足音に意識を向けていた時だった。


 呆然としているように見えたジベールが勢いよくウィルバルトに近づき、強く腕を掴む。自分がしようと考えていることが全て見透かされているような気がし、背筋が一瞬にして冷たく凍りついた。


 何を、と思う間もなく、ウィルバルトはそのままジベールの腕の中に抱き込まれる。


 ――え……。


 「おいおい、少ないんじゃねえか?」


 予想外のことに体を硬直させていたウィルバルトの耳に、どこか懐かしい声が響く。

 体を動かせないままに視線を向けると、ウィルバルトが連れてきた者たちと、別の騎士らしき格好をした者たちが争い合っていた。カキンッと小気味良い音をさせ、剣と剣がぶつかり合う。

 見覚えのない騎士たちを率いるのは、ウィルバルトの下の兄、アルバレスだった。

 アルバレスが抜き放った剣を振り回しながらジベールに問いかける。


 「おい、兄貴。こんだけか?」

 「それだけだ」


 ウィルバルトが連れてきた者たちには、想定外の出来事に、動揺が透けて見える。戦闘力でも人数でも劣り、乱戦状態になったかと思うと、一人、また一人と制圧されていく。


 「まだ、動くな」


 思わず動きかけたウィルバルトの体を、ジベールが引き止める。アルバレスの剣が流れるように動いていた。

 完全に掃討された後、ウィルバルトを離したジベールにアルバレスが近づいてくる。アルバレスはそのままウィルバルトに目を向け、ニカっと笑った。


 「久々だなあ、ウィル。元気でやってたか?」

 「は、はい」


 反射的に応えながらも、ウィルバルトはこの状況が全く飲み込めていなかった。家を襲撃し、乗っ取るはずだった。それが、何故か今日は不在のはずのアルバレスが現れ、制圧してしまったのだ。加えて、ジベールとアルバレスに動揺した様子は全く無い。


 そんな戸惑いが伝わったのか、アルバレスが楽しげに笑って言った。


 「とりあえず、中入って話そうぜ」


 大人しくうなずき、今しがた出てきたばかりの屋敷へ歩き出そうとしたとき、腕の違和感に気づく。ウィルバルトの腕はジベールに握られたままだった。


 「あ、あの」


 ジベールはウィルバルトの顔をちらりと見ると、無言のままウィルバルトを引くように歩き出す。ウィルバレスが連れてきた男たちは、意識を失って入るものの、大きな怪我はない様子だ。アルバレスは縛り上げるよう指示を出すと、上機嫌でウィルバルトとジベールの後に続き屋敷にはいる。


 先程と同じ部屋に入ると、ジベールはウィルバルトの腕を離し、向かい側に座るよう顎で示す。アルバレスはジベールの隣に腰を掛けると、間にある机に足を乗せた。


 ウィルバルトは、話ができそうな状況になったのは良いが、なんと聞けば良いのか……と黙り込む。まさか、あの門で縛られている者たちに屋敷の占領をお願いしていたのですが……と切り出すわけにもいかない。


 「セオドール王子に協力しよう」


 出し抜けにそういったジベールに、ウィルバルトは自分の耳を疑う。


 「え、はい、え?」


 聞き間違いか。確かに先程すげなく断られたはずだ。


 「あの王子に協力すると言ったんだ」


 はっきりと再度告げられた言葉に、喜びよりも混乱がくる。

 言葉の足りないジベールに付け足すよう、アルバレスが笑いながら口を開く。


 「っはっ。だからなウィル。兄貴はお前んこと試してたんだ」

 「た、試す?」

 「潔癖で汚い手が使えなかった、貴族に染まりきれなかったお前が、どこまでやるようになったかっつうな」


 どこまで、やる?

 ウィルバルトは察するものに顔を青くしながらジベールを見る。ジベールは表情を動かすことなく淡々と話す。


 「どうしても相手にこちらの要望を飲ませたいとき、どういう手に出るか?つまりお前は屋敷の占領。大方、革命のときだけでも、家の名を自由に使いたいと考えたんだろう」


 ――気づかれてっ……!


 「全く駄目だ。私がお前の立場なら、適当な罪を捏造し王宮の騎士団を大々的に引き連れ、牢に入れる。今は戦時中だ。裏切りでも不敬でも内通でも、いくらでも罪を被せられる」

 「ま、兄貴ならそんぐらいはするな」


 絶句したウィルバルトをよそに、ジベールが説明をする。


 始めから話を受ける気であり、協力するつもりであったこと。ウィルバルトの考えは六頭立ての馬車を見た時に気づいたこと。曰く、貴族らしい明らかな示威行為を嫌うお前が、必要ない大きさの馬車には乗ってこないだろう、と。




 ジベールがウィルバルトに書類の山を差し出す。


 「あの王子には、”協力は吝かではないがある程度の()()()はきいてもらう”、と伝えてくれ」


 細かな文字でびっしりと書かれた紙の束を受け取りながら、押されるように頷く。

 オロオロしどうしのウィルバルトを促しながら、アルバレスが立ち上がった。


 「門まで送るぞ。ウィル」

 「なら、私も――」

 「兄貴は来んなよ?さっき話してたろ。オレもウィルと話したいしよ」


 ジベールはウィルバルトとアルバレスを不機嫌そうに見ると、小さく分かったと応えた。

 ウィルバルトには、ジベールにまだ聞きたいことが山ほどあった。が、聞けるようにも思えず、素直に帰ることにした。何よりも、混乱した心を一度落ち着けたかった。






 アルバレスト並んで部屋を出たウィルバレスは、途端に体が固くなるのを感じた。ジベールは苦手だ。いつも無表情で何を考えているのか分からない。その上、優秀なあの兄に劣った自分が並ぶのが酷く不釣り合いに思えていたたまれないのだ。

 だが、もしかするとアルバレスのほうが苦手かもしれない。アルバレスは快活で、はっきりと物を言う。誰に対してもそうで、ただ、馬鹿なわけじゃない。何も考えていないような笑顔で告げられる言葉に薄っすらと感じられる毒がある。それに気づくか気づかないか、いつも試されている気がした。

 それに、ウィルバルトが知っているアルバレスはもう何年も前のアルバレスだ。今のアルバレスがどんなふうなのかもまるで分からず、それが更にじんわりとした恐怖を感じさせる。


 「ウィル、お前」

 「はい」


 声が震えていないかと考えながらも、どうにか返事をする。普通。普通だ。自分もアルバレスも。至って……


 「オレと兄貴んこと苦手だろ」

 「っ……」


 答えに詰まったウィルバルトをアルバレスが嗤った。


 「それはいいんだよ。でもな、兄貴のことはもうちょい大目に見てやってくれ」

 「大目に……?」

 「お前はわかり易すぎるんだよ。貴族なら相手の好き嫌いはするな。しても見せるな」


 正論だ。これからセオドールを支えていく中で、ウィルバルトに必要なことだった。


 「兄貴が、今日なんであんな回りくどいやり方したか分かってっか?」


 ウィルバルトは首を傾げる。回りくどいやり方、であったかが分からなかった。勿論、なんでそのやり方だったのかも。


 「兄貴は、あの王子のこと嫌ってんだよ。……いや、苦手、のほうが正しいか」


 ウィルバルトは小さく目を瞬かせながらアルバレスの方を見る。


 「だからあっさり協力約束すんのが悔しかったんだろーな。未熟者なんだよ。でもって分かりやすい。かわいいやつなんだよ」

 「苦手、なんですか?兄上が?」


 ウィルバルとは思わず聞き返しながら、セオドールとジベールが並ぶ姿を思い浮かべる。セオドールはジベール相手でも何も頓着しないように思えた。ジベールは……関心を寄せるのだろうか?ましてや、苦手意識を持つなんて……?


 アルバレスが喉の奥を擦るように笑う。


 「なんだ、全然気づいてなかったのか。わかりやすいだろ、兄貴は」


 アルバレスの顔をまじまじと見つめてしまうが、本気でそう思っているようだった。


 「私には全く分からないのですが……」

 「わかりやすいぞ。今日だって、お前に兄らしく指導してやろうって張りきってなぁ」

 「へっ?」


 アルバレスが口をすぼめ、ガシガシと頭をこすった。


 「なんだ、それも気づいてねぇのか?……じゃあ、兄貴がお前んこと溺愛してるっつうのは?」


 できあい。

 その四文字が頭の中で意味を求め彷徨う。

 しばしの沈黙の後、ウィルバルトの表情をみたアルバレスが苦く笑っていた。


 「……マジかよ」




 「――つまりな、今日だって、オレとアイツら、あ、アイツら持って帰れよ。……オレとアイツらが争ってっとき、兄貴お前んこと抱え込んでただろ。……あ?逃さないため?ちげぇよ。大事そうに抱え込んでたろ。お前が差し向けたやつだって分かってんのによ。……わっかりやすい過保護だろ?……なんで気づかないんだ……」


 「昔からそうだぞ。お前があの王子んとこ行ったとき、さっさと引き剥がしてやるって息巻いて、直接強引に連れ帰ろうとしてたから、オレが手紙にしとけって抑えて……」


 「だから、なんだ……兄貴んこと大目に見てやってくれって話だ」


 戸惑いながらも頷くと、苦い表情だったアルバレスが満足げに破顔した。

 これで話は終わりかと、馬車に乗り込もうとしたとき、アルバレスがウィルバルトの腕を掴む。


 「お前を思うあまり威圧感が増してる兄貴はともかく……ウィル、オレのことはなんで嫌いなんだろーな?」

 「いえ、そういうわけでは……」


 嫌いなわけじゃない。苦手なだけだ。


 「顔、ひきつってるな。一目瞭然だぞ。もうちょい隠せ」


 思わずパッと手を顔に当ててしまう。それを見たアルバレスがこういうところがわかりやすいんだと言わんばかりにニヤニヤと目を細める。


 「ウィル。一番強えのは兄貴みたいな仏頂面じゃねぇ。笑顔だ。笑え。どんな状況でも声上げて笑えるやつが一番強いんだよ」


 アルバレスの言葉が頭に染み入ってくる。思い浮かべるのは……アルバレス。そして、セオドールだった。いつだって、笑って――


 アルバレスが目を細め、なんでもないことのように続ける。


 「あとな、オレなら兄貴の案に加えて、侯爵家の関係者は火事を装って全員消す。ついでに戦争の硬直状態を兄貴とオレの内通のせいにして、中流階級の不満を一気にまとめ上げる。……なんてな。そこまですんなら、周りから切り崩さねぇと難しい、か」

 「あ、あの――」


 ウィルバルトが口を開きかけた時、アルバレスはひらひらと手を振りウィルバルトが乗り込んだ馬車の御者に合図した。

 馬車がぐっとひかれ、あたふたとするうちに走り出した。






 アルバレスが弟をのせてくりだした馬車を見ながら小さくつぶやいた。


 「兄らしく、か」


 そこへ背後から声がかかった。


 「どうした?お前が感傷的になるというのも、珍しいな」

 「数年ぶりに弟に会ったんだ。そうもなる」


 アルバレスはジベールへそっけなく返しながら伸びをした。


 「あいつの兄として、何ができるかって、思っただけだ」


 「協力を約束したんだ。それに他ない」

 「そんなもんか?」

 「そんなものだ」


 アルバレスは、そんなんだからウィルに想いが伝わってねぇんじゃ、とボヤキかけ口をつぐむ。


 「早くしろ。やるぞ」

 「気合いはいってんな。こんなに分かりやすいっつうのに……。不器用兄と鈍感弟か。オレも苦労すんなぁ」

 「何か言ったか?」

 「いや、何も」


 アルバレスは今日見たウィルバルトの姿を思い浮かべる。小さかった弟は、大きく背を伸ばし、顔立ちからも子供のような丸みは消えていた。殻のついたひよこ同然だが、幾分か強かさを持ち、青臭さが薄らいでいた。


 家に卑怯という言葉はない。外道の人でなしであったとしても、目的達成こそが至上だ。そういう家で自分も兄もそう育った。だが、ウィルバルトは違った。幼い頃から、当たり前のなかから外れただ真っ直ぐに大儀を求め足掻いていた。そういうところが、ジベールやアルバレスにとって、愚かしく思え、同時に眩しく、愛おしく……不安だった。

 アルバレスは自分の知らないところで成長した弟を感慨深く思いながら、屋敷へと戻りはじめる。

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