瑠璃色の思考−A
ウィル――ウィルバルトは自室に入ると、ふっと息を漏らした。今日一日のことを思い、無事に終わったことに安堵したからだ。
セオドールはだいぶ疲れていたのか、ウィルバルトにしばらく抱きついていたかと思うと、すぐに寝てしまった。
今日はかねてより計画していた、セオドールが一人でこっそり王城から抜け出す日だった。
本当は行かせたくなかった。でも、セオドールが珍しく強く言ったことだった。
――ウィル、僕、街に一人でいってみたいんだ。
本当に唐突な言葉で、ひどく驚かされた。
――それは……危険です。せめて、私も一緒に。
――ウィルには、王城にいて誤魔化してもらわないといけないし、一緒には無理だ。
懇願するような言葉に答えたのは、真剣な声だった。
――ですが、護衛ぐらいは。
――大丈夫。
――あんな護衛でも身代わりぐらいは。
――ウィル、大丈夫だよ。
そう言って自信に満ちた顔で笑っていた。
昔からセオドールは、妙に自信がある時があるのだ。そういうときの瞳は力強い輝きを放っていて、反論を許さない。その後も考え直してもらおうと言葉を重ねたが、結局根負けするように協力したのだった。
普段王城内でずっと窮屈に思っていることにも気づいていた。
セオドールは両親を失い、王になる可能性が薄くなった。現王であるハラルド王の息子、ベルランツ王子が王になるだろうからだ。周囲の者はベルランツに取り入ろうと必死で、セオドールなんて眼中にない。
それだけならまだ王であった父を失った哀れな子という立場で同情を集めていたかもしれない。だが、周囲の者、特にハラルド王や、ベルランツ王子からは蔑みの目で見られている。
セオドールにはアティードがなかった。
アティードとは、昔から王族だけがもつ特別な能力のことだ。初代王が神から授かった力だと言われている。
様々なものがあり、先々代の王は、武に秀でた能力を持っていた。先代、セオドールの父は未来を視る能力を持っており、度々国をその能力で救っていた。アティードは幼少の頃から徐々に現れ、完全に定着するときは瞳が数刻の間、輝くほどの金色に染まると言われている。
王族はアティードを力の象徴とすることで、権力を確立していた。
古代より神に授けられた力だとされ、民は半ば神聖視しており、それを唯一持つものが王族とされている。ゆえに、アティードを持たないセオドールを王族と認めず、見下す態度をとっているのだ。
今はまだ、表面的には王族として扱われているが、いつ、どんな扱いを受けることになるか分からない。
ウィルバルトにとって王というものは、幼少の頃からセオドールだった。例えアティードを持っていなくとも、セオドールは間違いなく王族であり、王であった。
手のかかる弟のようであり、支えるべき子供であり、仕えるべき王子……。
ふと机においてあった手紙が目に入る。一番上の兄からの手紙だ。ウィルバルトには、二人の兄がいるが、二人の兄と父はベルランツの方についており、関係がいいとは言えない。
内容は毎回一緒で見なくてもわかるが、一応目を通してある。
セオドールの側近はやめて、家に戻ってくるか、ベルランツ王子の側につけ、というものだ。熱心に、セオドールの側にいることの不利益や危険性について書かれており、辟易していた。
何を言われようと、自分がセオドールの側を離れることなんてありえない。
ウィルバルトにとって、いつだってセオドールは太陽だった。本能で、感覚で、惹かれてしまう。飄々と明るく、自信があり、無防備で、たまにとんでもなく無茶をする。
そんなセオドールを自分の力の限り支え、その歩みの力になりたいと思う。幼い頃はよく分からなかったが、きっとこれが忠誠というものなんだろうとぼんやりと思う。
早く寝なければならない。明日も早い。
ウィルバルトは多忙だ。セオドールが多忙だからだ。王子として最低限必要な教養を身につけることはもちろん、貴族たちとの面会の予定もある。
ベルランツへの訪問の片手間、あるいは大派閥から外れでた貴族が利を狙い、王子であるセオドールのご機嫌取りに来るのだ。王にならないにしても、一応は王子。
菓子と空疎な美辞麗句を土産にセオドールの時間を潰しに来る。そばで見ているだけでうんざりとする光景だ。
セオドールはまだ12歳だが、決して何も分かっていないわけでもない。セオドールはあまり言わないが、貴族たちがなぜ自分と面会しているのかというのは察しているのだろう。面会と聞くと、口の中に虫が入ったかのような顔をする。
今日一日、セオドールがこっそりでかけていたため、面会予定者に体調不良だと誤魔化して回ったことを思い出す。時間になっても全く帰ってこなかったことも、だ。今回のようにまたあんな思いはしたくない。焦れるような、心配でたまらない思いだ。落ち着きなく、部屋の中をグルグルと回って待っていた。視線をセオドールが出ていった場所と時計の間を忙しなく行き来させながら、次々とセオドールに起こる悪い結果を思い浮かべていた。
――もし、何かあれば……
――もう危険なことをさせるべきではないのではないか
心配で、不安で、たまらなかった。だが、自分のそんな思いによってセオドールを繋ぎ止めるような真似も、したくなかった。
無事に帰ってきたとき、一気に息苦しさから開放された。
このままもう二度と外へ出すなんてことは……せめて、自分も一緒に……いっそ、閉じ込めて……。
そんな思いはすぐに霧散した。セオドールの顔を見たからだ。
血が通い赤く染まった頬に、明るく煌めく緑の瞳。久しく見なかった、生き生きとした表情。古着をまとっていてなお、その姿は輝いて見えた。何も言わなくとも、彼の居場所がここではないのだと悟った。
自分が惹かれているのは、他でもなく、この姿である。
きっといくら心配であったとしても、自分にはセオドールを止めることはできない。それどころか、無茶な要望に応えて協力してしまうだろう。
それでも、何ら問題も、何ら構うことも、ないのかもしれない。