革命を告ぐ Ⅱ
「セオ、後ろの……?」
エルガーが僕の背後にいる二人を見ながら不思議そうな顔をする。
「……ヴィオレッタ嬢に、自分の私兵も護衛につけると言われて……」
そう。それで僕は断ろうとした。
――いや、エルガーもいるし、大丈夫だから――
――いえ、ごめんなさい。こんな事を言うのは、間違っているのかもしれませんが……私は、彼を、信用できないんです……。
――え、何を言ってるんだ?エルガーが?信用できない?
――お願いします。彼は、嘘をついていました。
ヴィオラの瞳が冷たい光を帯びる。
――お願いします。二人ほど後ろにつけるだけでいいんです。
護衛がいることは悪いことってわけじゃない。二人くらいなら、問題もない。
――分かった。それなら
「そうか」
エルガーが短く僕に応え、じろりと僕を見た。
「なあ、セオ」
「何……?」
のんびりとしたエルガーの声が、音程が狂ったように奇怪に聞こえた。ふとめまいを感じ、意識が遠のき、流れる空気が温度をなくす。知らずのうちに、唇を湿らせていた。
――……信用できないんです。
そういったヴィオレッタの言葉が蘇る。打ち消そうとするが、なぜか拭いきれない言葉。
「俺は、疑われているのか?」
ぐっと喉の奥が詰まった。
僕が、エルガーを疑う?
抑えきれない罪悪感から、ちがう、と言おうとするが……気味の悪い何かがそれを止める。霧が深くなるように、淡い疑いが深まっていく。
答えに詰まった僕を見て、エルガーがどこか諦めたように息を吐き出した。
「……そうか」
エルガーが目の前の謁見の間の扉を押し開けた。いつの間にか話しながら謁見の間まで来ていたみたいだ。
ゆっくり開いた扉。無人のはずの部屋には、数人の近衛騎士。玉座に、国王が座っていた。落ち着いた様子で、僕をじっと見下ろしている。
待ち伏せだ。僕がここに来ると分かっていた顔だった。
「……エル、ガー……?」
僕の前を進んでいたエルガーが、ピタリと止まり、振り返る。
「その疑いは間違っちゃいない、な。お前はすっかり俺を信用しているとは思っていたが……」
後ろにも数人の近衛騎士が回り込む。僕と、ヴィオラがつけていた護衛の二人を囲むように、近衛騎士たちが動いた。
「……悪いな」
「なんで」
喉が渇き切り、かすれた声が出た。
分からない。なんでなんだ。何で、エルガーが?
いつから。どうして。どうやって。なんで。
エルガーが剣を抜き放つ。
きっと、憎悪と敵意のこもった目をしているのだろう。憎々しげに僕を睨みつけているのだろうか。そう思って恐る恐るエルガーの顔を見ると、悲しげに微笑んでいた。無数の傷がついた茶褐色の瞳。辛そうに結ばれた口元。痛む傷に耐えるように剣を握りしめている。
なんで。なんでそんな顔で、エルガーが僕を見るんだ?それは……僕が浮かべる表情だろう。
「どういうことなんだ?エルガー。もし、話し合えるのなら――」
「無理だ。お前に話すつもりはない。……お前が知る俺は、なんだ?」
気圧されるように後ずさった。エルガーの声は硬質で、まるで別人のようだ。
――僕が知るエルガー?
「お前の知るエルガー・ランザルは、酒と賭博好きのだらしない近衛騎士団長。剣の指導役。……俺は、それ以上になる気はない」
強くはねのけられたと感じた。
ここにいるのは、僕の知らないエルガー・ランザルだった。
心に穴が空いた。強い寂寥感。僕の心には、確かにエルガー・ランザルが入っていた。その部分を、ごっそりと失った気がした。
――このまま時間稼ぎをすれば良い。
僕の冷静な部分がそうささやく。
頭の中は、混乱が過ぎ去り、驚くほどに冷静だった。冷え切った思考が、離れた位置から僕自身を俯瞰している。
――エルガー・ランザルは裏切った。これまでのエルガーの言動はすべて罠。ここに僕が来ることがエルガーの狙い。何故?
もっと、取り乱すはずだった。エルガーが裏切ったんだ。もっと、驚き、焦るべきだ。
――目的は?僕を殺すこと。ならば、戦力不足からここへ?
「エルガー。僕を、どうするつもりなんだ?」
――必要なのは情報と時間だ。ことが終わったリオやレイノルド団長が合流しに来るはずだ。
「殺すまではしない。ただ、革命を止めるだけだ」
――殺さない。……人数差がある。国王を人質にすれば……?
僕は変かもしれない。こんなふうに考えるやつだっただろうか?
――国王は何故ここに?……殺さない?なら、僕をとらえるための戦力の不足から?……逃げ場がない
?城の外は、革命軍。抜け道には、リオとウィル。
「……エルガーは、陛下の側だったってこと?」
エルガーがピクリと眉を動かす。
「そうだ、陛下の味方だ。ここにいるのは、陛下に忠義を示すため」
僕の中にある複雑で面倒な思いとか、感情とか、考えとか、その全てがただ一色で塗りつぶされていく。
――陛下の味方。忠義。……なら、エルガーは敵だ。倒すべき敵。利用できないなら、エルガーを殺すべき。
同じだった。リオとエリックと、あの劇場に裏口から入ろうとして……首を絞めた。あのときと同じ、何の曇りもなく、透き通っている……目的を遂行するための純粋な解決法。
エルガーに対して、何の思いも抱かない。ただひたすらに、僕の邪魔であるなら……
「ああ、お前、やっぱり――」
張り詰めていた空気に一点、穴を開けるようにエルガーが言った。
なにか得心したように、諦めたように、疲れ切った顔で苦しげに笑っている。
――やっぱり?
その言葉が、僕の思考に割り込む。些細な言葉のはずなのに、強く引っかかった。
エルガーの目が僕の内心を見通すように胸のあたりを見つめていた。
――エルガーは何を思って……。やっぱりってどういうことだ……?
「なあセオ。お前今、何考えてんだ?」
「何って……」
エルガーが僕を見限るように視線を外す。
「会話による時間稼ぎ。そこにいる王を人質にする。……ちがうか?」
その通りだった。
図星を指されたことに顔が歪む。なんで、分かって……
「なんで分かったか。俺がお前が考える以上に、お前のことを知っているからだ」
エルガーの瞳が危険な色を帯び始める。エルガーを注視しながら、そっと腰の剣に手を伸ばす。
「お前、さっき、酷い顔してたぞ」
「……酷い?」
剣を抜き放ちながら問いかけるが、エルガーが動く気配はない。僕の動きを目で追いながらも話しを続ける。
「作り物めいた、何て言うんだ……怖い顔だ」
僕は、さっき何を考えていた。時間稼ぎと、人質と……エルガーを。
エルガーを、僕は……。僕は……。
「結局、俺は何も変えられなかったってことか。……いや、これから、変える」
エルガーが剣を僕へと素早く振る。自分の思考に気を取られていた僕は、エルガーの動きに反応しきれなかった。
正面に迫る剣が弾かれる。ヴィオラがつけてくれた護衛の一人が、助けてくれたみたいだ。そのままエルガーを僕から引き離すように剣をふるった。エルガーは落ち着いた目で僕を見て、横に居た近衛騎士の一人へ目配せする。
その近衛騎士が、僕に相対し、ふっと息を吐いた。容赦なく向かってくる剣を必死でさばき続ける。
――まずい。手が。
怪我をしたばかりの腕が痛み、上手く剣へ力を伝えられない。近衛騎士が僕に剣戟を浴びせ、僕は辛うじて剣を握り、間一髪交わしていく。
到頭、僕の腕が限界になり、剣が透き通った音とともに弾き飛ばされる。
相手の剣がそのまま、吸い込まれるように僕の胸へと向かう。強い水流に流されるように、剣が突き出された。慌てて後ろへと下がろうとするが、間に合わない。
「止めろっ!殺すなぁっ!」
エルガーの叫び声が聞こえるが、勢いにのった剣がこのまま止まれるはずがない。
――あ、……やられる……っ。
まっすぐと剣が伸び、僕の心臓のあたりに突き刺さり――
――キンッ
硬質な音が鳴る。相手の騎士の剣が跳ね返され、呆気にとられる。
僕と同じように驚いて硬直していた相手が……横にふっとばされた。
僕の眼の前には、リオが立っていた。荒い息を落ち着かせながら、切羽詰まった顔で、僕の全身を凝視する。
少し落ち着いた時、リオが僕に笑った。
「無事か……?」
「見ての通り」
柔らかな安堵感に包まれるまま笑い返す。リオが側にいるだけで、こんなに心強いなんて。不思議だ。もう大丈夫なんだって思える。
「なら、無事じゃないな」
「え?」
「腕に大怪我。あと、頭のネジが外れてる」
リオがいつものように皮肉げに言った。そこに、先程までの、切羽詰まった様子は皆無だった。
「それは前から」
短く返しながら、気になっていた胸元を見る。剣が突き刺さったはずの胸元。
そこには、リオからもらった十字架があった。ずっとかけっぱなしにしていて、すっかりそこにあることも忘れていた。
――これに救われた。
首から外し、そっと握ってみる。僕の体温を吸収して、生暖かった。
リオが僕を見ながら、ポツリと呟く。
「そうか……間に合った、か」
「リオ?」
そのまま僕に近づき、僕の首に手をやった。リオの冷たい手が首に触れる。首の脈がリオに伝わっていくのが分かった。
僕がなにか言う前に、リオはふらりと僕から離れ、エルガーに向き直った。
エルガーはぼんやりと僕らを見ていた。その茶褐色の瞳は、煙の中にあるように淡く濁っていた。
――間に合った、か
僕は、まったく別のことを考えていた。リオの言葉の意図について。
間に合ったというのは、僕が無事だったことか、それとも、
僕がエルガーを……殺す前だったことか、と。
前に約束したはずだ。僕が狂ったら。……リオは手を下す。
あの約束が、ある。僕は今、リオに頼むべきなんじゃないのか?
――殺してくれ、僕は狂ってる。
あの時僕は確かに考えていた。エルガーの言う、怖い顔で。
エルガーは革命に邪魔だと。なら殺してしまえば良い、なんて。
それは当然で――。いや、当然でいいはずがない。
これまでなら僕は、
裏切ったエルガーに混乱し、悲しみ、狼狽し、説得を試みたはずだ。必死で僕の思い全てを語り、エルガーの裏切りの理由を聞いたはずだ。エルガーの心と僕の心の両方に譲れない何かがあるのなら、その間になる妥協案を考えたはずだ。……はずなんだ。
それを、殺せば良い。と考えていた。違う、考えている。
エルガーを殺す。そうすれば、障害となるものは取り除かれ、目的は達成され得る。
僕は勘違いをしていたんだ。
最初、劇場の裏手で男の首をこの手で締めた時、焦りと、なれない行動から、冷静さを欠いたんだと思っていた。
倉庫に放火して回ったあの時のことだって、暴力性に煽られ、興奮して我を失っていたんだと思っていた。
それは全くの勘違いで、正反対だ。
僕は、平静であり、合理的なだけだ。目的がある時、そこに一番近い道を選んでいるだけだ。
今だって、そう思ってる。
エルガーを殺し、王を殺し、ベルランツを殺す。それが革命が成るまでの最短距離だと。
リオが、棒立ちになっていたエルガーに近づいていく。いつの間にか、ウィルや、ヴィオラ達が僕の後ろに来ていた。
エルガーは諦めたように天井を仰ぐ。
「……最初から、変えられなかったんだ」
変えるというのは、僕が革命を起こすということをだろう。思えばエルガーは始めから、僕が王になるということを嫌がっている様子だった。
――早く消しておけば良かったんだ。
エルガーは、諦めきり腕を下げてなお、剣を離さなかった。
僕は床に転がっていた剣を無造作に拾う。エルガーの首を掻き切る為に。
――エルガーに抵抗する様子はない。簡単なことだ。
リオが、剣を持ち進み出た僕を訝しげに見る。
きっと、何をするつもりなのか分からないんだろう。
――リオなら僕を止められるかも知れない。……でも、リオは気づかない。僕は狂ってる?狂っていない。
僕は確信していた。その場でエルガーを殺したところで、何ら変わりはないのだと。
この場にいる全員が、僕を決して責めないと。
だから、何も迷わない。
エルガーだけは違う。エルガーは知っていた。
エルガーが僕を静かに見ていた。全部わかっている顔で……
右手で剣をゆっくり持ち上げる。殺意なんて感じさせない緩慢な動きで、エルガーの首に狙いを定めた。




