革命を告ぐ Ⅰ
別れ、走り出そうとした時、一緒に行くと言っていたヴィオレッタと呼ばれていた女がセオと話していた。
「お願いします――」
「分かった。それなら」
「セオ?どうした?お前も行かないのか?」
オレが声を掛けると、二人は大きく肩を揺らし慌てたように分かれる。
「いいや、なんでもないよ。それより、そっちはよろしく」
セオが瞳に力を入れて笑った。
「ああ」
ボタンをかけちがえたような引っ掛かりを無視して、国王の寝室へと向かう。ウィルバルトが出口付近に騎士を引き連れて待機し、オレはヴィオレッタの案内で国王の寝室に行き、国王が通路に入れば、ウィルバルトとタイミングを見て攻撃するという作戦だ。
「おい、おまえ、さっきセオに何を言ったんだ?」
走りながらも、気になったことを尋ねる。セオは珍しく動揺した様子だった。
「少しお願いを」
澄ました顔でそう答えたあと、オレを見た。
「……おまえって、私は……」
ヴィオレッタがムッと眉を寄せる。
「ウェンスト公爵令嬢よ」
「そんなこと、オレには関係ない」
「そんなことってっ!」
ヴィオレッタが息を切らしながらもオレを睨みつける。
「私にとっては、すごく大切なことよ。……私は、それでしか殿下のお役に立てないから……」
しょんぼりとなにか話しているが、途端に興味が失せ、面倒になった。
「どうでもいい。早くしろ。トロい」
ヴィオレッタは息を切らしているが、オレにとってはあくびが出るほど遅い。喋る暇があるなら走れ。そう言うと、黙ったまま懸命に走っていた。
だが、しばらくすると明らかに失速して、息をあらくする。貴族令嬢なんてこんなもんか、と思いながら走っていると、ヴィオレッタが急に足を止める。
ついに疲れて足を止めたのかとウンザリして振り返る。ヴィオレッタはかがみ込み、足に手をやっている。周りについてきているコイツの私兵が担いでくるか、こなければ放っておいて先に行けば良い。そう考えながら再び走り出そうとした時、
「――待ってッ!」
鋭い声がオレを引き止めた。
ヴィオレッタがヒールの高い靴に手をかけ、それを乱暴に脱ぎ、ドレスをたくし上げる。
「これでもう少し早く走れるわ」
こちらを見る瞳は涙で滲んでいる。泣く女は甚だしく面倒だ。オレの嫌いな人種でもある。
だが、ヴィオレッタは瞳を弱々しく潤ませながらも、絶対に泣いてやるもんかと言わんばかりに唇を噛み締めていた。
意外に思い、思わずじっと見ていると、ヴィオレッタがオレの前へ走り出した。
勇ましく髪を振り乱しながら振り返った。
「遅いんじゃないかしら?」
ヴィオレッタが頬を上気させながらオレを見て、さっきのオレをなぞるように告げた。言い返す言葉もない。自分の侮りを感じずにはいられなかった。これが公爵令嬢か、と思いながらも、納得もしていた。セオの周りにいるやつはこんなものなんだろう。
そのまま走り続けていると、ヴィオレッタが一つの扉の前で立ち止まった。
「ここか?」
「ええ」
いかにもな豪奢な扉だった。
「待ってろ」
そう小さく告げ、扉に近づく。中からは人の気配がない。
ゆっくりと扉を開けるが、中には誰もおらず、ただ、大きなベッドが持ち上がり、下に大きな穴があった。
全員で中に入る。このベッドの下の穴から隠し通路へ入ったのは明らかだ。
「行きましょう」
そう言ったヴィオレッタに従いつつも、小さく違和感を覚えた。まるで誘い込まれできるような……
「……どうかして?」
ヴィオレッタが覗き込むようにオレを見た。
「もしかして……道を……?」
「大丈夫だ」
道は知らない。だが、奥からガチャガチャとうるさい鎧の音がする。これなら問題ないだろう。
こっちは全員軽装備で音を立てるものはいない。
先導して歩く。幸いにもそう離れてはおらず、すぐに明かりと揺れる影が通路にうつった。むこうに気づかれないように慎重について歩く。
後ろには、緊張した面持ちのヴィオレッタの私兵がついてきている。ヴィオレッタは最後尾でなれない足場に苦心しているようで危なっかしい。
――なんでコイツはついてきた?
自分一人のほうがよっぽどやりやすい。いつもは一人だった。
一人で仕事をして。それで面倒事はなくて。楽で、簡単で、単純になるから。
セオに会ってから、どうにもオレはおかしい。
誰かと一緒にいることが増えた。それは……昔にあったことのようで……。とっくに捨てたものだった。それが、今そこに自然に浸っていることが、どうにも我慢ならない。面倒で、鬱陶しくて、苦しくて、辛くて、心地よくて……
――落ち着け。呼吸を数えろ。向こうでウィルバルトが仕掛けるのに合わせて攻撃を仕掛ける。
丁寧に、ゆっくりと、意識を研ぎ澄ましていく。
反射光。持ち込まれた僅かな光が、抜身の剣に反射し、キラリと光る。
剣を抜いた鎧を着た近衛の者と、騎士団の者が剣を重ね合わせた。オレは影から飛び出て後ろから襲いかかる。
敵の一瞬の混乱。十分だ。
真ん中にいるのが王らしき男。
それ以外の奴らを潰していく。混戦になる間もなく、挟撃された王の近衛兵は成すすべもなく次々とやられる。
敵兵七人を倒し、全て狭い通路に転がした後、兵を率いてきたウィルバルトが気を緩めた様子で笑った。
「これで、終わりですね」
王を捕まえ、無理やり座らせる。観念した様子で、目を閉じ、上を向いていた。
剣を首筋に突きつけながら、ウィルバルトを見て尋ねる。
「コイツ、どうするんだ?」
ここで首を掻っ切ればいいのか、縛り上げて連れていけばいいのか……。
「取り敢えずは、殿下の下へ連れて――」
「あのっ!」
いつの間にか俺の後ろに回っていたヴィオレッタが声を上げた。
迷うように視線を下げながら、王を見ている。
「……陛下で間違いない?……いえ、確認を……」
「おい、どうするんだ?」
思考に沈むヴィオレッタを引き戻すように小さくつぶやく。
ヴィオレッタは苦しそうに息を吸うと、ヴィオレッタはオレを押しのけるように王の前に出た。ヴィオレッタの瞳が暗い通路の中で一筋の光のように輝く。
「貴方は……アークリシア王国の国王陛下でしょうか?」
「そうだ」
聞かれた男が即座に答える。
当然のことだろう。訝しく思ってヴィオレッタを見ると、顔を真っ青にして震えている。
「……ぅそ。うそ」
自分に言い聞かせるようにそうつぶやいていたかと思うと、オレの方を見た。
「行って。殿下のところに……。王じゃないの。罠だから、危ないのは――」
すべて聞くまでもない。危ないのは、セオ。
――セオが、危ない。
意味を考える前に、走り出す。ヴィオレッタが何を言っているのか、どういうことなのか、全くわからない。だが、ここで悠長に考えている暇が無いことは分かった。
脳の中は混乱と冷静さが半分ずつ。
とにかく行かなければならない。考える間に、行動しなければ間に合わないんだ。足を動かす。感覚だけで走る。
セオがいるのは、謁見室。のはずだ。城の中なんて、オレは知らない。いや、そんな場合じゃ――。
分かる。バルコニーがあるのが謁見室なら、分かる。
謁見室。謁見の間だ。広く……中央広場に面して……
頭の中に地図を描きながら、つい浮かぶ思いがあった。
――もし、もし間に合わなければ……。
いや、間に合う。間に合わなければならない。もし?仮定など、無意味だ。間に合わせるだけだ。
――罠だと言っていた。……罠!罠!罠!
罠。あの場にいた男が王のふりをして、オレたちをおびき出した。罠だった。それにまんまとひっかかった。
そんな、そんなことで、そんな罠一つで、もしセオに何かあれば……。
――考えるな。考えるな。
道化だ。こんなちっぽけな罠に翻弄されて、必死に走って……。
セオ。セオ……。
ぐっと拳を握り込んだ。今まで俺の人生なんて、ロクでもなくて、同仕様もなかった。意味なんてなく、変えることもできない。だから、諦めていた。でも、セオについて行くと決めて、それだけは、諦めたくなかった。
こんなあっさり、いなくなるっていうのか?
こんなにすぐに……
ふざけんな……っ。




