茶褐色の追想−E
――裏切り……裏切り……裏切り
ここ数年、ふと浮かんでは振り払って消してきた言葉だ。それが最近では心にベッタリとこびりついて離れない。セオが……王になると、言ったからだろうか?
陛下が死んで、俺は新たに王となった陛下の弟であるアイツに仕えることになった。陛下の死バリトリアの暗殺者によるものということになった。そちらのほうがアイツにとって都合が良かったんだろう。
はじめは、アイツもセオドールも、陛下の見た未来とは違う未来へ進めば良い、そう思っていた。それが陛下の望みで、そう進めること、あるいは導くことが、俺にできる唯一残された忠誠を捧ぐ方法だったからだ。例えそれが、陛下の敵だとしても。
アイツが嫌いだった。殺してやりたいほど憎らしい。陛下の願い、俺の憎しみ、どちらを優先するかなんて明らかなことだ。
陛下の”たのむ”という言葉には、たしかにアイツのことも入っていた。”たのむ”という言葉がなければ、いや、アイツを想う陛下の心がなければ、アイツを殺していただろう。そして、俺も死ぬ。それが俺にとって最も自然な状態であり、容易に思い浮かべることのできる光景だった。
諦める。そう決めたのはいつだったか。アイツのことは、諦める。そんなことが許されるはずがない。分かってはいる。だが……
――「あれも、思ったほど役には立たん」
アイツが感情のこもらない声でそういったのを、思い出す。あれ、というのは王妃のことだった。
――「目的意識をすり替えた程度では、どうにも必死さが足りん。殺しそこねるか」
王妃をけしかけ、セオドールを殺そうとしたらしい。……ゾッと背筋が凍った。そんな話は全く聞いておらず、気づかなかった。自分の知らないところで、セオドールが殺されるかもしれない。それは駄目だ。セオドールが革命なんかに加担せず、幸せに暮らすこと、それが陛下の願いだ。
アイツが部屋の中を歩き回った。
――「だが、ウェンスト公爵の娘と婚約破棄したのは収穫と言えるだろう」
ヴィオレッタ・ウェンスト?彼女が婚約破棄?仲は良好に見えたが、どういうことだ?何があったんだ?
アイツが俺を見た。その自然に、回りかけていた思考を止める。
――「エルガー。ベルランツを呼べ。話をする」
話?洗脳の間違いだろう。他人をみんな道具としてしか見ていないんだ。
アイツの瞳は終始不気味なほど揺らがない。どこまでも沈む沼のような底の見えない目に、ついに、俺は、理解してしまったのだ……。
――俺にはアイツを変えることは出来ない。
セオドールの方は、陛下が死んで少し暗くなり、影を見せるようになった。
セオドールはアイツから能力による……洗脳を受けていた。時々アイツの部屋に呼び出され、話をする。ベルランツが王になる。セオドールはその下につく。そんな内容だ。……俺にとってもそう悪くはないことだと、思った。
だが、周囲の声を居心地悪そうに聞きながら、曖昧な笑みで応じ、陛下を恐れ、ベルランツに対しては怯えるように肩を揺らす。
そんな姿を見ていると、暗い気持ちを抱かずにはいられなかった。胸に重い石が伸し掛かるような罪悪感。何もしてやれない無力感。俺は陛下の願いを果たせるのか、そんな疑問とともに、俺を苦しめる。
ただ、セオ、と呼び、俺が剣に誘ってやると、子犬のように跳ね回り、楽しげに剣を振っていた。その姿は、陛下が生きていた頃に城内を走り回っていた姿と変わらないように思え、俺の小さな救いだった。
このまま、セオドールに変わりがなければ、陛下が憂慮した未来にはならないんじゃないか、そう思っていた。
だが、セオドールは変わった。
そう思ったのは、セオドールが12、13歳のころで、ヴィオレッタ・ウェンストと婚約破棄した辺りだ。いや、その少し前くらいかもしれない。
弱さ、怯え、その一切が鳴りを潜め、強くなりたい、なんて言い出した。
革命……その言葉がよぎり始めた。わからない。これは、この変化は、革命に近づいたのか?遠のいたのか?
だが、アイツに殺されるんじゃないかってことも、心配だった。結局、剣を教えることにした。
前のセオドールか、今のセオドールか、どちらのほうがいいのかわからない。怖い、こわい、変わっていく。セオが……陛下のみた未来のセオドールに、段々と重なっていく気がした。
怖い、でも、まだ大丈夫だ。まだ、セオドールはセオドールのままだ。これ以上、変わらなければ良い。今のまま成長してくれれば、何の問題もないんだ。
じりじりとした焦燥に駆られ、セオドールに近衛騎士をはり付けることにした。何をするにも、ベッタリとはり付け、できるかぎり部屋に閉じ込める。セオドールはアイツが命じたことだと思い込み、俺に不満を漏らす。たしかに、陛下にも報告は上げている。近衛騎士団の奴らだって、陛下の命令だからだと思っている。が、そんなものはどうだって良い。重要じゃない。目的は俺がセオドールを監視することだ。
平和だった。アイツに絶望し、セオドールを見張り、何事もない日々を送っていた。そんなときだ。
セオドールと城下で会った。会うはずのない場所で、知らない奴と一緒にいるところだった。
頭の中が、ぐちゃぐちゃになっていくのが分かる。なんで、とか、どうして、とか。でも、一番奥にあるのは……純粋な心配だった。自分でも、驚くほど混じり気のない心配。
だが、セオドールを自分の家に押し込めて出てきた時、ほっと安堵を感じると共に、セオドールが起こす革命について意識する。
そこで初めて、考えたんだ。それが自然なかたちだったはずだ。下町なんて、日々変化する塊で、そんなものに感化されれば……。自分の監視を抜けている、どうやって……。リオとかいうやつ……あいつは関係するのか……。陛下は、英雄になることを望む男だと言った……リオ、なのか……。いや、そんなふうには……。
気づいた時、ベルランツの部屋に向かっていた。ベルランツに、セオドールが城下にいることを告げる。
ベルランツは、最近セオドールに全く相手にされず、相当な鬱憤が溜まっているようだった。……それを利用する。案の定、ベルランツはすぐに供を連れ、城下に向かった。
セオドールが、見つかってしまえば良いと思った。そうすれば、セオドールも、城から出るのを控えるようになる、そんな思惑だった。
結局は、なんの意味もなさなかった。いや、逆だ。全くの逆効果だったんだ。
決闘騒動が起こり、セオドールはまた一歩、革命に近づいた……。
失敗だ。選択を誤った。どの道がどんな未来に続くのかは分からない。どの選択が陛下の望む未来をつかめるのかを知らない。
――迂闊に動くべきではないな。だが、このまま動かなければ、それこそ……。
セオドールは、順調に革命へと進んでいく。リベルトにも会い、聖女に協力も取り付けた。もう、止めようとするにはあまりにも遅いところまで来てしまったのかもしれない。
動くこと、動かないこと、どちらが陛下の望む未来へとつながるのか……。いや、陛下の言からすると、それすらも陛下のみた未来に織り込まれている。
自分の手を見下ろす。ゴツゴツと骨ばった不格好な手だ。
陛下を差したときの感覚は、今でもくっきりと思い出せる。不思議とあの感覚を不快に想うことはなかった。この手は、陛下のみた未来を変えた証拠だ。変えられる。変えられるはずなんだ。
――なんで、変えられたんだ?あの時……。
分からない。唯一の心当たりといえば、直接的であった。それだけだ。
陛下のみる未来は、いつだって離れた場所の出来事で、陛下が直接的に関わることはなかった。間接的に関わったとしても、その力がたどり着くまでに、曲がりくねった結果同じ未来に行き着くのだとしたら……。未来を変えよとする意思を持つものが、直接的な行動を取ること。そこに屈折する余地のないほど、近い場所で直前のことで……。
全ては、勝手な仮定で妄想だ。結局、俺は変えるためにあがき続ける。それだけだ。
今、セオは、騎士団へ協力の要請に行っている。どうせセオのことだ。王家にないがしろにされていた騎士団をあっさり籠絡するだろう。騎士団と民、ウィルバルトとヴィオレッタが根回ししている貴族。セオ自身は王子。革命を起こすのに、とうとう何の障害もなくなるわけだ。
完全に外堀が埋まる前に行動しなければならない。
――リベルトを攫う。
方法はそれだ。もともと、アイツ……王から革命軍拘束の命令はもらっている。騎士団から近衛騎士団へ俺が移した。その権利で持って、近衛騎士団団長としてリベルトを捕まえる。
そうすれば、革命軍は硬直して時間稼ぎができる。
悪ければ、暴走して王城に突進。それだって、セオがしっかりと準備をして詰めかけてくるよりはマシだ。騎士団だって、そうすぐには動かせないはず。
もし、そのまま革命が強硬的に行われるのなら、それに乗ってやれば良い。
そうなるなら……最後の手段だ。セオを担いで逃げる。
セオが革命の時不在であれば、未来は強制的に変わるはずだ。
その為には、セオの周りにいる奴らをおいていく必要がある。別に革命をすんなって訳じゃない。アイツ……王はどうしようもないし、ベルランツなんて、王子だとは到底思えないようなやつだ。革命は良いんだ。違う、分からない、でも、セオを……。
シアやエリックは民衆の方にやる。隠し通路の方へリオとウィルバルトを誘導する。そっちは餌だ。暫くの間、リオとウィルバルトを引き止められれば良い。本物の王の方は、近衛騎士を数人つけておいて……。
そうすれば、セオは一人だ。一対一なら勝てる。ただ、もし護衛がつけば一人で相手は無理だ。近衛騎士を数人俺が引き連れて……それは、無理だな。俺が近衛騎士と仲良くやってれば、セオは絶対に違和感を持つ。自分のことは驚くほど鈍いが、他人のことになると、それでバランスをとっているかのように、いやに鋭いやつだ。
セオを一人で引っ張ってこれなければ……王の方に誘導して、その護衛につけてる近衛騎士を使うしかないか……。いや、王の方は、正面を通って一旦城から脱出を……。
重くなった頭を左右にふる。考えてばかりいても仕方がない。動かなきゃいけない。
重苦しい気持ちを抱えながら、王城に向かい足を速める。




