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茶褐色の追想−D

  陛下の執務室へと向かう歩みを早める。


 「陛下!セオドール殿下がまた厩舎の裏の木に登って――」


 セオドール殿下は元々活発な気質だったが、最近は体も成長し、色々なところに行けるようになったからか、さらに動き回るようになった。

 何度注意しても、教育係の言うことを聞かない。陛下はいつも、セオドール殿下のお転婆ぶりを笑いながら聞いているだけで、注意するきはさらさら無いようだった。

 だが、食堂や肥溜めに忍び込むのとは違い、木登りには危険性がある。そろそろ真剣に考えてもらいたい。そう思いながら陛下の部屋に入る。


 いつもどうりだった。いつもどうりの、何も変わらない日。ただの一日。いつもと同じように起き。同じように仕事に励んで……。


 部屋に入り、陛下を見る。


 「陛下?」


 陛下は床に倒れ伏していた。苦し気なうめき声がした。

 慌てて駆け寄り、抱き起こす。顔は白粉を塗りたくったように怖くなるほど真っ白だった。陛下の手は、血で真っ赤に染まっているが、外傷はない。


 「エル……ガー?」


 陛下がぼんやりとした目で私を見て、乾いた声を出した。


 「 陛下!しっかりして下さい!今、医者を――」

 「無駄だ。もう、死ぬ」


 床に寝かせ、医者を呼ぼうとした私の服を陛下が掴む。弱々しい力だったが、振り払うことはできない。


 ――『私は毒で殺されて死ぬ』


 耳の中でこだまする。前に、陛下が私に聞かせた話だった。


 ――今か?陛下が言っていたのは、今、この時なのか?それは、このことなのか?


 机の上には、私が淹れた覚えのない紅茶。きっと自分で淹れたんだろう。私が淹れる紅茶は、全て毒見済みだ。もし、これに毒が……。誰が……。どうして……。

 ちがう。今考えるべきは、陛下を助けることだ。


 「へい、か……」


 口からでたのは、頼りない声だった。みっともなく震えた声。


 ――どうすればいい?どうすれば、助けられる?いいや、助けられない。陛下がみたんだ。それは、もう決まっていて……嫌だ、いやだ、イヤだ。


 必死に考える私の腰の辺りに陛下の手か延びる。陛下の手が握ったのは、私の剣だった。陛下が切先を自身へと向ける。


 「諦め、きれなかった。弟か、ら、もらった、紅茶。しって、いた私は、……みて、わかってい、た。……私がみ、たものが、まちがっているのだと。あの、こは」


 陛下がすっと剣を持ち上げ、自身の胸にそのまま突き立てようとする。緩やかだった。

 呆然としながらも、その手を止める。受け止めた手の中にずっしりとした重みを感じる。


  ――死のうと、した?そのまま、自分でなんで――


 「何をしようと――」


 思わず声を荒らげた私を抑えるように、陛下が笑んだ。


 「エルガー、私を殺してくれ」


 「意味が、分かりません。なんてこと、言うんですか」

 「希望が、欲しい。……私が、みた、のは、毒で死ぬ姿だ」


 その言葉で、分かってしまった。陛下の考えが、理解できてしまった。


 陛下がみたのは、自身が毒殺されるという未来。なら、ここで、もし、もし私が陛下を刺し殺せば……陛下のみた未来を変えることができる。変えられるのだと証明できる。

 陛下が憂いている、セオドール殿下の未来も、国の未来も、変えることができるのだと、希望をもつことができる。


 「すまない……頼む……エルガー……」


 すがりつくような声がのしかかってくる。初めてきく声だった。


 剣を押しつけるように渡される。受けとる手は、わざとらしいほどにガクガクと震え、到底、剣を振り下ろせるようには思えなかった。


 「陛下、私には、そんなこと……」


 陛下がすっと目を閉じた。そのまま、何も反応しない。死んだように白い顔で、目を閉じている。作り物めいた静けさだった。


 その瞬間、胸が軋み、言いようのない不安が襲いかかってくる。


 「エルガ一、剣を。やはり、自分、でやる」


 陛下が再び口を開き、大きな安堵と恐怖を感じた。安堵は、陛下がまだ生きていたことにたいして。このまま、それが自然であるように、死体になってしまうんじゃないかと、周りの景色に溶けるようにきえてしまうんじゃないかと思った。

 恐怖は、このままでは、陛下がみた未来のとおりになってしまう。なにも、希望をもてないままで逝ってしまうことが、怖かった。死んでしまうのであれば、何の憂いもなく、あってほしい。


 ――自分で?もうロクに手も動かせないのに?


 「私が、私が……やります」


 死んでしまうのなら、陛下の思いを叶えたかった。陛下が望むことを、やるべきだと思った。

 私のたどたどしい言葉に、陛下が無理に笑みを浮かべた。苦しさを堪えた笑み。頼に汗が伝っている。


 「セオドール、の、こと……」

 「分かりました、大丈夫です」


 何が大丈夫だと言っているのか自分でも分からなかった。ただ、安心してもらいたかった。何も不安に思わず、心配することもなく。

 陛下がゴポリと血を吹く。


 「く、に……あの子も……」

 「分かりました。全部、全部……」


  剣を握る手に力をこめる。


 ――もう、限界なんだ。


 「もう、しゃべらないで下さい。分かりましたから」


 血を吐きながら陛下が言葉を紡ぐたびに、寿命をすり減らしているように見え、じりじりと焼かれるような焦燥を感じる。これ以上無理をしないで欲しかった。まだ、まだ、もう少しだけでも――。


 陛下がそんな私の内心を見透かしたように笑う。


 「エルガー、酒とか、け事は、ほどほどに、…………女は、止め、て、おけ」

 「なん。の話ですか……分かりました」


 酒も、ギャンブルも、女遊びもやったおぼえはなかった。ただ、ここで陛下が死んでしまえば、……そこに溺れていくかもしれない。


 ぽたりと、陛下の顔に水滴が落ちる。いつの間にか、私は泣いていた。

 ここで、剣を投げ捨て、胸を掻き毟り、縋りついて……無理だと、酷なことを、言わないでくれと、死なないでくれと……言えればどれほど楽だろうか。


 「私は、えるがー、のちゅうせ、に、むくいることが、できて、いたか?」

 「勿論です」


 私は陛下を壁にもたれさせ、剣を持ち直す。苦しげだが、酷く眠そうにも見えた。


 「すべて……まかせ、……すまな、い」

 「はい」

 「わたし……を……めいれい、だ、ころせ」


 殺す瞬間の陛下の瞳は、一瞬、美しく輝き、それから、みるみると褪せていった。




 陛下の心臓から生えた剣を抜き取る。勢いよく血が流れ、衣服を赤く染める。まるで花が色づいていくようだと思った。


 ――陛下を、()()殺した。


 感情を揺らしすぎた反動か、もう何も思うことはなかった。ただ、陛下と同じようにポッカリと穴が空いた気がして、胸に手を当ててみる。




 どこを刺せば、一番苦しませずに殺せるか考えた。そんなことは、今まで一度も考えたことはなかった。殺す相手は、いつだって苦しんだってかまわない輩だった。


 頭を落としても、手足を切っても、腹を指しても……心臓は動く。暫くの間、既に死んだ肉体の中で、意味もなく鼓動し続けるのだ。肉体から切り離されても、心臓だけは動くことができる。だから、心臓を刺した。全部いっぺんに死んでしまうのが、一番楽だと思ったから。


 立ち上がり、陛下を見下ろす。

 自分の心臓の音が聞こえた。コツンコツンと、空っぽになった胸を打つように鳴る。


 ――陛下は、俺が殺した。


 つまり、陛下のみた未来は、変えられるものだ。


 ――なぜ変えられた?


 思い出すのは、いつかの日、陛下が例に出した、コインを投げる話。

 今回、叩いた未来は……裏になった。どうしたって表になるはずだったにも関わらず。


 ――分からない。分からない。分からない。


 陛下すら、諦めていたことだった。自分ごときに、分かるはずもない。だが、


 ――叩ける位置にいなくてはならない。変えようとする意思を持たなくてはならない。


 そう考える。受動的ではいけない。足掻かなければ……。


 変えたい未来はただ一つ。

 セオドールの未来。

 それは、セオドールが王となること、だ。それさえ変えられれば、この国の未来も、セオドールの未来も守られる。


 陛下の弟は、陛下の未来の通りなら、圧政を敷き、革命により失脚する。

 それは……どうだって良い。いや、陛下の願いだ。全力は尽くす。変える努力はする。


 陛下を、殺そうとした……。俺が陛下を殺したキッカケ。でも、陛下の思いと俺の憎しみ。どちらが優先されるかなんて、考えるまでもない。


 今回のことで、陛下の弟に取り入ってやる。それで……未来を変えられる位置まで行く。


 ゆっくりと息をする。


 ――俺は、生きてる。


 きっともう、陛下が生きていた頃の自分には戻れない。でも、それでいい。陛下の忠臣であることは生涯変わらない。

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