茶褐色の追想−C
陛下は、机に肘をつき上に頭をのせると、何の感情も見えない表情で語り始める
「私が死んだ後……私が死ぬというのは前に語ったとおりだ。その後、 弟が王となる。弟の政治は酷いものだ。隣国と戦を始め、尊ぶべき民に重税を課し、虐げる。弱者を切り捨て、強者を更に増大させる政治だ。あの子も、悪い子ではない。思い込めば、それで一直線でな……止めてくれる者が側にいなかったのだろう。大きな不幸だ」
陛下の瞳が私を見た。遠い所に一人立っていた陛下が、戻ってきたように感じる。
「あの子のアティードがどのようなものか、知っているか?」
黙ったまま首を横にふる。
「言葉に力を宿す能力だ。相手の心に自身の言葉を深くしみこませる。相手の心がゆれ動いている時、自分の方でピタリと止めてしまえる」
今一つ分からず、首をかしげる。アティードというのは、どうしていつもこう抽象的なのだろうか?
そんな私を見て、陛下が優し気に目を細める。
「つまりだ、灰色の布を見て黒か白かと悩んでいたとしよう。その時、 あの子が黒だと言えば、ああそうかと黒で納得してしまう。反対に白だといえば、当然そのとおりだと考える」
「それは、相手の心を操ることが可能だということですか?」
「そこまで強くはないが、あの子は巧みにアティードを使った。相手の弱い部分を突き、ヘビのように意思を絡め取る。……周りの者はあの子の思い通りに動き始める。周りの貴族も、妻も、子も……」
陛下は元の表情へと戻った。また遠くに行ってしまう。
「そんな政治をしていれば、もちろん反感を買うこととなる。民から湧き上がる不満と不安。そこに現れる英雄。当然英雄を中心に民が集まり始める」
「それが、セオドール殿下ですか」
頭には、前に陛下が言っていた、セオドール殿下の即位が浮かんでいた。この流れは、セオドール殿下が革命を起こすのだと、そう思った。
「違う。セオドールではない男だ。英雄になることを望む男。彼を中心に、人が集まり始める。そうして、セオドールもそこに加わり、少女が民を引き連れる」
「殿下ではない男?少女というのは……」
「男の方はあまりみえなかった。少女というのは……」
陛下が不意にこちらをじっと見た。急な視線にドギマギとしていると、陛下が笑った。
「金と薄紅を持つ少女だ。優しくするように」
「へ?」
「ともかく、革命は成功する。セオドールは、王となる。そして――」
それは、良いことなのでは無いだろうか?圧政を敷く王が討たれ、新たな王が誕生する。
セオドール殿下が王なら、明るく、活気のある国となるだろう。セオドール殿下には、幼いながらも、周囲の者を惹きつける魅力があった。そこにだけ光があるように、皆が集まり、明るく笑い、愛さずにはいられない少年。それがセオドール殿下だ。
民を思い、民に尊敬される、陛下のような王となり国を導いていくだろうとその未来を描く――。
「救いようのない国となる」
陛下の顔は暗い。頭を殴られ、脳が揺さぶられた気がした。
「冷たい目だった。他人の痛みを理解したうえで、躊躇いなく殴れる瞳だ。国にとって要らないものは、全てきれいに削ぎ落とす。冷酷で、そして誰より国を思う」
明日が来ない夜の中を彷徨うように、疲れきった顔をしていた。
「民は幸福となる。絶対の支配を受けた国の中で、何も知らずに生きられるのだから。だが、そこに未来はない。箱の中で生きる者は、新しい芽吹きを得られない」
悲しげだが、瞳に映るのは諦観のみ。この方は、陛下は、諦めているのだ。
「間違いはなく、失敗もない。完璧だ。悲しいまでに……」
この方にとっての最愛の息子が、この方の守ってきたのは国を恐ろしい未来へと導く。
「あの子は王になってはいけない」
強い口調だが、私には震えているようにも聞こえた。
「あの子だけは……頼むエルガー。いや、違う。もうどうにもならない。すまない……」
陛下の顔を瞬きしてみる。一瞬、泣いているように見えたのだ。
「辛いものだな……」
何も言えなかった。自分ごときが、慰められるとも思わなかった。それは、あまりにも失礼だろう。
「王としては身勝手な思いだが、本当は、一番憂いているのは、国ではなく、セオドールの未来なのだ……」
陛下が息をついた。重く、苦しい息。
「セオドールは、一人きりだった。誰にも止められず、また、誰もが敬う絶対の王。セオドールは、あの子自身の才能と魅力ゆえに、緩やかに、誰にも、自分さえ気づかずに破滅する」
陛下の言う未来のセオドールには、今の純粋さも、明るさもないのだろう。
「セオドールは、一人きりだ。人を数字としてみることしかできず、そこに感情は伴わない。どんな汚いことでさえ、セオドールの理想の前には、全て等しく手段と化す」
「そんな、未来が……」
「私は、本当の幸いというのがどういうものなのか知らないが……笑みの無いところには無いだろう」
「陛下!」
辛そうな顔に、思わず声を掛ける。もう、もう、いらない。これ以上、その救いのない話をさせたくなかった。
「エルガー……セオドールは笑わないんだ。冷たい顔で、画一的に整った街を見下ろす。動くことを、他者を、生きるという意味すら知らない……」
絞り出すような声だ。
「どうしたって、変えられないのでしょうか……」
希望が、少しでも欲しかった。自分のためにも、陛下のためにも。
「無理だ」
硬い声。
間違った、と思った。陛下に対して尋ねることではなかった。この方は、ずっと考え続け、あがき続けた末に、諦めたのだ。
石のような瞳をしていた。緑の瞳が透き通る。中には、何も見えない。
「……申し訳……ありません」
「ありがとう」
優しい声だった。




