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灰紫色の諦め

 エルガーはちゃんとセオに伝えたようで、腑抜けた顔でセオがやってきた。


 リベルトのことを伝えると、興味津々といった様子で、セオが身を乗り出す。


 ――コイツ……大丈夫か?


 呆れるような思いでセオを見る。リベルトごときにあっさりのせられはしないと思っていたが、これは少し悪いかもしれない。思ったよりもずっと気が抜けているようだ。


 大通りで、セオの兄にあった時、セオは引き締まった様子だった。

 決闘のことは聞いていた。街中に、早々と知れ渡っていた。誰かが意図的に流しているのかもしれない。

 ともかく、その決闘で勝利したせいで、気が抜けているのかもしれない、と思った。セオにとって、あの兄がどんな存在だったかまでオレは知らない。それでも、到底仲良くは見えないし、互いに、意識し合ってきたことぐらいはわかる。それまで、そこにかける思いが強いほど、終わればその反動が来る。

 ……セオは分かっているのか?


 「知らん。だが、お前の決闘の話、街で噂になってるぞ。その辺りの話だろ」

 「そうかな?」


 ――そうかな。だと?クソッ。このアホが……


 コイツは他人のことには鋭さを見せるくせに、自分のことになると……てんで鈍い。

 しかも、さっきからフワフワとして……大丈夫だろうな……。


 「心配してくれるの?」


 心配……これは心配か。

 違う、苛つくだけだ。こんな……。こんな……なんでだ?なんでオレは苛つくんだ?コイツを……心配してるのか……。


 ――ああ。嫌になる。やっぱりコイツはこんな時だけ鋭い。


 駄目だ。何度抑えたって、セオを思ってしまう。たまらなく、気になってしまう。


 「オレは行かない」


 セオがほんの少しだけ、ガッカリとした様子を見せた。それが嬉しくて、心配で、守りたくて、思わず、やっぱり行くと言ってしまいそうになる。


 ――駄目だ!オレはいつ、ここまで間抜けになった?もう、これ以上、セオには関わらない。今度こそこれっきりだ。これで最後だ。

 あとは、リベルトと勝手にやればいい。オレは関わらない。絶対だ。

 そうだ。早くこうして断っておけばよかったんだ。そうすれば、ダラダラとここまで付き合うことになることは無かった。

 あの、セオとエリックがやってきた日。別に一緒に入る必要は無かった。劇場まで連れてって、そこで別れてしまえばよかった。


 そうすれば……こんなに、心を揺らすことも、悩むことも、苦しむこともなくて、それで……嬉しさも、喜びも、楽しさも……感じることはなかったのに……。


 セオが出ていった扉を見て、ため息を付く。

 向かいのソファに寝転がり、肘掛けに頭を乗せる。低い天井のシミを見ながら息を吐く。


 「オレは……節操なしの腑抜けに誑かされたバカだな……。セオ相手じゃ、同仕様もなかったっていうのは……十分な言い訳だろう?」


 独り言に答える声はない。部屋に沈黙が広がる。

 そっと目を閉じた。瞼の裏に、セオの顔が浮かぶ。眩しいほどの輝き。


 セオは、オレを惹きつける火。オレはそれに群がるハエ。ハエが火に飛び込むのは当然だ。バカなのは分かっているが、バカにしたってしょうがない。それは自然だから。


 ――大丈夫。一夜の夢だったんだ。アイツのことなんてすぐに忘れられる。


 オレは、セオと初めて会ってそれから五年間空いても、エリックが連れてきた時すぐに分かったことを棚に上げ、そう考えることにした。






 しばらくして、寝転がっていたソファから起き上がる。目をつぶっているうちに寝てしまったようだった。部屋の中は暗く、昼か夜かも分からない。


 吐き気がするような、不愉快な気分だった。

 軽く頭を振りながら外に出る。そのまま宛もなくあるき出した。


 部屋にいたくなかった。全部忘れて、ただ歩いていたかった。


 ――何でこんな最悪な気分なんだ?


 違う。本当は分かってる。セオを切り捨てたからだ。それはおかしい。捨てたわけじゃない。アイツとオレは歩く道が違ったんだ。一度だけ交わって、あとは離れていく。分かっていた。孤児と王子だ。道が交わることすら奇跡だ。別れるのは必然。それでも、辛い。


 ――違う!オレがセオと別れることを、関わらないことを望んだんだ!


 何を……。何で、辛い?オレは……。


 ――セオから離れれば、こうなるって分かってたはずだ……。


 だから、いつか、離れるなら……自分から離れてしまえば、こうして傷つくことは無いと思って……。


 ――そうじゃない。オレは、あんな甘いやつといれば、オレまで腑抜けると思って、それで離れたんだ。


 本当に?


 オレは、セオに出会う前より弱くなったのか?

 セオから離れれば、また元に戻れるはずだ。元の、鋭さを……。あの、光のない暗闇……。


 ――オレは、これで良かったのか?


 いつの間にか、塔にきていた。セオと、初めてあったときに登った塔。

 導かれるように、はしごに手をかけ、登っていく。


 ――オレは、後悔してるのか?セオと関わらないことを選択したことを?


 後悔なんてするだけ無駄だ。通り過ぎた場所に戻ることはできない。振り返ることに意味など無い。進むことしかできず、今の道は、今の後悔の先にある場所だ。


 登りきり、腰を下ろす。どうしようもない気分だ。心に大きな穴が空いていた。鳩尾が殴られたみたいに重い。揺れそうになる体を支えるように、後ろに手をついた。


 暗い空を見上げる。いくらか気分が落ち着くと、どうでもよくなった。何もかもが、気に入らなくて、どうだってよくて……木偶に成り下がった。そう思ったが、それもどうだってよかった。


 考える。これからもオレは、金を稼いで、エリックが来て、しょうもない奴らに殴られて、寝る。それを繰り返すんだろう。泥沼のような日々。死ぬまでそれを繰り返す。


 ――ああ……それは……なんで生きる?





 ぼんやりと座っていると、はしごを誰かが登ってくる音がした。

 ダガーも何も持ってきていない。かまえるべきか、足で蹴り落としたほうがいいかと思ったが、そんな気力すらなかった。


 驚いたことに、上がってきたのはセオだった。何もいう気になれず、座ったまま口を開かないでいると、セオが横に座った。一緒に東の空を見る。


 隣にセオがいる。それが、心地よくて、安心して……そこから離れることが名残惜しかった。オレは、離れることも出来ないままセオの話を聞いた。


 セオの声が横から聞こえる。なんの感情も映さない声で、ゆっくりと話す。


 「僕は、どうしたらいい……?」


 セオは、迷っているらしい。

 そんな事をオレに聞くなと言ってやりたかった。


 ふと顔を見れば、不安気な顔。幼子に袖を引かれるような気持ちだった。払ってやるのは簡単だが、そうすれば、簡単に壊れてしまいそうだ。


 「ひどい顔だな」


 何でお前がそこまで悩む?

 その言葉を寸前で飲み込む。セオのそういった無条件で人を助けようとする性は、オレには到底理解できない。きっと、生まれつきのそういうものなんだと。

 前にそう思った事を思い出した。


 それから、当然のようにオレに悩みを打ち明けたことも、理解できなかった。

 悩みとは、弱みだ。迷いでもある。他者に軽々と口にすれば、いつか痛い目を見る。オレはそう思っていた。


 ――それが、コイツときたら……っ!


 なんで、オレに話す?

 オレが、オレが必死で離れようとしているのに、なんで頼るんだ。頼って、くれるんだ?


 「何でオレにそんなことを聞く?」




 セオを引き寄せる。溢れそうになる想いを抑えつけて、セオを黙って見つめた。




 「革命、王、国……オレには何の関係もない」


 ――なんで聞く?なんで……っ。オレなんかに、そんなに無防備でいられる?オレみたいなやつの隣に、それが当然みたいに座るんだ?オレの気も知らないで……。


 小さく息を吸い込み、頭に空気を回す。夜明け前の風は冷たく、オレの頭を冷やした。

 脆く、砕けそうになる部分を、覆い隠すように話を変える。


 「セオは王になるのか?」


 これはオレに関係あることだ。だから聞く。だから話す。だから関わる。それは当然の道理。


 「そんな……革命軍の代表はリベルトだ。だから……」

 「だから、次の王はリベルト。ほんとにそう思うのか?」


 ――本当に?本当にセオはそう思うのか?


 「あいつが、王?少なくともオレはごめんだ」

 「それは、なんで……?リベルトには、十分素質があるように見えたけど……」


 セオを見る。薄ぼんやりとした顔で、何の危機感もなくオレを見返す。

 素質?確かに、商人らしく人を上手く動かすのかもしれない。


 ――アイツが王?嘘だろ?なんでお前が、気づかないんだ。あんなやつがいいと思うなんて……。悪いやつでも良いやつでも、関係ない。何で分からない。結局、王は……セオ、お前だろう……。


 グッと手に力を入れる。


 ――クソッ。アホが、何で、何で……!しっかりしろよ!


 「リベルトが?そんな……」


 ――コイツは、何考えてるんだ!?……あんなやつ、お前には、到底及ばない。まんまとのせられやがってッ!


 苛立つ心を沈め、セオを見る。


 「……あいつは、セオとは違うぞ」


 ――アイツは、人を数字で見るやつだ。表面しか見なくて、一人一人を、見ていない。自分がたどり着きたい最後しか見てないんだ。上ばっかり見て、自分の足元で必死で生きてるやつを、見ようとも分かろうともしない。

 あんなやつの自己満足に付き合って死ぬやつが出るだろう。その時、あいつは平然と言うだろう、”時に犠牲も必要だ””全身全霊をかけたが、救えなかった”ってな……。

 セオは違う。絶対に。あんなやつと一緒にするなんて、吐き気がする。


 「リベルトは、そんなことは――」


 ――まだ、分からないのか?お前は、オレの言葉より、あんなやつの言葉を信じるのか?


 胸が苦しかった。首を抑えられたように息をするのが苦しかった。

 何を言われたのかは知らない。だがセオが、オレよりリベルトを信じるというのは、耐え難く辛い。

 自分からあれほど離れようとしたくせに、セオが離れていくのが、すごくイヤだ。


 ――やめてくれ。置いて行かないでくれ。信じてくれ。さっきまで、嫌になるほど近くにいたじゃないか。恥ずかしくなるほど素直に弱みを見せて、無警戒に隣に座って。


 セオの瞳が伏せられる。それが苦しげで、溺れる人を引き上げるように、思わず立たせていた。


 ――見苦しい顔……。


「っ……リオ?」


 セオが迷っているのが分かった。飼い葉桶に顔面を突っ込まれたみたいな顔。


 ――笑えよ。笑ってくれ……。そうじゃなきゃ、ロクに文句も言えない。


 オレはセオに、言いたいことが多すぎる。整理がつかなくて、忘れるほど多い。


 オレがこんなに悩んだのは、セオのことだけだった。セオと知り合ったせいで、セオといるせいで、こんなにも悩みが多い。


 でも、文句を言ってやる前に、立ち直ってもらわないと、何も言えない。


「セオは、王にならないのか?」


 その言葉は、自然と口から出た。セオは、この質問への応えを妙にためらっている。

 いつもはっきりと意志を示すくせに、この質問をすると、決まって苦しげに、ならない、というのだ。

 

 迷いだ。セオの目に、大きな迷いが浮かぶ。言ってしまえ、吐き出してしまえ、そう思った。

 セオが瞳を逸らす。

 まただ、また、ならないと言う気だ。……思ってもいないくせに。


 「セオ」


 名前を呼ぶと、セオがこちらを向いた。


 「リオは、僕に王になって欲しいのか?」


 王になって欲しいのか?

 それは予想もしない質問だった。分からない。単純な問いかけのはずなのに……王になって欲しいというのが、どういうことなのか分からなかった。


 「僕は、王は民に望まれてこそだと思うんだ。国は民の集まりで、民が国をつくる、ならその王も、民が選ぶんだって思う」


 ()()

 選ぶ。オレは、セオを王に選ぶ。

 今の王より、次の王より、革命軍のリーダーより、セオを王に……ッ!


 オレは――


 「……オレは、セオが、王になることを望む」


 そう言うと、セオが突然笑い出した。晴れやかな、夏の空みたいな笑い声。

 セオが光の中で、心底楽しそうに笑っている。金の髪は艶やかに輝き、緑の瞳は露に濡れた葉のように、光を反射する。


 「セ、オ?」


 ふと、セオが、こんなふうに笑ったことがあったことを思い出した。

 ずっと前、串焼き代をぼったくられたときも、こんなふうに笑っていた。晴れやかで、楽しげな笑み。


 「リオ。僕はこのアークリシア王国の王になる!それは、君がそう望んだからだ」


 胸を突かれる思いがした。オレが望んだ。だから、セオは王になる。


 「リオが望んだから王になる。そして、この国の多くの民に望まれる王になって見せる」


 輝いていた。このオレがいる同仕様もない暗闇を照らす輝き。オレが惹きつけられてやまない光。



「……………僕は、他の何物でもなく、この国で生きる全ての者の幸福の為、王になる」


 セオの目に、しっかりとした意志が宿っている。


「今の王を倒し、次の王を退け、革命軍のリーダーも出し抜く、そこまでしてやっと、王座に座り、王冠を手にできる。すごく遠い、でも、辿り着ける場所だ」


  こいつの進む道の先には、さぞ美しい光景があるんだろうと思った。歩く方向をはっきりと決めて、いつかの誓いにたどり着く。……なんの目的もなく歩き続け、暗闇を彷徨うように生きるオレには、羨ましいものだった。

 オレも、オレもそこに立ちたい。セオの側で、セオが目指す光景が見たい。セオについていけば、それは約束されたものだろう。ドブの中にいるオレを、引き上げてくれる。


 「オレは……セオに、付いて行く」


 セオが驚いてオレを見る。


 オレ自身も驚いていた。あれほど必死に離れようとした。けれど、口に出したいま、もう後戻りはできないんだろうと思った。


 「オレも、セオが目指す場所に行きたい。今言ったことを成すところが見たい」


 この胸に、痛いほどくっきりとセオの存在が刻まれている。忘れることも、離れることも、逃げることもできない。しょうがない。諦めるしか無いんだ。


 「リオ、ありがとう」

 「オレが、勝手に言ったことだ。礼を言われるようなことは……」


 急に礼を言われて驚く。

 その言葉一つで、何もかも吹き飛んで、一番良いものを選び取った気がした。間違ってないと、思わせられた。


 「リオ……」

 「ん?」

 「僕、帰らないと。昨日の夜に帰るって言ってたのに、もう日が昇ってる……」 


 間抜けで、愚直で、甘っちょろくい、オレの光。

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