7−4
夜の帳の中、道を進み塔につく。横についたはしごを、暗闇の中目を凝らして、丁寧に登っていく。
カン、カンとパイプを踏む音がする。静かな夜の中に響くその音は、懐かしく感じ、気持ちが落ち着いていく。いつの間にか、その音に導かれるように無心に登っていた。
上につくと、誰か先客がいるのが見える。リオだ。長い脚を伸ばし、後ろに手をついて、曇った空を見上げるように座っている。
リオがここにいることに驚いたはずなのに、それがどこか自然に感じていた。
僕も、リオの隣にゆるりと腰を下ろした。リオは僕を一度だけちらりと見ると、何も言わず、また空を見上げる。それが妙に受け入れられているようで心地よかった。
リオが身じろぎ、僕とリオの肩が微かに触れ合う。
それから僕は、リベルトの話、その後のエリックとエルガーの話をどこか遠くの国の出来事を話すように、淡々とリオに語る。
リオは黙ったまま僕の話を聞き続け、僕は内面の感情を全く揺らすことなく話し続けた。
不思議と、あれ程までにかき乱されていた心は欠片も残っていない。熱くも冷たくもならないままだった。
「リオ……僕は、今すごく迷っているんだ」
全て話し終え、そういった。弱々しくて掠れた声だったかもしれない。
リオに聞こえなかったかもしれない、そう思った時、リオが言う。
「そうか」
それだけだった。思わず言葉が溢れる。
「僕は、どうしたらいい……?」
また、長い間があった。リオの方を向くと、分厚い雲を見ていたリオがこちらを見る。灰紫の瞳と視線がかち合った。その時、リオの瞳に映り込んだ僕の顔が、どうしようもなく情けないものだった。
「ひどい顔だな」
リオが冷たく僕を見る。
「何でオレにそんなことを聞く?」
リオが僕の腕をつかんだ。グッと腕を引かれ、息のかかるほどに顔が近づく。リオの目が、僕の目をじっと見る。
「革命、王、国……オレにはなんの関係もない」
僕は乱暴にリオに掴まれた手を払い、睨み返す。
「それでも、聞かずにはいられなかった」
リオの言う通り、リオにとってはなんの関係もない話だろう。リオに僕が取るべき行動を聞くなんて、意味のわからないことだ。
そう思うと、急に頭が冷えていく。
「ごめん……。リオが言った通り、リオに聞くようなことじゃ――」
「だから、オレに関係ある話をする」
「関係?リオに?」
言われている意味がわからず、聞き返すと、リオは数度口ごもり、迷った様子で僕を見た。僕はその様子の珍しさに目を見張り、続く問いへの心準備が足りなかった。
「セオは、王になるのか?」
「は?え?そんな、はずは……」
取り乱した僕をリオは呆れたように笑って見る。
「結局、エルガーが言っていたのはそういうことじゃないのか?革命に成功した時、その革命軍にいる王子のお前が、次の王になる」
リオの言っていることが、どうしても理解できなかった。
「そんな……革命軍の代表はリベルトだ。だから……」
「だから、次の王はリベルト。ほんとにそう思うのか?」
リオが面倒そうにそう問う。僕の目をしっかりと見ていた。
「あいつが、王?少なくともオレはごめんだ」
「それは、なんで……?リベルトには、十分素質があるように見えたけど……」
民を思う強い心に、革命を起こそうとする行動力、多くの人を取り込むカリスマ性もあるような気がする。
「お前への取次を頼まれたときに少し話をしたが……オレはあいつが王になれるとは思わない」
「……リベルトは王になるとまでは言っていなかった」
リオが僕を忌々し気に睨みつける。苛立ちと、少しの呆れがその視線から伝わってくる。
「だからって……あいつが革命軍のリーダーで、革命に成功すれば、この国を支配するのはあいつだ」
「支配って……そんな」
リオの悪意が見える言葉に戸惑っていると、腕を再度掴まれる。強い力が、僕の手首を握り込む。
「セオ。支配だ。あいつはそういうやつだ」
「リベルトが?そんな……」
リオの目線に、胸がざわついた。
――リベルトは、僕と同じように、この国を、この国で暮らす民を憂慮して……
「……あいつは、セオとは違うぞ」
僕の心を狸を見透かしたようにリオが言った。
リオの瞳がにわかに暗く曇る。紫が薄れ、墨色に近い色に、惹き込まれる気がした。
「あいつは、オレたちを、孤児や平民を、見下してる。解体される羊を見て、ああ可哀想だ、といってるようなものだ。後でその肉を自分も食うのに。英雄が生まれる時、いつだってその周りは、悲惨な状況だ。オレたちはあいつの英雄譚の道具に過ぎない。オレたちを理由にして、革命を起こして、自分が英雄になりたいだけだ。ただのガキの英雄ごっこだ」
リオの言葉が僕を刺す。よく砥がれたナイフみたいな鋭さだった。
勢いに押されつつも、なんとか反論しようと、拙く言葉を紡ぐ。
「リベルトは、そんなことは――」
「セオ、お前は勘違いをしている。何で会ったばかりのやつを、そう信用する?お前は誰でもそう簡単に信じるのか?」
バカにされているのかと、ムッとして開きかけた口を閉じる。リオが痛みすら感じさせるような表情で僕を見た。それが、どうにも悲しげで、言葉が出なかった。
「セオは、何の計算もなくオしたちと一緒に走った。憐れむことも、変な同情を示すこともなく、ただまっすぐに 見て、等身大の生身のセオで、オレたちと言葉を交した。いつだって真剣に、オしたちと同じ場所で必死になって……」
胸のざわつきが、俄に大きくなる。
リベルトの話と口振りを思い起こす。郎々と語られる民の惨状と明瞭すぎる言い様は薄っぺらさを――いいや、あれは僕に助助を乞うため訴えかけるためであって…… 。どういう考えがあろうと、リベルトが、革命という大きな行動を起こそうとして、事実、それを準備していることは確かだ。それは、問題ごとが飛び込んで来るのを、ちまちまと解決している僕とは違う。僕は結局、革命を起こすなんて思いつかず、覚悟すら定まらない。
そんな僕が、リベルトがどんな企みを持っていたとして、それを責める資格も、遮る権利もないはずで……。
思考が楽な方へ走り出す。今更、リベルトを疑って何だって言うんだ。僕は、もう協力すると約束した。今の陛下を倒せるのなら、何だって……。
灰紫の瞳が、僕が楽な方へ逃げるのを許さず鋭く光る。
不意にリベルトの瞳が脳裏に思い浮かぶ。鬱蒼とした森のような色。迷い込み搦め捕られ、僕はリベルトの話を信用した。言っていた事に、何もおかしな事はないはずで……。
考え込み始めた僕に何を思ったか、リオが突然、僕を上に引っ張り上げ立たせる。
「っ……リオ?」
困惑しながらも立ち上がった僕に、リオが向き直る。
「セオは、王にならないのか?」
また、この質問だった。 僕が王?そんなのあり得るはずかいない。僕は第一王子じゃないし、アティードもない、人気もない、力もない ――
「セオ」
リオが僕を呼ぶ。それにうながされるように、口が開く。
「リオは、僕に王になって欲しいのか?」
リオは何も言わずに僕を見た、視線がさ迷うように揺れている。
「僕は、王は民に望まれてこそだと思うんだ。国は民の集まりで、民が国をつくる、ならその王も、民が選ぶんだって思う」
父さんは、沢山の人に望まれて、王になった。王になってからも、アティードで沢山の人達を救い、慕われていた。
陛下は違う。僕を王にするなんて話も出たぐらい、王になれる人が居なかった。そんな中で、父さんの弟だという理由で王になった。
リオが瞳を大きく目を開き、灰紫が僕の瞳の中でゆらゆらと揺らぐ。
その瞳に、光が宿る。闇の中で煌めく剣みたいな輝き。その鋭さと力強さに魅入られる。
「……オレは、セオが、王になることを望む」
リオがそう言った時、スッと自然に僕の体にその言葉が染み込んでいく気がした。
僕の中の濃い霧が、風に流されるように晴れていった、僕の視界を覆っていた闇に、ヒビが入り、光が美しく差し込む。雨上がりの晴天みたいな空気が流れ、強い力に押されるように、心が動き出す。
いつの間にか、東の空から日がのぼりはじめている。光がリオの黒髪を照らし、滑り落ちる。
僕は思わず笑い声を上げる。心の底からの笑み。カラリと晴れた笑い声が、朝焼けに染まる空に広がっていく。
「セ、オ?」
「こんな、こんなに簡単なことだったんだ」
笑いながら、言葉が自然に出る。
「リオ。僕はこのアークリシア王国の王になる!それは、君がそう望んだからだ」
愉快だった。嬉しかった。何も、悩むことなんてなかったんだって気づいた。
「リオが望んだから王になる。そして、この国の多くの民に望まれる王になって見せる」
ああ、単純で明解なことだ。
朝日に照らされ、街が動くのが見える、心が浮き立ちながらも、思いでいた。
「……………僕は、他の何物でもなく、この国で生きる全ての者の幸福の為、王になる」
心中に、様々なことを浮かべた。今、僕が悩んでいたこと全てを。そんなもの、王になれば、好きなようにできる。王は、この国の最高権力者なんだから。
僕が王になる。それだけで、全部の悩み事が解決するんだって確信した。
「今の王を倒し、次の王を退け、革命軍のリーダーも出し抜く、そこまでしてやっと、王座に座り、王冠を手にできる。すごく遠い、でも、辿り着ける場所だ」
ふとりオを見ると、呆けたように僕を見ていた。
「リオ?」
リオの瞳の中の影がゆらめいた、その美しさが僕の心を蕩揺する。
「オレは……セオに、付いて行く」
今度は僕が呆ける番だった。
――リオが、僕に....?
リオはずっと独りでいるんじゃないかと、思っていた。僕は、誰かが側にいないと、何にもできない。けど、リオは、自分だけでも歩んでいける強さがあるから。
僕と共に行動することがあっても、それは、一時 の気紛れで、従し心からなんだと。そう思っていた。
狼狽えた僕に、リオが少し笑った。
「オレも、セオが目指す場所に行きたい。今言ったことを成すところが見たい」
リオが、はっきりとした口調でそう言い切った。
リオの柔らかな笑みにつられるように僕も笑う。心が温かさで満たされていく。
喜びで、胸がカァッと熱くなる。驚きも、戸惑いも、困惑も……些細になるほど……嬉しかった。
「リオ、ありがとう」
僕の言葉に、リオが目を丸くして、耳の端を赤く染めた。
嬉しい。苦しいほどに、強い喜びだ。
「オレが、勝手に言ったことだ。礼を言われるようなことは……」
照れたようにそう言い募る姿が、妙に愛らしく、胸がぎゅっと締め付けられた。
リオの瞳と髪が、朝日に照らされてキラキラと輝く。
なんだか照れくさくなって、昇ってくる日を見つめていると、パッと不味いことを思い出す。
「リオ……」
「ん?」
「僕、帰らないと。昨日の夜に帰るって言ってたのに、もう日が昇ってる……」
神妙な顔をした僕に、リオが吹き出すように笑い出す。
「笑い事じゃないんだ。ぜったい、おこられる……」
脳裏に浮かぶのはウィルの怒り顔。
「早速、ついて行ってやるよ」
リオが楽しげにそう言い、カラカラと笑った。




