決闘の時
グレイスラー・レイノルドがやってくる。
背の高い美丈夫で、僕のことを真っ直ぐに見下ろしている。僕も負けじと見返すと、背を屈め、双眸をのぞきこむように見られる。
「……腕を斬れと言われました」
低い声が僕を脅しつけるように響く。僕はベルランツ兄様の方を見る。楽しげな笑みを浮かべ、側に侍った貴族と上機嫌に話していた。
「ここでひいてくれれば……俺は腕を斬らないですむのですが」
「始まってもいないのに負けを認めろと?レイノルド騎士団長」
僕が少し力を込めてそう答えると、レイノルド騎士団長は以外そうにつぶやいた。
「今回、何もかけていないと聞いたんだが」
何もかけていないんだから、今ここで勝負をおりろということらしい。
――ここでおりるわけがない。
僕はにっこりと笑んで見せる。
「名誉をかけているので」
僕にとってこれは汚名をすすぐチャンスでもある。それ以上に、ここまで来て勝利を目指さないどころか、試合すらしないなんて真似、到底できない。
レイノルド騎士団長は、ほろ苦く笑い、
「噂とは大違いみたいですね」
と言うと、僕の向かいに立った。
剣はもちろん真剣だ。鞘から抜かれた剣が、光を反射して、キラキラと輝いていた。
目の前にレイノルド騎士団長が無造作に立っている。僕はエルガーから教わったことを一つ一つ思い出しながら、体になじませるように構える。審判の男が僕らの真ん中に歩いて、手を上に上げた。
腕を斬り落とす?それはレイノルド騎士団長のハンデだ。ベルランツ兄様に感謝したっていい、そう思って笑う。
グレイスラー・レイノルドは正面で剣を構えるセオドール・リヴァルスを観察していた。
――悪くない……
道楽がてら剣を握ったにしては、構えが様になっている。
先程、セオドールに腕を斬ると言った時、何の揺らぎもなく平然と笑って見せた。腕を斬られるということがどういうことなのか、分かってすらいないのかとも思ったが……向かい合って構えると、真っ直ぐな覚悟を感じる。なかなかどうして肝がすわっているらしい。
腕を斬り落とすといっても、なにも肩口から斬るわけじゃない。それは死んでしまう可能性もある。二の腕、肘のあたりで……いいや、そこまで斬らなくとも、手首の辺でも十分ではないか。
そこまで考えたところで、自分が思いのほか、セオドールを気に入っていることに気づいた。
――当たり前か。
グレイスラーを代理に出し、腕を斬り落とせと命じておき、高みの見物をするベルランか。腕を落とされると分かている勝負に真正面から向かうセオドールか。
セオドールの方を気に入るのは当然だろう。
もともとベルランツは気に食わなかった。が、ベルランツの後ろには、国王陛下がいる。王国騎士は、国王陛下に従う義務がある。ベルランツの方の命に従う理由はそれだけだ。
勝負が始まり、セオドールが、愚直にこちらに打ち込みに来る。それを軽くいなしながら考える。
――あまり怪我は負わせたくない。
この後に及んでさえ迷いがある自分に焦りを覚える。
向かってくるセオドールに迷いはなかった。まさか、レイノルドに勝てるとは思っていないだろう。つまりは、ここで腕を斬られる覚悟をしているということだ。斬られる本人に迷いが無いのに、レイノルドが迷う理由など無いだろう。
しかし惜しい。剣の筋も悪くない。
せめて、一瞬で斬る。
強く打ち合い、その拍子に腕を切りつけてしまった風を装おうと、間合いに入りこむ。
驚いたように身を引くセオドールに肉薄し、剣を弾かんとばかりに打ち込むと、防戦一方となったセオドールの剣がすぐにブレ始める。
そこでできたスキに剣を縫うように入れ、右の腕あたりを狙い、一直線に剣を振り下ろした時。
首筋が泡立った。
慌てて剣をひき間合いを取り直そうとしたが、既に遅く、先程までの打ち合いより数段早いセオドールの剣が首元に迫る。
レイノルドの首に薄いすじがついたところで、剣がピタリと止まった。
辺りが静まり返った。セオドールの呼吸音がはっきりと聞こえる。
「審判」
セオドールが楽しげな声で、呆然とした審判役の男を見ながらそう言った。
「……しょ、勝者、せ、セオドール殿下」
パラパラと取り繕ったような拍手の音が聞こえる。
「僕の勝ちだよ、ベルランツ兄様」
振り向いて見たべエルランツの顔は、白く染まっていた。
「は、あ、うわあぁぁ!……う、嘘だ嘘だ嘘だ!なんで、なんでだ。いつも、お前は……アティードも持たない出来損ないが……っ!」
髪をむしるように両手で掴み、見苦しく取り乱す。
ベルランツの瞳が、キッとこちらを睨みつける。手負いの獣のような瞳に、危ない輝きが宿る、
「グレイスラー・レイノルド!お前が、手を抜いたんだっ!」
「決してそのようなことは……これはセオドール殿下の実力です」
努めて冷静に返すと、ベルランツが憎々しげにこちらを見て、歯を食いしばる。
手は抜いていない。ただ、油断はしていた。腕の斬り方には思考をめぐらしたが、セオドールに勝つ方法は考えもしなかった。
そして、最後の剣筋は、それまでの打ち合いとは比べものにならないほどの速さだった。油断を、すっかり見透かされて上に、逆手に取られた。
ベルランツが、呪詛を吐くかのようにぶつぶつと低い声でつぶやき出す。
「……あり得ない。……許されないんだ。俺が負けるはずはない。俺は――」
レイノルドは、勝負に負けたが、どこか清々しい気分だった。自分が負ければ、騎士団のメンツも丸つぶれだ。ベルナルドから、後で何か言い渡されるかもしれない。自分は騎士団長からおろされるかもしれない。
様々な懸念があってなお、セオドールに負けたことが最良であった気さえした。
――それは、腕を切らずにすんだからか?
セオドールとて王族。本来守るべきものを、自らの手で決闘にかこつけ、故意に斬りつける。それへの躊躇いが大きかったのだろうか?
ぼんやりとそう考えていると、セオドールが軽く笑いながら歩いてくる。
「いい気味だね。みんな僕が負けると思い込んでたから、酷く取り乱してる」
「……はい」
「僕も鬱憤が溜まっていたらしい。ベルランツ兄様の姿に、つい笑った」
「どうして、私にそんなことを話すのですか?」
レイノルドはベルランツの代理としてここに立っている。つまりはベルランツ側で、セオドールからすれば、敵だろう。
その相手に、ベルランツを貶すようなことを言うのが分からない。
セオドールは目を煌めかせ、こちらを見て、
「清々したって顔、してるから」
と言いながら、イタズラ気に笑った。
「そう、ですね」
そう、それで、負けたのに良い気分なんだ。言われて、そう分かった。
この場合不敬なのかもしれないが、自分は清々したんだ。
「あと、迷ってた?」
セオドールは、自分の腕をみやっていた。
自身の迷い。セオドールの腕を斬ることの迷いを、見透かされていたらしい。
「ああ、迷っていた」
「そうか、じゃあ感謝しないとね」
「感謝?」
「レイナルド団長の優しさのお陰で、僕は勝てたんだから」
そう言って何の屈託もなく笑う。
迷いを優しさと捉えられたことに驚きつつも、決闘に負け悪くない気分の理由のひとつに気づく。
――負けたのが、この人相手だったからだろう。
セオドールの瞳が光を取り込み、生き生きとした新緑を思わせる。
――この人相手なら、いくら負けたって、悪くないと思えそうだ。




