6−3
城に帰リ数日立った頃。
僕は、ぼんやりと机に座っていた。
「殿下」
ウィルが僕に紅茶を入れ、カップを机の上に静かにおいた。
「ウィル?」
決闘。教会。ヨルト。聖女。ベルランツ兄様。リオ。エルガー。
思考がまとまらず、頭の中で舞踏会のようにクルクルと回っていた。手を取り合った男女が、回転しながら、会場を周回するように、終わりなく回り続けるんだ。
いっきに色々なものを詰め込みすぎたのかもしれない。
「そろそろ来られる時間かと」
そうだ、今日は聖女が僕のところに来る日。
ベルランツ兄様との決闘をすることになった僕は、教会の聖女を呼んでみることにした。なんでも、聖女びは怪我や病気を治す能力があるらしい。最近は、聖女のお陰で民からの信頼も厚く、教徒も順調に増えているとか。
仮病を使ったままの決闘は流石に無理だろうし、リオに聞いた、国民に広がっているという僕の噂を少しでも払拭しようと思ったのだ。
聖女の持つ能力がアティードなのかそうでないのかも分からないけれど、来てもらって僕の病気を直してもらった、ということにするつもりだ。ついでに、ヨルトの栽培に関しても探りを入れられる、というわけだ。
「その、大丈夫でしょうか……」
「何が?ウィルは賛成なんだと思ってたんだけど……」
ウィルは度々僕に、噂を払拭すべきだ。それができなくとも、否定ぐらいはするべきではないか。と言っていた。だからこそ今回の僕の考えは、ウィルにとっても嬉しいことだと思っていたんだけど、どうにもウィルの表情は芳しくない。
「最近の殿下の周りを考えると、またなにか厄介事が舞い込んでくるのではないかと思いまして」
ウィルが顔をうつむけ、ため息混じりの息を吐いた。
「聖女を呼び、噂の一部を払拭するということについては、もちろん賛成です。ですが、決闘に関しては反対です」
ウィルが珍しく強い口調で言い切る。
「そんなに嫌かな?」
「嫌です。今回ばかりは、譲れません」
ウィルの青い瞳が細まった。
「僕が負けたとしても、もともと名誉なんて持ってなかったやつが一人恥をかくだけのことだよ」
「名誉なんて、いいんです。……決闘なんですよ。死んでしまうかも、しれませんよ。私は、殿下が走り出すのを止めたくはないです。でも、それだけは、許容できません」
ウィルの声が、微かに震えていた。
死ぬ。
そうだ。決闘は殺し合いじゃない。それでも、運が悪ければ死ぬ。当たり前だ、真剣で名誉をかけて勝負するのだから。
「死なないよ」
たとえ勝負に敗れたとしても、死ぬつもりはない。
死んでしまえば、何もできなくなってしまう。心残りが多すぎて、死んでも死にきれないだろうなと、笑ってしまう。僕が笑って答えるのとは対象に、ウィルは苦しげに顔を歪める。
「そんなの、わからないじゃ、ないですか……」
ウィルは崩れるように僕の両肩に手を載せ、弱々しい声でそういった。
ウィルに分かってもらえなくても決闘はするつもりだ。そう決めていても、思わず心が揺らいだ。僕は、誰かが僕を心配してくれる時、てんで弱りきってしまうらしい。それでも、ここで流されるわけにもいかない。どう言えば、ウィルが納得してくれるのか考える。
「死なないって誓うよ。この……立派な髭にかけてね」
僕は自分の顎をさすりながらそういった。僕に髭はない。
ところで、無いものへの誓いは無効になるのかな?つまり、何を誓ったって嘘の誓いにはならないってこと。
「ふざけないでください!」
冗談めかして答えた僕に、ウィルが眉を吊り上げて叫んだ。
――誤魔化されてはくれないらしい。駄目だな、僕は。
「ごめん」
ウィルが僕の肩からそっと手を離し、脱力するように手をぶらりと垂らした。
「じゃあ、ウィルが持つ僕への忠誠に誓う」
ウィルが驚いて目をまん丸に見開く。これを使ってしまえば、ウィルは認めてくれる。そう確信していたからこそ、使いたくなかった。
「それは……」
「……ウィル、僕への忠誠はあるかな?」
しばらくして、ウィルが口を開き直した。
「もちろんです」
その一言に、たくさんの想いが積められていると感じる。僕は忠誠を受けられるような立派な人じゃない。でも、胸の奥から込み上げてくるような嬉しさがある。
「じゃあ、それに誓う。僕は死なない」
ウィルが軽く息を吐きだし、僕に深く礼をした。
ウィルに言うつもりはないけれど、本当はもともと、内心でそう誓っていた。
この世界で僕は、1人分の場所を塞いでいるだけ。僕がそこをどけば、もっとマシな人間が僕のあとを埋める。
それでもきっと、ウィルは僕の死を悲しんでくれる。それは僕の命に、僕だけじゃなく、ウィルも価値をつけたことになる。たとえ、僕が僕の命に全く価値をつけずとも、ウィルが価値をつけてくれる。僕の命は僕の意思のみで捨てられるものじゃないってことだ。なら僕は、ウィルが僕を思ってくれる分だけの誓いをする。
僕はウィルと応接間の方へ向かった。ウィルは決闘を一応は許してくれたようだったけど、私の忠誠に誓うなんてずるいとぼやいていた。
応接間に入ると、二人の人物が座っていた。
一人は聖女と呼ばれる少女だろう。僕と同じくらいの年頃で、絹糸のような金髪を覆うようにウェールを被っている。まだ少し幼さを残す綺麗な顔に緊張を浮かべ、体をこわばらせて座っていた。小柄な体が、ますます小さく見える。
もう一人は、大司教だ。ここアークリシア王国の神教においての最高位の権力者と言える。大司教以上になると、国内にはおらず、聖地である神教国にいるらしい。
アークリシア王国からは少し離れており、国交も盛んではないため神教国についてはあまり知らない。
大司教が脂ぎった顔に笑みを浮かべ、豊満な体を揺らす。聖職者と言うより、アコギな商売人のようなギラついた雰囲気で、あらゆる種類の胡散臭さを寄せ集めたみたいな男だった。
「王子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。して今回は。うちの聖女様に、病気の治療をということですが」
「はい。お願います」
なんで大司教が一緒なのかは分からないが、ヨルト栽培に関する探りを入れるのに都合がいいかもしれない。
「ところで、治療というのは、どうやって?」
僕がずっと気になってみたことを聞いてみる。
「はい、彼女は他者の健康状態や怪我の状態がすべて目視できるのです。その上、手をかざすだけで瞬く間に病を癒やすことができまして」
「それは、すごい」
そう言いながらも内心冷や汗をかく。なんせ僕の病気は仮病だ。ここでなんの病気もないと言われてしまえばどうしようもない。
「ではさっそく、エリーシア」
大司教がそう言い、僕が止めるまもなく、少女が、パッと目を見開いた。目が金色に輝く。美しい音色を持つ鐘の色だ。
――アティードだ。
そう思った時、少女が焦るように口を開いた。
「これは、酷い病です。体全体が蝕まれて、命さえ危ういほどの、恐ろしい病」
は?と言いそうになった口を慌てて抑える。大司教も驚いているのか、僕の様子には気づいていない。
「なんと、それほどの病とは。エリーシア、治療はできるのか?」
「はい。ですが、お体に触れなければ、失礼します」
そう言った少女が、バッと僕の体を抱きしめる。慌てた僕が、ナイフでも隠し持っているんじゃないかと突き放そうとした時、
「――力をかしてください。みんなを助けたいんです」
耳元で囁かれる。先程までとは打って変わった落ち着いた声色だった。僕に触れた体が小刻みに震えているのを見て抵抗する力を抜く。
乾燥した唇。こけた頬に細すぎる体。聖女と呼ばれる彼女の立場がどんなものなのか知らないけれど、優遇されているようには思えない。
「わかった」
何についてのことなのかすら分からない。でも、そう答えて大丈夫だと確信していた。
そのまま自然に、僕の手に紙切れを押し付け、席に下がった。
「治療は終わりました。もう大丈夫です」
彼女は何事もなかったかのように、にっこりと笑ってそういった。