1−3
今度は、街の活気のあるところに連れて行かれる。さっきよりも人がたくさんいて、少し賑わっている。きっと、スラムというところではないんだろう。
しっかりとした店が立ち並び、向かい側では、揺れがひどそうな馬車が、ガッタン、ガッタンと走っていく。小さな広場で、何か大道芸のようなものをしている人がいて、円形に人だかりができていた。店の売り子が競い合うように声を張り上げる。
どこもかしこも新しいものでいっぱいで、キョロキョロと辺りを見回していると、横からグイッと手を引かれた。
「いくぞ」
少年の低く静かな声に我に返る。そのまま、周りが気になりつつも、大人しくついていく。
複雑な通りをさして迷う様子もなくすいすいと進んでいく少年の後をついて歩いていると、少年がピタッと立ち止まった。少年の案内に引っ張られていった先にあったのは、高くそびえ立った塔だった。
少し廃れているものの、ずっしりと立っている。
王城にある僕の部屋からもみえる塔だ。ただ、城から見るよりも、ずっと高く見える。下から見たことのなかった塔をあっけにとられつつ見上げていると、少年が焦れたように手を引っ張る。
「こっちだ」
「え?」
てっきりここが目的地だと思っていた僕は、思わず聞き返すが、少年が答えてくれる様子はない。さっきから、なんの説明もしてくれない。
「君って案内人には不向きだね」
「余計なこと言ってないで、行くぞ」
そう言って少年は、塔の横にひっそりとついている非常用のはしごを登っていく。正面にはちゃんとした扉もあるから、普段は中から登るのだろう。
「え、登るの?」
「ああ、怖いのか?」
少年の目には、からかうような、それでいて、こちらを試すような色が浮かんでいる。
僕はそれに答えるように、少年に続き、はしごを登り始める。
僕の部屋だって、高いところにある。これぐらいなんてことない。そう思って登り始めるが、思っていたよりもずっと怖かった。カン、カン、と、二人の足がパイプを踏んでいく音がする。
周囲の喧騒が遠くに聞こえる。下を見るとだいぶ高いところまで来ており、手に汗が滲む。それで、滑り落ちるんじゃないかとヒヤヒヤしてしまう。
そう思ったときだった。次のパイプを掴みそこねる。
ゆっくりと進む時間の中で、すっと空を切った手と傾いた体に、ああ、落ちた、と思った。全身の熱が急に冷えていく。
パシッ、と乾いた音が聞こえた。
少年の手が、僕の上に大きく伸ばした手ををギュっと握っていた。そこから熱を注ぎ込まれているような気がした。
「あ、ありがとう」
僕はぼんやりとしてそう言うと、少年が焦るように言う。
「こののろま!早く自分で掴め!!手が痛い」
よく見ると、少年の手首のあたりが青く腫れ上がっていた。もともと怪我をしていたのだろう。
慌てて僕が少年の手を離すと、痛そうに僕の手を掴んでいた方の手を擦り、淡々と登っていく。
それから、落ちないように、慎重に、最初よりずっとゆっくりと登っていた僕に業を煮やしたのか、少年は僕を煽るように言った。
「あんたみたいな、お貴族様には、登れないんじゃないか?自分で、はしごも登れないなんて、随分と腑抜けてるんだな」
バカにした言葉にイラっとした僕は、上にいた少年を追い立てるように、猛然と登る。
カンカンとテンポ良くなっていた音が止まる。気づいたときには、登り終える直前だった。
「手」
先に登り終えた少年が、僕に手を差し出し、引っ張り上げてくれる。
最初は、不気味で悪いやつだと思ってたけど、良いやつなのかもしれないし、よくわからない。そんなことを思いながら息を整える。
ようやく落ち着いて周りを見回すと、鮮やかな景色が広がっていた。
下には、大小様々な大きさの建物が立ち並び、人々が忙しそうに行き交っていた。おもちゃみたいな馬車が動き。子供たちが走り回っている。
色鮮やかな景色に目を奪われる。
ここは、王城の部屋よりは低い場所だった。だからかもしれない。街が城から見るよりもずっと近くに見える。それでいて、ずっと面白いもので、きれいなものだった。
「きれいだろ」
横にいた少年が地べたにゆっくりと座ると、ポツリとそういった。
「うん。なんか、きれいだ」
僕はなんとも言えなくて、そんな言葉をこぼしながら少年の隣に腰を下ろす。
王城にあった風景は、絵画を見てるみたいだったのに。
「街って動いてるんだね。ずっとそのまんまな気がしてた」
「あんた、ほんとに変なやつだよな」
僕の言葉を聞いた少年は、呆れるような、訝しがるような、そんな表情を浮かべた。
「お貴族様は、みんな、こうなのか?」
「そういえば、なんで僕が貴族だって分かったの?」
今の僕は、ボロボロの服を着てるし、従者は一人も連れてない。
「その、お上品な喋り方、働いてなさそうな体、アホなおつむが原因だな」
むう、と頬を膨らませながら、今度は僕が少年のことを当てようと思った。
「君は、この国の人じゃない」
「なんで?」
「だって喋るとき、詰まってることが多いしね」
得意げにそういった僕を少年はカラカラと笑った。
「残念。確かに、長い間国を離れていたが、この国の出身だ」
楽しそうに笑う少年は、最初のような、不気味な感じはしなかった。
それから少年は、ここから見える街のことを教えてくれた。
「あれは、パン屋。食パンはいいが、クリームパンはクソまずい。あれは、肉屋。目の悪そうなジジイがすわってるが、実は、目がいい。このちょうど下辺りが、服とか布を売っていて――」
「服とか布を売っていて?」
突然詰まった少年を促すように言うと、難しい顔をして答える。
「普段、行かないから、中のことは、わからない」
そういったっきり、少年は黙り込むと難しい顔をする。真剣に考えている様子がなんだか急に子供っぽく見えてくすくす笑っていると、急に背中を強く押される。
体が傾き、よろめいた拍子にそのまま落ちそうになった。体が前のめりになる感覚に、ヒヤッとする。
「何するんだ!」
慌てて体を引き戻しながら怒鳴った僕に、少年がクスッと笑う。
そして、さっきの話の続きを澄ました顔で言った。
「落ちても助かりそうなところだ」
下をそっと覗くと、その服とか布を売っている場所は、蜘蛛の巣みたいにロープが張り巡らされ、大量の布が干してあり、その下には大量のわらが敷いてある。
「確かに……」
僕がなぜか納得してしまっていると、爽やかな風が吹いた。ふんわりと温かさを運ぶような優しい風だ。その心地よさに目を細めゆっくり息を吐いた。
「夕日だ」
不意に少年が言った。いつの間にか、そんなに時間がたっていた。
夕日を見る少年の横顔はきれいだった。
その瞳は一直線に、赤く輝く太陽を見ていた。僕はこっそりその横顔を盗み見た。灰色がかった紫の瞳は、まるで宝石を磨いたみたいに、濃い紫にきれいに輝いている。それは、沈んでいく赤い夕日をくっきりと写し込み、まるで、瞳の奥が燃えているようだった。
はじめは、この灰色が曇っているみたいで不気味だった。でも、今はそんな灰紫がとびきりきれいに見える。
それから僕も沈んでいく太陽を眺めていた。目に焼き付くような赤い光を見ていると、僕も少年のように瞳の奥が燃えているように感じる。
時間はゆったりと流れていて、自分がこの国の王子であることも忘れるほどで、夢の中にいるみたいだった。