灰紫色の回顧
もう一度会うことなんて無いと思っていた。
エリックが連れてきたローブを着た男はセオだった。
明るい緑の瞳と視線がかち合う。大きく開いた瞳の中に、自分の姿が映り、思わず息を吸った。
もう一度会えるはずがない。そう言い聞かせてきた。そのとおりだと、貴族のお坊ちゃんとスラムの孤児じゃ会うはずもないと、知っていた。
それでも期待せずにはいられなかったのだろう。胸があたたかく震えていた。
「セオ……」
そんな自分に嫌気が差す。セオに会えることを期待していた?こんな気持が悪くなるくらいにオキレイナやつに?
その事実がなおさら悔しかった。
セオは、まるで変わっていなかった。そのバカさ加減には呆れる他無い。何の見返りも要求せず、エリックに付き合って、危険なところに突っ込む。自分からどうしてそう危険に巻き込まれに行くのか理解できない。
エリックが外から叫び、中から2人出てきたときだった。
その時、首の後ろがチリチリと焼けるような感覚がした。奇妙な違和感を感じながら、セオを見て、
――誰だ?あれは…っ?
分からなくなった。セオがセオであると。明らかに纏う空気が変わっていた。とっさに頭に浮かんだのは、塔の上で見たセオの姿だった。
――ちがう、また別で――
頭に浮かんだ疑問を振り払おうと、出てきた男に殴りかかる。
それとほとんど同時に、セオも駆け出した。そして、男の首を絞めていた。その瞳に映るのは、焦りでも、高揚でもなかった。寒気がする。まるでなにか物でも見るような、冷たく、感情を感じさせない目で、このまま確実に仕留めきるんだと分かった。
――駄目だ!セオ、お前が、お前がそれをするのか!?
そう叫びそうになるのを必死でこらえる。
オレは、必要があるのならば、躊躇いなくやれるだろう。目の前で誰が死のうが殺そうが殺されようが、オレにとっちゃ大した問題でもない。もしこうなったのが目の前にいる見知らぬ誰か、あるいは関わりの薄い知り合い程度であれば、平然と通り過ぎていただろう。こんな時もある、珍しいものでもない、と、関心を寄せることもなかっただろう。エリックであれば……今後の関わりを一切断つだろうが、止めはしなかっただろう。
……ただ、セオであることが耐えきれなかった。
慌てて声を上げながら肩を揺すると、セオは直ぐに正気に戻った。
――正気?セオにとって、どっちが正気なんだ?
湧き上がる衝動を抑え込み、先に進む。
分からない。オレの知らない間に、まるっきり変わってしまったのか?変わってないと感じさせたあの姿は嘘なのか?
内心に渦巻く疑念を誤魔化すように軽口をたたきながら進むと、さっきのことなんてさっぱり消え去っていた。感じた冷たさはなく、気の所為だった。そう思うほどに、セオは終始緊張した表情ながらも、さっきのような危うさは微塵もなかった。
そんなことを気にしていたからだろうか。セオが子供たちを全員連れ出すと言い出した時、どこか安堵していた。
昔……あの時、オレを助けるために青ざめた顔で立ち向かおうとしたセオと、今のセオに、何ら変わりはないのだと確かに感じられた。
セオが変化することが嫌なわけじゃない。変わることは当たり前で、変わっていないはずがないと思っている。だが、そうであっても、セオの愚直さ、無謀さ、正義感、甘さ、どうしようもないバカさ、それが変わってしまうのは嫌だった。
しかし、それとは別に、そういう部分すべてが腹立たしい。
「連れ出したい。助けたいんだ」
バカだ。バカすぎる。
何も考えていないその空っぽの頭に苛立ちが増していく。
「お荷物を連れられる余裕はない。それに、そいつらを出せば今回のことが確実にバレる」
「じゃあこの子たちをここで見捨てるのか!?」
なぜそんな当然のことを聞くんだ。
「見捨てる」
セオが驚いたようにオレを見る。
見捨てるという選択はそこまで驚くようなことなのか?ここでコイツらを助ける。それがどれだけのリスクかも分かっていない。
自分の中の正義が全てに通じると思っている。ここから出ることが、コイツらにとっての救いだとなぜ分かる?ここで助けることが正しいと盲信している。それが無性に腹立たしい。
救う?何からだ?救われる?どうしてそう言える?
「この子達は今、ここを出たがっている!それに、両親がいる子だっているかも知れない」
「じゃあリオはいいさ。僕がこの子達を連れ出す」
「リオが冷たすぎるだけだ!目の前に助けを求めている子達がいる!それを助けることがそんなに悪いことなのか?」
オレにはできないし、やりたいとも思わない。コイツらの今後に責任を持つつもりもない。関わる必要もない。わざわざ面倒事と危険を背負おうとするその姿が理解できず、怒りがくすぶる。
力強い瞳の輝きに、飲み込まれるんじゃないかと思った。
本当に、セオなら救ってしまえそうだった。ここから出すことが救いになるとは限らない。むしろ不幸かもしれない。だが、出さないことが救いではない。
分からない。分からないのに、セオのもつ思いに従えば、全部まるごと最良になる気がした。
それは、今までオレが捨ててきたものを肯定しているようで、オレの今までずっと持ち続けてきた苦しさを、いとも簡単に全て溶かしきってしまうで、無性に泣き叫びたくなった。
「黙れ!!!」
引き寄せたセオを睨みつけながら告げた。
身分の話を持ち出したのは、ただの嫌がらせだった。負け惜しみだ。それで、セオを少しでもぐらつかせてやりたいと思った。
セオの考えは甘い考えだ。ただ、それが身分からくるものじゃ無いことぐらい分かっていた。
――身分だってセオの一部だ。それに影響されないなんてことがあるわけ無い。
自分の中の冷静を装った自分がそういった。
でも、本当は十分、分かっている。セオは、そんなもの関係なく、助けようと考えるやつで、何にだって囚われていない。
「リオ、ここで身分の話を出すのは違うよ。僕は今、なんの身分ももたないただのセオだ。それを理解した上でここにいる。それでもこの考えは変わらない……リオこそ身分に縛られている。人を助けるという思い自体に身分なんて何の関係もないだろう。身分を考えるのは、助ける手段を考えるときだ」
胸を手刀で鋭く突かれたような気がした。でも、セオの手は全く動いていない。
頭が燃えるように熱い。さっきからのセオの言葉が妙に耳に残り、身体じゅうを暴れまわる。
「それ以上その馬鹿げた提案をするならオレは、セオ、お前をここで殴りつけて気絶させる」
全身がこのまま沸騰してしまうようで、殴りつけてやろうかと、拳を握りしめる。
頭を揺らす。首を絞めたって良い。気絶しなくとも、動けなくして担いでここを去る。暴れるようなら囮としておいていく。その辺に転がしておいてやる。
「……見捨てると言え」
言うんだ。自分の意志でコイツらを見捨てると。その正しさとには限界があると、願っても叶わないことがあると、セオ自身に認めさせたかった。
だが、しばらく到底諦めそうにない顔を眺めて、どうでも良くなった。
「エリック、撤収だ」
――セオはこのまま1人でだってコイツらを連れ出そうとするんじゃないか。
オレの予想とは裏腹に、大人しくついてきた。それに違和感を感じつつも、心底ホッとしている自分に吐き気がした。




