3−7
中は薄暗いが、所々に明かりが灯っている。
長い廊下のような空間で、エリックがキョロキョロと辺りを見回している。
「手分けして探そうぜ」
その時、どこからか笑い声が聞こえてきた。
「誰かが談笑してるみたいだ。まとまっていた方がいいかもしれない」
「オレもそう思う」
僕とリオがそう言うと、エリックも頷き、所々にある部屋を確認しながら三人で進んでいく。
「ここまで来てあいつらがいなかったらどうすんだよ、リオ」
「さあな、手ぶらで退散だ。泡沫の如く消える」
エリックの言葉に、僕も軽い不安を覚えたが、リオが至極当然のようにそう答えたので、
「できるのか?」
ときいてみる。
「この調子ならな。無理なら暴れ馬の如く蹴り倒して帰るしかない」
「成程。ムチをくらいそうだ」
僕の応えにエリックがクスクスと笑うと、リオがシッと指を立てて口元に当てる。
「エリックしずかに。人が近い、――ここでバレれば暴れ馬一択だ」
とうとう談笑が聞こえる部屋の前まで来た。戸の隙間から明かりが漏れ、楽しそうな声が聞こえてくる。男の声だ。
すると、その隣の部屋から微かに物音がした。
「リオ」
僕は物音のした部屋を指さしながらリオを見る。
「いるか?」
「おそらく」
リオは頷くと話し声が聞こえる明るい部屋に近づいた。僕はエリックを引っ張りその隣の部屋に向かう。
部屋に入った僕は胸を突かれ、息を呑んだ。思わず目をそらす。
部屋中に、大小さまざまな檻が並んでいた。だが、1つの檻を除いて、ほかはすべて空っぽで、部屋の中央の一際大きな檻に、数人の子どもたちがいた。
僕が立ち止まっている間に、エリックが檻へ駆け寄る。探していた2人も、その中にいたらしい。
「セオ、なんか針金みたいなのないか?」
「針金?」
「鍵開けようだよ。檻に鍵が」
エリックが焦るように檻をカタカタと揺らした。
僕は持ってきていない。考えれば分かることだった。リオなら持っ――
後ろから僕の肩に手が置かれる。
そのままぐっと後ろに引かれた。背筋に震えが走る。身体じゅうが一瞬で冷え切る。
――油断した。さっきの奴らがっ
「おい。そこよけろ。オレがやる」
「リオ、持ってんのか!だったらおれがやるって。おれのほうが早いからさ」
エリックがそう言ってニヤリと笑ってみせた。
「じゃあ早くやってくれ」
そう言ってリオがエリックに細い棒状の金属を渡し、それから僕の方を向きごく不思議そうな顔をした。
「どうした、セオ?」
「……いや、少しぼうっとしていただけだ」
リオが来たことを、さっきの部屋にいた男たちがこちらに来たのだと勘違いした。
これは、油断。いや、混乱。あるいは恐怖?
落ち着け。僕は何に――。
「さっきの部屋、酔っぱらいの男が5人だ。他の場所に繋がっている様子はない。奴隷関係の書類あたりがどっさりおいてあった。おそらくこのフロアのみでやっている。……見つかれば面倒だが、逃げれない訳じゃない」
そんな僕の様子を見てか、リオが僕に伺うような眼差しを向ける。口を開きかけた時、押し殺した歓声が聞こえた。
「……開いたぞ!!」
エリックが2人の5,6歳くらいの少年たちを外に出した。
「よし、エリック鍵を閉めろ」
……嫌な感じがした。
檻にはまだ他の子供達が捕まっている。
「リオ……どういう、つもりで――」
「部屋を覗いた感じだと、管理は杜撰だ。入口で倒した男たちは、オレたちの顔をはっきりとは見えていないうえ、酒を飲んでいた。2人抜いたくらいなら、鍵を閉めれば今回忍び込んだことが気づかれない可能性がある」
ひどく冷静な声が僕の耳を突き抜けていく。
これだ。これを僕は恐れていたんだ。薄々感じてはいたことだった。
「この、檻に残っている子達は……どうするんだ?」
僕は檻に近づきながら、一縷の望みにかけてリオに問いかける。
「……」
檻に残っているのは、全部で16人。
「連れ出したい。助けたいんだ」
向き直って見たリオの顔は、人形のように無表情だった。
「お荷物を連れられる余裕はない。それに、そいつらを出せば今回のことが確実にバレる」
「じゃあこの子たちをここで見捨てるのか!?」
この部屋に入り檻の中の子どもたちを見た瞬間から、僕はそのことしか考えられなくなっていたんだ。
僕とエリックが入った時、普段との違いを感じたのか、みんながこちらを見ていた。力が入らなくなってなお、瞳には微かな希望を宿していた。
自分ではどうしようもない状況を変えてくれる、そんな希望で、期待だった。
――それを裏切るなんて……
「見捨てる」
きっぱりとそう言い切る姿が理解できなかった。
「でも……!」
僕らは檻の鍵まで開けた。それを閉じない。あるいは連れ出すだけで、救える。本当に、それだけなんだ。
「第一ここから出ることが、そいつらにとって良いこととは限らない。どっかに売られた方が幸せになるかもしれない。ここから出した後に責任を負えないやつが勝手なことを言うな」
「この子達は今、ここを出たがっている!それに、両親がいる子だっているかも知れない」
リオの言葉が、僕の胸に深く突き刺さっていく。声を押し殺した応酬が続く。
「オレはここに来る前に、二人を助けるだけだと言ったはずだ!」
「じゃあリオはいいさ。僕がこの子達を連れ出す」
「それでどうするつもりだ。連れ出した後の一生の面倒を見るのか。お優しいことで」
「リオが冷たすぎるだけだ!目の前に助けを求めている子達がいる!それを助けることがそんなに悪いことなのか?」
「黙れ!!!」
リオの瞳が剣呑さを宿している。
――本気だ。本気でリオが怒っている。
苛立ちの視線は、抜き身の刀身を向けられているようで、ピリピリと肌をひりつかせる。その感覚に頭に冷たさが戻ってくる。
「それは甘えだ。キモチ悪い自己陶酔とも言えるな。目の前の安易なヤサシサモドキに縋って、反吐が出る」
「助けた後のことは、後で考えられる。でも、助けることは今しかできないんだ」
「ここはお前のわががまが何でも通る場所じゃない。ここはどこだ?」
リオの言葉の意図がわからず、躊躇いながら答える。
「……子供たちが入れられた檻の前」
「敵のアジトの中だ。セオ、お前がどこのお坊ちゃんかは知ったことじゃないが、今はどこのお坊っちゃんでもない」
「そんなことは、今は関係ないだろ!」
身分のことを持ち出され、嫌でも、ここにいる場違いを痛感させられる。
リオも、エリックも、僕とは違うところにいて、ここは彼らの場所だ。僕が口出しできるような場じゃない。そう言われてる気がした。
「いいや、関係ある。今のお前は、わががまや癇癪が許されるお貴族様じゃなく、ただのドブネズミだ」
「分かっている。分かっているんだ!」
「微塵もわかってない。お前はそのボロいローブを被ってここに来たんだ。身分を使わずに来た」
僕はローブに触れ、ぐっと握りしめる。
ベルランツ兄様や、陛下の顔が思い浮かんだ。身分なんて、一度もほしいと思ったことはない。
「そうだ、僕はここでは身分なんて無い」
「じゃあその身分に寄りかかったみたいな甘ったれた考えを捨てろ」
「そういうわけじゃない。僕は……」
――僕が、身分に甘えてる?違う!そんな話じゃない。身分が元々なかったって、僕の考えは変わらない。僕は今まで身分でわがままを通した覚えはない。むしろ王子という身分が足かせになって身動きが取れなかった。
「リオ、ここで身分の話を出すのは違うよ。僕は今、なんの身分ももたないただのセオだ。それを理解した上でここにいる。それでもこの考えは変わらない……リオこそ身分に縛られている。人を助けるという思い自体に身分なんて何の関係もないだろう。身分を考えるのは、助ける手段を考えるときだ」
リオの憎々しげな視線が僕を鋭く射ぬいた。ただただ底冷えするような視線だ。
「甘い世界で生きたいなら、ママンの腕にでも抱かれてろ。赤ん坊じみた愚かさだ」
「リオ、僕は――」
伸ばそうとした手を取られ、胸ぐらを掴み上げられる。
「……ッ!」
「それ以上その馬鹿げた提案をするならオレは、セオ、お前をここで殴りつけて気絶させる」
間近に迫った灰紫の瞳がこちらを見据える。
何も言えなかった。リオは、言った通りのことをするだろうと思った。
僕がリオの見捨てるが理解できないように、リオも僕の助けるが理解できないんだろう。
せめて気持ちが伝わるようにと負けじとリオを見返す。
「……見捨てると言え」
リオの静かな声が響いた。僕はそれに対してグッと奥歯を噛み締める。
しばらくして、リオが僕を投げ捨てるように手を離し、エリックに顔を向けた。
「エリック、撤収だ」




