3−3
繋がっていたのは、城を取り囲む石造りの城壁で影になった部分。跳ね橋のかかった入り口の門とは反対の位置にあるから、人通りも少なく目立たない。
僕は身につけていた灰色のフードを目深に被り直し、あのときと同じ道筋を歩き始める。あのときは、城門から伸びる大通りに出たはずだ。そこから走り回って迷子になって……リオに出会った。
僕はまたリオに会うつもりだ。
会ったからといって、何かがあるわけでもない。ただ、もう一度会い、話をして、時計塔の上で夕日を見たあの瞬間に、男から必死で逃げたあの瞬間に、触れたかった。あの胸が高鳴って、肌が程よくひりつく感覚を思い返す。
5年前のことを考え、足を動かしていると、地にふれる感覚と空気に懐かしさを感じた。
大通りに出て、人が増え始めた。だが、あの時よりも、少し人が少ないような気がした。喧騒も、今はどこか遠く感じる。
「まだ早朝だからか?」
周辺を歩き回り、リオと出会ったときのことを思い返すが、どこの路地だったかまでは思い出せない。
「さて、どうするか……」
手がかりと言えば、あの時計塔ぐらいだ。時計塔なら少し遠いが、大体の場所はわかる。
「とりあえず向かってみるしかない」
時計塔に行ってもリオには会えないかもしれないが、あの日のことを思い出すと、またあの上からの景色が見たくなった。
まだ日が昇って間もないが、開店の準備をする人や、働きに出る人で賑わい始めた。
時計塔を目指し、あたりを見回しながら歩いていると、もっと色々なものをゆっくりと見て回りたくなってくる。あの王城の自室から、ずっと見下ろしていた街。それがこんなに近くにある。
ここでやりたいこと――
露店で食べ歩き、大道芸にチップを投げ、安っぽい歌劇で笑い、わずか小銅貨一枚分の差に真剣に迷う。ボロボロになった古着を着て、路肩に座り込み、体を冷やしながら、パンに生えたカビを手で払い、口の中に押し込む。僕にはそれが、豪奢な服を身に着け、椅子に沈み込み、素材の味とは程遠い食事を装飾の多いカトラリーを優雅に操りながら食べることより、酷く健全なことに思えた。
むくむくと湧き上がる好奇心と羨望の混じった思いに固く蓋をする。
今回の一番の目的はリオとの再会。ただ、そのために許されたのはわずか3日。寄り道をしている暇なんてないだろう。
僕はあの塔を目指して歩き出した。街の中でひときわ高くそびえる塔はここからでも見つけられた。
時々周囲の建物に視界を遮られながらも、少しずつ近づいていく。
徐々に大きくなる時計塔を見ていると、不思議な気持ちに陥った。記憶の中の景色と重なる。あのときはリオに手を引かれていて、またここを塔を目指して歩くなんて考えもしていなかった。この国の王子としては、有り得もしなかったことだ。
どれぐらい歩いただろうか。たどり着いて見上げた時計塔はあのときと変わらずに立っていた。そのことになんだかホッとしながら、上の方をよく見ると、人がいることがわかった。
どうやら掃除をしているようで、縄を腰に巻き付けた数人が、ゆらゆらと不安定に揺れている。
思わず眉をしかめながら、そばで下の掃除をしていた青年に声をかけてみる。
「あれは危なくないのか?」
「変なこと聞くんだなー。あぶねぇよ」
青年は持っていた布切れをパタパタと振りながらそう答えた。
「おまえさん、ここらへんのやつじゃねぇだろ」
青年がおかしそうに笑う。
「危ない仕事ってのはそのぶん金がもらえっからよ。塔のそうじは年に2度だがいい稼ぎになんだよ。孤児なら誰だってやったことあるさ」
「孤児?」
「こんなのは全部孤児の仕事だ。10や20落ちたってこれっぽっちも気にかけることないんだからさ」
青年は陽気にそう言い切ったが、僕は何も言えなくなってしまった。そんなことはない、とは、こんな仕事があることすら考えていなかった僕が口にしていい言葉とは思えなかったからだ。
孤児……最近王都でも増えていると聞いた……。
「この辺に孤児院はあるかな?」
「ん?あるけど、何かようでんもあんのか?」
「まあ、ね」
僕は曖昧にそう言って誤魔化した。
孤児。リオは孤児なんじゃないかと思った。
「案内してもらえないか?」
「いやー、おれ仕事中だし……」
そういった青年に銅貨を数枚手渡す。青年は少しあっけにとられ、すぐにニコニコと笑みを浮かべる。
「あ、そうだ。エリックに案内してもらえばいい。あいつ、朝から手ぇついてないしな」
そう言って顔を上に向けながら吠える。
「エリックーーッッ!!」
僕がその声にびっくりしている間に、上からするすると器用に僕より少し年下くらいの栗色の髪の少年がおりてきた。
「なんだよ?そんなに叫ばなくてもちゃんと聞こえるって!」
叫んでいた青年は、少年の不満の言葉を意に介した様子もなく話を続ける。
「こいつが孤児院行きたいんだとよ。案内してやれよ」
「え?孤児院?案内?……でもおれ仕事の途――」
少年が腰にぐるぐると巻き付けた縄を見ながら、戸惑ったように口ごもる。
「だからさ、探してる奴ら、ちゃっちゃと見つけて、帰るついでに案内してやればいいだろ。お前今日、仕事できてねぇし。神父のやつには適当に言っといてやるよ」
少年は、時計塔を振り返りちらりと僕を見て苦しげなうめき声を上げる、という一連の動作を数回繰り返したあと、しょんぼりと呟いた。
「……行こう」
縄を驚くほど簡単に解いたかと思うと、サッサと歩き出した。
案内と言いながらも同行者を置いてけぼりにするようなその振る舞いが、リオの振る舞いと重なって見えた。下町ではこれが普通なのかもしれないと思うと、城との違いと興味深さを感じる。
「わ、わるい。はやく歩きすぎたよな……」
……どうやら、これが普通というわけでもないらしい。
「おれはエリック、よろしくな!」
落ち着きを取り戻したのか、先程の様子とは一変して、明るい顔で手を差し出してくれる。
「僕はセオ、こちらこそよろしく」
『セオ』はリオに名前を聞かれてとっさに名乗った名前だったけれど、気に入っていた。
微笑みながら手を握り、思っていたよりもがっしりとしたエリックの手の感触に、直ぐに失敗を悟った。
――貴族だとバレる……不用意だった……。
ひっそり息を呑んだ僕と裏腹に、エリックは少し呆気にとられたような顔をしてから言った。
「あれ?……セオ、あんた……商人か?」
「……えっと」
「でも、剣ダコが……もしかして、騎士とか!?」
「まぁ、そんなかんじかな」
やんわりと握られていた手を離しながらそう答えると、エリックの目がキラリと輝く。
「やっぱり!なんかそれっぽいんだよなぁ。騎士とかかっけぇ!!」
リオのせいか、このあたりの少年にすれた印象を持っていたので、エリックの少年らしい反応がなおさら気恥ずかしかった。
ただ、このまま話しているとボロがでそうだ。
「そういえば、さっき落ち込んでたみたいだったが、あれは何だったんだ?」
「あーうん。説明したほうが良いよな」
「おれ孤児院に住んでんだけど、そこの弟分二人が一昨日から見つかんなくてさ。今朝には流石に帰ってくると思ってたんだけど、全然帰ってこねぇし」
「それで落ち込んで……」
「そうじゃない!」
エリックがぷぅと頬を膨らます。
「おれが落ち込んでんのは、今日の稼ぎがなくなったことだよ!久々の塔の掃除!あれはとにかく時給が良いんだっ!院でチマチマ造花ずっと手っ取り早いんだよ!あれだけで靴磨き何回分ッ!うわぁぁぁぁ!」
話の途中から僕の肩をがしっと掴み、前後に揺らすエリックをどうどうと宥める。
「あいつらが帰ってこないせいだ。全然集中できねぇし、何回か落ちかけて……」
「エリック、ともかくいなくなった二人を探そう。さっき言っていたように、僕の案内は帰りがけでかまわない」
「え、ほんとに良いのか?こっちは助かるけどさ」
「もともと孤児院が目的だったわけでもないし、街も見てまわりたいと思っていたからちょうどいいよ」
そんな話を聞いて、放っておく気にはなれなかった。
「それに、一人で探すよりも二人で探したほうがいいだろ?」




