2−4
「ごめんね、ヴィオラ。勝手にあんなふうにして」
僕は、さっきの事を謝りながらヴィオラを見る。ヴィオラにも王妃様になにか思うことがあったかもしれないのに。
「いえ、あれが最善だと思われたのであれば、私が言うことは何も」
ヴィオラが緊張した顔でそう答えるのを見て、僕はふと、王妃様のことを思い浮かべた。去り際に顔を見たけれど、どんな表情だったのかは上手く思い出せない。
「ねぇ、ヴィオラ」
できるだけさり気ない口調を装う。ヴィオラの瞳をじっと見つめる。先程、きれいな金色に染まっていた瞳を。
「はい」
なんとも思ってないみたいな顔をできているか不安になりながら、軽く息を吸って、言い間違えないように気をつけながら言う。
「僕との婚約を、破棄しよう」
「え?」
ヴィオラと僕がまだ生まれて間もない頃に、父さんが結んだヴィオラとの婚約。僕にとっては、何となくそこにあって、自然に大切に思っていたもの。それを、僕が潰す。
「僕は、王になるつもりはないんだ。だからヴィオラを王妃にしてあげることはできない。それに、僕と婚約してれば……さっきみたいに危険な目に合うことになる」
「ま、待ってください!私はっ――」
ヴィオラアが泣きそうな顔でなにか言おうとするのを、無理やり遮る。これ以上なにか言われたら、僕の意志が変わってしまいそうで怖かったから。
「ごめん、ヴィオラ。頼むよ」
ヴィオラが唇を噛みしめる。そのむらさきの瞳には、たくさんの強い感情が渦巻いていた。その真っ直ぐな瞳を見ていられなくて、思わず目をそらす。
しばらくして、ヴィオラは何も言わずに、僕をおいて早足で去っていった。
僕も、逃げるようにその場を去った。
王妃様とお茶会して、ヴィオラとの婚約を破棄すると決めた日から、一週間。
「はぁ」
「どうかされましたか?」
テーブルで書類を片付けていたウィルが、唐突にそんな事を言った。
「え?何が?」
「今ため息をついていらっしゃったので……」
「そう?」
「はい」
そうか、ため息なんてついてたんだ。全然気づかなかった。
「やっぱり、ヴィオレッタ様と婚約破棄されたことですか?」
「それは……」
そうかもしれない。だって、あのときから、ヴィオラの泣きそうな顔が頭から離れない。そのたびに、胸が詰まって苦しくなる。
「うん。何をしててもヴィオラのことが思い浮かぶんだ。……僕、ヴィオラのこと、きっとすごく傷つけたと思うから……」
「なかったことにしては?今ならまだ――」
「無理だ!!」
ウィルが僕の声に驚いたように目を見開く。
でも、僕のほうがウィルよりも驚いていた。自分が、こんなに強く声を出すと思わなかった。
「もう、陛下に許可ももらってるから、今更なかったことになんて、できないんだ」
ウィルが僕のことを心配そうに見ながら言った。
「婚約破棄したことを、後悔しているですか?」
「後悔はしてないよ。必要なことだと思うから。でも、申し訳ないと思ってる」
それは嘘だ。ほんとは後悔してる。あの時、何も考えられなかった。ただ身勝手に――
僕、何してるんだろ……
「それは、ヴィオレッタ様にですか?」
ウィルの言葉に意識を戻した僕は首を縦にふる。
「でも、あなたはヴィオレッタ様の為に婚約破棄をしたんでしょう。でしたら、申し訳なく思うことではないのでは?」
僕の胸に強く刺さる言葉だった。ヴィルが僕を慰めようとしてくれていることが、なおさら辛かった。だって、
「違うんだ。違うんだよヴィル。僕はそんないい子じゃないだ……」
胸の中がキュウッと苦しくなる。
僕はヴィオラのことなんて考えてない。
「ヴィオラを王妃にできないからっていうのも、ヴィオラが危ない目にあうからっていうのも思ったんだ。でも、本当はね、僕が、僕のわがままなんだ。嫉妬したんだ僕」
ウィルは何も言わないで、ただ黙って聞いてくれる。それが心地よくて、僕の心の中のことがどんどん口からこぼれてしまう。
「お茶会の最中、ヴィオラがアティードを持ってたのを知って、僕はすごく嫌だったんだよ。僕は持ってないのになんでヴィオラがって思った。今まで、アティードが欲しいなんて一度も思うことなかったのに、すっごく羨ましかったんだ。それで、ヴィオラのことが嫌になって婚約破棄したんだ。最低だね、僕」
僕はなんの力もないんだ。
毒の入ったカップを思い出す。それから、街に降りたとき、男に背後から捕まったことも思い出した。
ヴィオラがいなかったら、毒で殺されていた。リオがいなかったら、男に捕まって、何をされていたかわからない。城から出るのだって、ウィルに随分助けてもらった。
僕は、僕一人じゃ何もできない。
でも、ヴィオラもそうだって勝手に思ってた。
だってヴィオラは、真面目で、ちょっと澄ましてて、頑張り屋。あとは、すごく泣き虫だから。
でも、ちがった。ヴィオラは力を持っていて、僕よりずっと強かった。
アティードは力なんだ。僕の持っていない力。
「ヴィオラは、僕の思ってたヴィオラよりずっと強かったんだ」
ため息を吐くみたいにそうつぶやく。
ウィルが気遣わしげにこちらを見ていた。その深い青の瞳が優しげに揺れる。
「ヴィオレッタ様ときちんとお話されてみてはどうですか?」
「話?ヴィオラと?」
「はい。前はお二人共落ち着いて話せる余裕がなかったようですし、一度しっかり話してみては?」
ヴィオラと話……いいかも、しれない。いいかもしれないけど、なんだか気まずい。
そんな僕の思いを察したように、ウィルが言う。
「謝りにいけと言うわけではないですよ。ただ、お話をするだけです」
こちらを見つめるウィルの瞳が、幼い子を見るような暖かさを宿している。
「……うん。ヴィオラの屋敷にいく。準備してほしい」
ウィルは僕の言葉に微笑んで、軽くうなずいた。