1−1
王城から一人で出る。それは、憧れていた自由。
開放で、自由で、冒険。
賑やかな街の通りで、爽やかな風が、背中を押すように吹いている。午後の暖かな日差しが心地よくふりそそぐ。
「わ―――――――――っ!」
思いが溢れてきて、意味もなく叫んでみる。
だけどその声はすぐに、周りを通り過ぎていく人々の喧騒にかき消されていった。それすらも心地よくて思わず笑みがあふれる。
「次は、どこに行こっかな」
僕、セオドール・リヴァルスは、今年で12歳になった、このアークリシア王国の王子だ。
いつも城下に出るときは、立派な服を着て、家臣をアリの行列みたいにぞろぞろ連れてる。
でも今日は一人、しかも、側近の一人に調達してもらった、ボロボロの服を着てる。なにせ今日は、その側近、ウィルバルトの協力で、こっそり抜け出してきたからだ。今日の僕は王子じゃない。それが嬉しくて自然に笑みが浮かんでくる。
「これから、じゅうだいなせんたくをする」
いつも、周りの大人達が言っている言葉だ。あの狸みたいな宰相がよくが使う。
僕はその口調を精一杯真似るけど、全然似てなくて、可笑しさをこらえきれずクスクスと笑う。
そう、この珍しく開放された時間、これからどこへ向かうか、ということは、あの宰相が話してる話よりもずっと重大なのだ。
さっきまでは街の中を歩きまわっていた。王子じゃなく、平民として。それが、どうしようもなくワクワクして、新鮮だった。
次は市場に行くのもいい。劇場にも行ってみたい。それも、貴族用ではなく平民用の。それとも、このままただ街を歩き回るのもいいかもしれない。
「どーれにしようかなー?」
迷って決められそうになかった僕は、持ってきた硬貨を指で弾く。ピンッと透き通った音がした。
そのまま石畳に落ちて、コロコロと転がっていく。
ひとりでに動いていたコインは、左の通りに入ったところで満足したようにくるくると回るとぺたんと倒れた。
「じゃあ、こっちだ!」
僕はそのコインが入った通りを走って突き進んでいく。
「自由だーーー」
浮足立った心のままに、持て余したエネルギーを使い切るようにぐんぐん走る。体が、飛んでいるみたいに軽かった。体の中心から指先まで、喜びの感情が行き渡ってるように感じる。
今は、開放されてる。あの鳥籠みたいな王城から。
それをもっと感じたくて、道なんて気にせずに走った。
――母さんは、僕が生まれたときに死んだ。父さんも、もう、死んじゃった。
母さんのことは、覚えてないけど、父さんが死んだと知ったとき、はじめはわけが分からなかった。でも、多分、1日、いや2日くらいは泣き続けた。
周りも騒がしく喚き立ててた。父さんは王様だったから、急に死んで大変だったのだろう。僕を王様にするなんて話も出たくらいだ。
でも、結局、父さんの弟だった僕の叔父さんが王様になった。僕の代わり、じゃない、父さんの代わりに。
僕は胸の中に湧き上がった感情を振り切るように思いっきり走る。
――そう、あれからだった。僕の世界が、狭く、苦しくなったのは。叔父さん……陛下は多分、僕のことをよく思ってないんだ。将来は陛下の息子の、ベルランツ兄様を王様にするつもりなんだと思う。ベルランツ兄様は、今の第一王子で、僕の義兄ということになっている。でも、ベルランツ兄様も僕のことを嫌ってる。僕には、もう家族はいなくなったのかもしれない。
――父さんに会いたい。
――無性に父さんに会いたくなる。父さんの目は、優しくて、温かくて、いつも僕を見守ってくれている気がした。
でも、陛下は違う。陛下の神経質そうな顔が頭に浮かぶ。いつも僕のことを縛り付けて、できるだけ勝手なことをしないように見張ってるんだ。僕が王様になりたがっていると思ってるに違いない。僕はそんなものどうだっていいのに。
ベルランツ兄様も僕のこと嫌ってる。僕に会うと、いつも鼻をフンッと鳴らすのだ。それから見下すみたいな目をする。
僕らがそんなふうだからか、城の中はいつもギスギスしてる。
思いっきり走っていたから息が切れてきた。肺を大きく膨らませ、ゆっくり息を整えながら歩く。
あの頃、父さんがいた頃は、もっと王城内は明るかったのに……
「今は、まっくらだ」
「何が真っ暗だって?」
少し低めの暗い声が聞こえる。
自分の呟きに応える声が背後からして、びっくりして後ろを振り返った。
振り返った先にいたのは、自分より、年が1つか2つ程上に見える少年だった。長めの黒髪を後ろで縛り、灰色のような紫色の目で、端正な顔立ちをしていた。
「何でもない」
わざと素っ気なく応えた。
青年の目が、暗く、曇っているように見えて、薄気味悪かったから。どこかに行ってほしかった。
灰色がかった紫の目は、こちらを観察するように見ており、居心地が悪く、身動ぐ。が、少年は変わらず、こちらをじっとみている。
「何?」
つっけんどんな聞き方をした僕に、相手は、誂うように目を細める。
「オレが、道案内、してやろうか?」
少年の言葉にいらない、とこたえかけて、はっと気がつく。
僕がいたのは、全く知らない場所だった。
いつの間にか、気づかないうちに、大通りから外れていた。光もあまりさしておらず、周囲は色褪せたように薄汚れて見える。道はでこぼこで、周りの建物は、隣の建物と互いにぶつけ合ったみたいにボロボロだ。
いきなり、周りの建物が高く、怖く見えてくる。途端に胸の中から不安がどんどん湧き上がってきた。
僕は少しだけ悩んだけれど、答えは決まっていた。
「案内、してくれ」
結局、しょうがなく答える。よく分からない不気味なやつに道案内を頼むのは嫌だったけど、このまま王城に帰れなくなるのはもっと嫌だったからだ。それに、まだ遊び始めたばっかりだ。
「なら、これ」
少年が手を広げててこちらに見せる。僕は意味がわからず、不思議に思いながら首を傾げる。
すると、少年の大きい手が、腕を強く掴んでくる。細い腕なのに力が強くて痛い。
「案内料、銅貨5枚」
「わ、分ったから、手、離して」
僕はポケットの中から、小さな革袋を取り出す。そしてその中から、銅貨を取り出す。普段は、貨幣を直接触ることなんてないから、ぎこちなくなってしまう。
少年は、僕がようやく差し出した銅貨5枚をふんだくるように取ると、もう一方の手で、僕を引っ張った。
「とろくせぇ。さっさと行くぞ」