第7話『詰みではない物語の始まり』
木造の建物に、忙しなく出入りする人々。
街の中で言えば、豪邸のような大きさで、入口は質素な木のドアが装飾を凝らした門構えに似合わず、ただ忙しなく出入りする人々の開け閉めに身を委ねている。
そんな建物の中にある一室に、アリシアとアレクはいた。
アリシアは椅子に座り、アレクはベッドに寝かされているようだった。
意識が戻らない様子のアレクを見て、アリシアはずっと重い面持ちをして、静かに押し黙っていた。
アレクは、眠っているかのように、一定のリズムで呼吸をしていて、いつ目を覚ますのかわからない状況のようである。
一見、普通に眠っているのかと思いきや、その右手には剣が握られていた。
意識を無くしたのはこの剣を拾い上げた時からだと、アリシアは思っていた。
カムイが慌てた様子で、この剣を拾い上げるなと叫んでいたのは分かっていたが、アレクはそれが聞こえていなかったのか、剣を拾い上げてしまったのだ。
「馬鹿アレク、早く目を覚ましなさいよ」
やっとの思いで搾り出した声は震え始め、ポロポロと、アリシアの目元から涙が溢れ始める。
あの状況下で、一番冷静だったのはカムイであった。
二人に帰還の魔法をかけ、魔窟の外へと放り出したのだ。
だが、当の本人は帰ってきてはいない。
魔窟全体が崩壊して、地上に露出していた部分でさえも朽ちた木のような壊れ方をしていたからだ。
それをまざまざと見せつけられたアリシアは、カムイは死んだのだ、と考えていた。
「あの馬鹿が今にでも帰ってきて、あんたの意識を取り戻すんじゃ無いかって、考えたくなるわ」
溢れた涙が手の甲に落ち、わっと泣き出してしまいそうになったが、その途端、病室のドアが勢いよく開かれたのだ。
開かれたドアの先から、革でできた靴が覗いており、蹴破られる形でドアは開いたのだろう。
「邪魔するぜ」
ずかずかと部屋に入ってきたのは、燃えるような赤い髪をした男で、身長はカムイと相違無いぐらい高く、その肩には二人の人間が抱えられていた。
片方はセナが探して欲しいと言っていた、シンパ・ティザームのように見え、もう片方は見たことのある人物に見えた。
溢れ落ちそうになる涙を手で拭いながら、その男の所作を見ていたが、大人二人を抱えているようには思えない歩き方をしていて。
その男は、筋骨隆々でもあるが、それが全て無駄なく鍛え上げられたものであると理解出来た。
「その二人は……?」
「知らん、なんかヤバそうだったから助けただけだ」
そうぶっきらぼうに男は言うと、二人の内、シンパをベッドに寝かせるが、もう片方の人物を、ゴミを捨てるかのようにして、部屋の隅へと放り投げたのだ。
ゴミのように扱われた人物は、白い髪をしていて、健康的に日に焼けた肌をしており、アリシアはそれがカムイであると理解した。
「あんたは一体何者なの」
アリシアは赤い髪をした男が、カムイと取っ組み合っていたのを思い出し、椅子から降りて、杖を構えて睨む。
「俺か、俺は……そうだな、ハッキリとは覚えていないんだが、名前は……フレイム・フレイガ、冒険者だ」
「名乗れるなら十分、冒険者なら冒険者カードを見せてちょうだい、あんたが敵でない証明はできるから」
「ああん? 冒険者カードだぁ? ……と言うか嬢ちゃん、エレメンタル憑きなんだな」
フレイムの視線は、アリシアの周りを浮かぶエレメンタルに注視されていて、視えているのであれば、あの男はただものではない。
「そんなことは関係ないでしょ、早く冒険者カードを見せなさいな」
「その必要はない」
声がしたのは、部屋の隅からだった。
聞き馴染みのある声だったため、アリシアは杖を握る手を緩める。
「そやつは、ワシの古い冒険者仲間じゃよ。……今の今まではカミサマに操られとったわけじゃが」
部屋の隅から現れたカムイは、フレイムのそばに立ち、馴染みのある仲間に接するかのように肩に手を置く。
「カミ……サマ? 聞いたことがない名前だな」
「操られている間の記憶はないじゃろうな、セイドウセキで作られた剣で、奴との繋がりを断ち切ったからの」
聞き馴染みの無い名前の石で出来た剣とはなんだろうか、アリシアはふとアレクの手に握られている剣に視線をやった。
今にも壊れてしまいそうな脆さが垣間見える、半透明な刃で出来た剣だ。
セイドウセキ、と聞くと、アリシアはまじないや占いで使う星導石を思いついていた。
「なんじゃ、アレクはまだ目覚めておらんのか」
「この剣を握ってからずっとよ。眠りについたみたいに静かなまま起きないわ」
「魔法では起きなかったのか?」
「駄目だった、知っている魔法をあらかた試してみたんだけど、目を覚ますことは無かったわ」
カムイがアレクに近寄り、額の方へと視線をやる。
そこには、星なる者たちのようなタトゥーがあった。
その目には諦めか、不安の色が見えたが、アレクの右手に握られた剣がスッポリと抜けたのを境に、それは消える。
するとどうだろうか、額のタトゥーは消え、アレクはゆっくりと目を開け、意識を取り戻したのだ。
「……あれ、みんなどうしたのさ」
「アレク!」
アリシアはぎゅっとアレクを抱きしめて、喜びのあまり力が入りすぎていたのか、アレクはやめてほしいと、苦言を呈した。
カムイは剣をまじまじと見つめ、何事も無かったかのように鞘に納めるが、鞘と腰を結ぶ紐を外し始める。
「目覚めたところ悪いのじゃが、夢か何かを見てはおらんかの」
「夢……ですか?」
じっとアレクの様子を見続けながら、腰から鞘を外し、手に持ったまま話を続けた。
「夢の中で、判別のつかないような者に会っただとか、話したとか」
「……」
抱きしめられていたアレクは、アリシアにそれを止めるように促し、起き上がると、何か思い詰めた顔をする。
「おぬしが意識を失ってから、そう時間は経ってはおらんが、奴なら干渉してくる。その上、この剣の持ち主は、ワシからおぬしへと変わっているじゃろうしな」
「さっきから、カミサマカミサマって、誰の何の話よ。アレクが意識を取り戻さなかったのと、関係あるの?」
今は深入りしないで欲しいと短く告げ。
思い詰めた顔をしていたアレクは、重い口を開いた。
「よく覚えてはいないんですが、半透明な何かと喋ったような気がします」
「ふむ、そうか……」
すっと鞘から剣を引き抜き、首元にそっと刃を当てる。
そうしたかと思えば、剣を首元に向かって振り始めたのだ。
唐突な対応に、アリシアはあっと驚きの声を上げ、それをやめさせようと高速詠唱を唱え、カムイの動きを制限させる。
「何やってんのよ! いきなり愛弟子を叩き斬ろうとする奴がいるの!?」
「確認じゃよ、今の持ち主が、アレクに変わっているかどうかの」
首元に向かおうとしていた半透明の刃が光り始め、その光が柄にあるカムイの手に向かうと、バチバチと音を立てて、皮膚が焼けこげるような臭いが立ち込め始める。
それを見て、アリシアは魔法を解き、カムイはアレクに向けていた刃を離した。
そうすると、柄に集まっていた光は消え、焼けこげる臭いが立ち込める事は無くなった。
「仕方あるまい。これはアレク、おぬしに託す。ワシはもう使えないからの」
剣は鞘に納められ、そのままアレクの側に置かれる。
愛着のあった剣であろうにも関わらず、それを簡単に渡すのには訳があるのだろう。
「だけど、その半透明の存在から出された提案は、全て断った事をハッキリと覚えています」
「なら良し。剣はおぬしに合うように形を変える、馴染むまではその剣で修行に励め」
和やかな雰囲気になる部屋の空気に、絆されなかったのは、アリシアだった。
「ちょっと待ちなさい。あんたが怖い顔してたのも、さっきアレクの額に、趣味の悪いタトゥーがあったのを見てた目も、全部カミサマって奴の仕業だとしたら、説明してほしいんだけど」
「説明か」
「してくれなきゃ、これから旅についていくのが、怖くなるんだけど」
「長くなるが、良いかの」
「ええ良いわ、説明出来る限りの事は話してちょうだい」
カムイは近くにあった椅子に腰を落とし、フレイムはやれやれと言った様子で、ベッドの縁に腰掛ける。
再び口開かれた時、カムイから語られたのは、カミサマをどうして追っているのか、から始まる復讐譚であった。
次回は3月24日の18時に投稿します