第31話『ラーメンイーターハーフェッド』
時は数千年前、とある国に爆誕した料理があった、その名は『ラーメン』、麺を出汁と共にラーメン鉢に入れ、お好みの具材を付け合わせにした料理である。
何が起源となったかは定かではないが、ラーメンは今もなお人気を集める王道料理となり、男女問わず、一般庶民の昼にやってくる空腹を満たす為のご馳走であった。
そんな昼時の事である。
シシンシャの街外れにある住宅地の中に、新築同然の家があり、その住宅の中では、空腹を知らせるタイマーのように腹の音を鳴らす者がいた。
腹を鳴らす者――カムイはソファーに寝っ転がり、力尽きているのか、気だるげな声を上げる。
「腹が空いて何もする気が起きん……、アレクゥ……、アリシアァ……、トトォ……、ハーフェッドォ……。何か腹を満たせる物を作ってくれんかのう……」
「何度目かしらその台詞、さっきも聞いたわ」
「依頼を受けようにも腹が空いたままでは何にも出来ん……。頼む……何か作ってくれぇ……」
「分かった、作ってあげる」
駄々をこねるカムイに痺れを切らしたアリシアは、食器棚からガラス細工であしらわれた皿を取り出し、手のひらを下に向けて魔法を詠唱する。
そうすると手のひらから氷の結晶が降り始め、皿に積もっていく。
段々と積み上げられたソレは、言わずもがな『かき氷』であった。
「はい、食べなさいな」
「アリシアよ、ワシを舐めるでない。見なくても魔法の詠唱を聴いただけで判別出来るのじゃぞ」
「ふーん、いらないの。甘〜いシロップかけたら美味しいわよー」
「氷と甘味料で腹は満たせん、却下じゃ」
アリシアはスプーンをアレクにトト、ハーフェッドに渡し、魔力の込められた『かき氷』を四人で分け合うように食べた。
「氷がさらさらとしていて口の中でサラッと溶ける、シロップの甘さがまた絶妙なアクセントになっていて何杯でも食べれそう」
「ハーフェッドは『かき氷』を初めて食べたのかしら」
「貴族の生まれだから、庶民の料理を食べる機会が無かったの。『かき氷』、クセになる魔性の食べ物ね」
ハーフェッドは勢いそのままに、『かき氷』を平らげようとスプーンと口の行き来が早くなり、アレクたちはその様子を眺めていた。
すると、
「うぐっ!? なんか急に頭が痛くなってきた!」
「魔族でもなるのね、『アイスクリーム頭痛』」
ハーフェッドは鼻の付け根を押さえ、険しい顔をして迫り来る痛みに耐える。
「ハーフェッド、言っておくけれど、氷に毒が混ぜ込まれてる訳じゃないのよ。人体のバグみたいなもので痛みを感じているの」
「うぐぐ……、それなら先に言って下さい……」
『かき氷』はハーフェッドが頭痛と戦っている間に無くなり、空になった皿にスプーンが置かれる音が虚しく部屋に響く。
「さて、こんな茶番は置いておいて。あの馬鹿が金欠になっている以上、その日の飯にありつける手段が依頼をこなすか、日雇い労働をするかの二択だけれど、みんなはどっちを選ぶ?」
「アタイは依頼かにゃー、体を動かす方が良いにゃ」
トトからアレクに向かったアリシアの視線を受けると、アレクは
「依頼かな。せっかく四人いるんだから、四人で依頼を受ければ安定した報酬を得られるし」
「ハーフェッドは?」
ハーフェッドにアレクたちの視線が集まると、ハーフェッドは懐から皮袋を取り出して机の上に置いた。
机に置かれた皮袋からは硬貨が擦れる音が聞こえ、アレクたちに衝撃が走る。
「ま、まさか……! この前ハーフェッドに分配された金山採掘の報酬なんじゃあ」
「待つにゃ! 金貨じゃないかもしれないにゃ!」
皮袋の口紐がハーフェッドによって解かれ、皮袋から顔を覗かせたのは、紛れもないリブラ金貨であった。
「これだけあればしばらくは安泰だね」
「馬鹿みたいに使わなかったらね」
するとハーフェッドの腹の音が鳴り、顔を真っ赤に染めるハーフェッド。
「あ、あの、提案がありまして」
「提案?」
「庶民的な食事を摂りたいのです。もし、みなさんが良ければ、そう言った料理が振る舞われるお店に連れて行ってくれませんか?」
「それならお安い御用よ、ねっ、アレク」
アレクは軽く頷くと、トトは善は急げと立ち上がる。
「庶民的な食事はアタイ知らにゃいけど、とにかく美味そうな匂いがした店に行けばいいのにゃろう?」
「あの時私たちに振る舞った料理が一般的な料理よ。だから別に、良い匂いがした店に行かなくてもいいのよ」
「あいあいさー!」
トトが部屋から出ようと扉に向かうが、扉の前で仁王立ちをしたカムイに阻まれる。
「待つのじゃ弟子共」
「何? まさか弟子の金は師匠であるアンタの金になるって言いたいの?」
「そんなことはせん。食べに行くのじゃろう? 庶民の腹を満たす定番料理! それはラーメンじゃ!」
カムイが突き出した手にはラーメンの写真が載ったチラシが掴まれていた。
アリシアがそこから一枚取り、商品に目を通してから価格を見たのか、目を丸くする。
「こ、これが五百リブラで食べられるの!? 安い!」
「それだけではない、質を求めたラーメンもある」
「こっちは千リブラ……! けど、麺やスープに使われている素材が名産地の物なのね」
アリシアはカムイから奪い取ったチラシに全て目を通してからアレクたちにも配り、同じような反応を見せる。
「安さをとるか美味さを取るか、それもよい、だがしかーし!」
カムイが隠していた左手が後ろから現れると、その手にもチラシが掴まれていた。
しかし、アレクたちが目を通すとすぐに険しい表情になり、場が冷める。
「大食いはちょっと……」
「無理ね、お腹を満たすだけならまだしも、大食いがしたいわけじゃないから」
そのチラシには、『ラーメン大食い対決! 大横綱ラーメンを君は何杯食べられる!? 参加者求む!』、と、太文字で書かれた謳い文句がチラシの大部分を占めていた。
「にゃー、自然の摂理に反してるにゃ。一人で一杯食べるよりも、みんなで分け合う方が良いにゃ」
「……けど、優勝者には賞金が出るって書かれてますよ?」
ハーフェッドの口から、賞金、と聞いた途端、アリシアはカムイからそのチラシを奪い取り、舐め回すようにチラシを見ると、右下の方に、『賞金は百万リブラ!』と書かれていた。
「なるほどね、だからラーメンを食べに行こうだなんて提案してきたわけね」
「そうじゃ、じゃからラーメンを食べて、美味しい思いをしつつ賞金を得る。百万リブラもあればしばらくの間は飯にありつけるわけじゃ」
「でも先に普通のラーメンからね。ハーフェッドには初めてのラーメンを食べさせてあげるんだから」
「良いじゃろう、では行くぞ! シシンシャラーメン街道へと!」
ハーフェッドの懐から出てきた泡銭を持ってカムイたちは、シシンシャの一角に存在するラーメン街道へと向かうのであった。
ラーメン街道――それはラーメンを求めし者たちが集まる、ラーメン店激戦区の事である。
様々なラーメン店が軒を連ね、昼下がりの今はどこも長い行列が出来ており、カムイたちは看板とチラシを見比べ、どの店でラーメンを食べようかと見定めていた。
「しまったのう、昼にやってきたせいで、どこも並ばないと食べられんぞ」
「昼になれば、考えることは皆一緒ですもんね」
「むむむ……」
人数はカムイを含め、計五人である。
並んで店に入ろうにも、テーブル席があったとして、一人余ってしまう。
「よし、三分割に分かれて、ラーメン店の列に並ぶのじゃ」
「師匠一人、アリシアとハーフェッドの二人、僕とトトの二人に分かれましょう」
「ハーフェッドすまん、リブラ金貨を一枚恵んでくれんか?」
ハーフェッドに対して頭を下げながら手を差し出すカムイに、ハーフェッドはリブラ金貨を皮袋から一枚取り出して、カムイの手に乗せた。
「恩に着る!」
リブラ金貨を受け取ったかと思えば、カムイはあっという間に走り去り、姿を消す。
そして人数が四人になった事で、アレクたちは一番人気のラーメン店の列に並んだ。
「あの、あれでよかったんですか? 三分割にするって話でしたけれど」
「リブラ金貨一枚あれば師匠一人でも大丈夫だし、ハーフェッドには一番美味しいラーメンを食べて欲しいからね」
「ワクワクします……! ラーメンが如何なる物か」
行列に並んでいると回転率は早いのか、食べ終わった客が出て行ったかと思えば、最前列に並ぶ客が店に入って行くのを繰り返して早数十分。
アレクたちは出て行った客と入れ替わるようにして店に入った。
麺が茹で上がった匂いとスープに使われている骨や肉の匂いが混ざり、空腹であるアレクたちの鼻腔をくすぐり、腹の音が鳴る。
店員に案内される形でテーブル席に着き、各々がメニュー表に目を通す。
「ここは王道の醤油ラーメンが売りなんだって。ほら、メニュー表にもそう書いてある」
「他には塩ラーメンもあるみたいですね、食べてみたいですが、ラーメンを初めて食べるんだったら、王道から入った方が良いですよね」
ハーフェッドを除く三人は、ラーメンを食べるのは初めてでは無いが、四人の意志が固まり、王道一番人気と書かれた醤油ラーメンを頼むことにした。
そして数分後、やってきたのは淡い茶色をしたスープに麺が沈み込んでいて、付け合わせはメンマに半熟のゆで卵が半分に切られた物に、チャーシューが二枚添えられ、ネギが輪切りになった物が隅に積まれている、一番人気だと推せるような見た目をしている醤油ラーメンであった。
「自然の恵みに感謝して、いただきます」
箸を使って食べる物だと知っていたのはアレクとアリシアであったが、ハーフェッドとトトは二本の棒にしか見えない箸に悪戦苦闘していたので、アレクが店員にフォークを頼み、フォークがやってきた事により二人はなんとかラーメンを食べ始める事が出来た。
ハーフェッドはテラテラと油光る淡い茶色をしたスープにフォークの先を落とし、沈み込んだ麺を掬い上げ、口に運ぶ。
滑らかな口当たりの麺をスルスルと吸い込み、咀嚼をすると、口の中でもっちりとした食感が襲い、麺に絡まったスープの味が口一杯に広がる。
「美味しい……!」
感嘆の言葉がハーフェッドの口から漏れると、聞いていた三人に笑みが浮かぶ。
それからというもの、四人はラーメンを食べる事に夢中になり、食べ終わるまではずっと黙り込んでいた。
そしてハーフェッドはスープまでも飲み干し、ラーメン鉢を置く。
ラーメン鉢に隠れていた顔が露わになると、その表情はとても満足したものであった。
「美味しかった……! アレクさんにアリシアさん、トトさん、美味しい料理を食べさせてくれてありがとう」
「美味しかったのなら良かった。……って言っても僕らもあまり食べた事ないんだけどね」
「庶民的な料理なんですよね? 美味しいのに」
アレクとアリシアは苦笑いをしながら席から立ち、トトとハーフェッドはそれについて行く。
会計を済ませて店から出ると、ハーフェッドはアレクにラーメンの話をふっかけた。
「美味しいのに、何故たまにしか食べないの?」
「ハーフェッドは貴族の料理しか食べた事がないんだよね?」
「あれはあれで美味しかったですよ? けど、ラーメンは本当に美味しかった。今までに食べた事のないような塩味にこってりとした脂、付け合わせも美味しかったです」
「今言った事が真理だよ。ラーメンは毎日食べるような料理じゃないんだ」
首を傾げるハーフェッドに、アリシアが話に割って入ってきた。
「カロリーがめちゃくちゃ高いのよ、ラーメンは。手軽に食べられるけれど、毎日食べていたら太るの」
「それは人間だからですよね?」
「……ん?」
魔族であるハーフェッドと、人間のアリシアとアレクの価値観が食い合わない状況が生まれる。
「私は毎日たくさんの料理を召し上がり、自然の恵みに感謝していました」
「……て事は毎日ラーメン以上の料理を食べていたってわけ?」
「はい! 数ある料理の中で一番大好きなのは、鶏の丸焼きです!」
「鶏の丸焼きね、七面鳥とかじゃないんでしょうね、きっと」
アリシアは惚けるハーフェッドを見て、嘘偽りのない魔族の食事風景だと捉える。
「けれど、先程食べたラーメン。それは私個人の好きな料理ランキング、ベスト3に入りました」
「ラーメン以外にも庶民的な料理があるけれど、それは食べなくてもいいのかい?」
「今のところはラーメンが食べたい気分です。他のラーメンも食べてみたい……!」
「あー……そうか、お金だけは心配してね。本当に」
やや興奮気味のラーメンに魅せられたハーフェッドについていけるはずもなく、アレクたちはその日、魔族と人間の違いをまざまざと見せつけられるのであった。
「お金がない! ラーメンが食べられない! どうしたらいいの!」
あれから数日が経って、ハーフェッドの僅かばかりのリブラ金貨は、ラーメンと言う魔性の料理を食べるために消えた。
家の中にいるのはハーフェッドとカムイの二人だけである。
日銭を稼ぐから、と、アレクとアリシア、トトは冒険者ギルドに向かい、この前のようにソファーに寝っ転がるカムイは、ハーフェッドのラーメン狂いの様を眺め、空腹を紛らわせていた。
「ラーメン……ラーメン! ラーメンが食べたぁい!」
「良いとこ出のお嬢様が堕ち、人生を狂わされたみたいじゃのう」
「あ! ラーメン!」
ラーメン鉢が何故か机に置いてあり、箸とレンゲが用意されていて、ハーフェッドはその前に座ると箸を持ってラーメンを食べる仕草をする。
「あー、ラーメンだぁ……! ツルツルしていて噛み心地良い麺が口に入って、麺に絡んだスープの味と匂いが口一杯に広がって、今私幸せぇ……」
「エアラーメン、実況を添えて、が始まったのじゃ」
しかし、正気を保ったのはほんの数分だけで、ハーフェッドは箸を落とし、カラカラと虚しい音だけが部屋に響く。
レンゲでラーメン鉢の底を擦り始めたかと思えば、レンゲを口の先に運び、すする。
同じ動作を二、三回繰り返し、カムイがそれを眺めていると、ハーフェッドが立ち上がり、呪詛のようにラーメンの名を呟く。
「お主、相当頭がイカれとるのう。ワシはラーメンで人生を狂わされた魔族なんて見た事ないわい」
「ラーメンラーメンラーメンラーメンラーメン……!」
ソファーに寝っ転がるカムイは、先日自分が提案した大食い大会のチラシを見つけ、拾いあげた。
「優勝賞金は百万リブラ、ラーメンを食べるだけで金が貰えるなら、今のハーフェッドを送り込めばもしや……」
チラシをじっと見ていたカムイの側に、いつのまにかハーフェッドがいて、チラシに写るラーメンを血走った目で見ていた。
「参加するか? ハーフェッドよ」
「する」
迷うことなく答えたハーフェッドは、カムイと共に、大食い大会が行われる会場に向かう。
会場には見物客がまばらにいて、『参加者はこちら』と書かれた受付に進み、手渡された参加希望の紙に名前を書き、ハーフェッド自身が魔族であるとチェックを入れて受付に差し出す。
「参加者は五、六人ぐらいじゃのう。見物客もまばらじゃし、人気が無いのかそれとも……」
「ラーメンラーメンラーメン……!」
「ラーメンだけで会話しようとするでない」
カムイの目に留まったのは、他の参加者に比べて一際体が大きい男。
額には短い角が生えており、誰が見ても魔族であると分かる風貌である。
「まーたアイツだよ、大食漢のデーヴ。人間や魔族の大食い大会に出ては優勝をもぎ取る輩でさ」
「人間が勝てるわけないよな、魔族でも勝てないってどうなってんだよ胃袋」
「だからなんだよな、アイツが現れてからはどこの大食い大会でも優勝するから変わり映えがないんだよ。あー誰かアイツの顔に泥塗ってくれないかな」
見物客がそんな話をしていると、耳に入ったのかデーヴがその見物客に近づき、体格差をまざまざと見せつけ、怒りをぶつけるように指を指す。
「大食い大会に出れもしない輩が何言っても俺には関係ないな! 人間も魔族も俺が相手なら赤子の手を捻るように蹴散らせるんだからな!」
「ほう、それは本当かの」
「んー? なんだぁ? まさかお前も俺の功績にケチつけるのかぁ?」
「いいや別に、実力があるのは貴様の態度で分かる。場数を踏んだ歴戦の戦士のようにな」
カムイはデーヴに負けず劣らず、互いの視線の先に火花が散ったが、見物客は水を差すように、
「でもあんたは参加しないんだろう? あの小柄な女の子しか用紙出してなかったし」
「そうじゃな。デーヴからしてみれば、ワシもお主らと同じような有象無象になるな」
「大層な事言ってるけど、なにもしないんだな」
カムイに襲いかかった言葉の槍がグサリと刺さり、平静を装うカムイにデーヴはニンマリと笑みを浮かべた。
「ま、誰が楯突こうが大食い大会の舞台に立てないのなら烏合の衆ってもんだな、がーはっはっ!」
デーヴは高笑いをしてステージ上に向かい、大食い大会の参加者と共に横並びに用意された席につく。
そうすると派手な赤い服を着た男が現れ、マイクを通して声を上げる。
「へーい! シシンシャラーメン街道主催のラーメン大食い大会! 参加者の皆様! ラーメンを愛してるかー!」
実況者の男が参加者に向かってマイクを向けるが、反応は薄く、見兼ねた男は見物客に向かってマイクを向けるが、反応が薄く、男は「うーん……」と唸り、機転を聞かせ。
「大食い大会に参加した以上は、出された料理を誰が一番多く食べられるかが勝敗を決する! そして今回! 優勝すれば百万リブラがその手に掴める、夢のような大会だって事を忘れないでほしい!」
「百万リブラは俺のもんだ!」
実況者はデーヴの反応が返ってきた事に喜びを隠せないのか、歯を出して口を綻ばせる。
「大食い大会に滞りなくラーメンを提供するのは! ラーメン街道不動の一番人気を誇る『夢の頂の店主、カタイ・ラーメンさんだぁー!」
紹介されたカタイの表情は固く、作業を共にする他の店員と同じように冷ややかな視線をデーヴに送っていた。
「今日は熱い日になりそうだぜ! ではタイマーオーン!」
参加者の背後にあった電光板に赤いランプが灯り、十分と表示された。
「十分以内にいくらラーメンを完食したかで勝敗が決まる! ラーメンは全て食べるのがセオリー! スープを飲み干すまでが完食の判断基準になるぞ! では参加者の前にラーメンを置いてもらって……」
店員たちが参加者の前にラーメンを置き、ラーメンが行き渡ると、
「では! 自然の恵みに感謝して……! 大食い大会スタート!」
サイレンのような音が鳴ると、タイマーが動き出し、参加者たちは箸を手に取ってラーメンを食べ始める。
「ラーメンは全て並の量で、スープは店主自ら選んだ素材を、毎日七、八時間掛けて煮込んだこだわりの秘伝スープだ! チャーシューに煮卵、メンマにナルト、数千年積み上げられたラーメンの歴史に則ったようなシンプルなラーメン!」
並の量ではあるが、一杯食べれば普通の人なら満足して帰る量だ。
参加者が必死に麺をすする最中、すでに食べ終えている者がいた。
「あぁっと! デーヴ選手がもう既にラーメン一杯を完食しているぞ! 他の参加者は食べる事に必死で気付いてない!」
デーヴが二杯目を要求すると、店員が素早くラーメンを置き、デーヴは二杯目に手をつける。
「なるほどのう、奴は自前の口のデカさと強靭な胃袋を兼ね備えた天賦の才があるのか」
「あんたの名前は知らないけど、その見立てで合ってる、奴は料理を飲み込むようにして食べるんだ」
「名はカムイじゃ。じゃが奴は、虎の子が隣にいる事は気づいておらんようじゃな」
「虎の子……?」
ステージにいる参加者の中に、とても大食い大会に出ているとは思えないほどの遅さでラーメンを食べる者がいた。
他の参加者が一杯を食べ終わったのと同時に完食すると、満足気な表情を見せてラーメン鉢を置く、ハーフェッドである。
「あれが虎の子? 無理だよ、あの速さじゃ勝てっこない」
「見てれば分かる」
ハーフェッドは二杯目を要求する前に、隣にいるデーヴに話しを振り、不機嫌そうにデーヴが食べる手を止めた。
「あなた、勝つつもりでこの場所にいるんですよね?」
「あぁそうさ、食べて勝つ。誰が相手だろうとな」
「良いですね、食べて勝つ、素敵な台詞」
「嬢ちゃんには分からないだろうな勝利の味が、ラーメン一杯をそんなに遅く食べるんだからな」
「あなたがこれから味わうのは敗北の味ですよ。辛酸舐めさせてあげます」
「なにぃ?」
デーヴが二杯目のラーメンに目を移し、ほんの数秒。
ハーフェッドの前にラーメンが置かれ、ハーフェッドの目つきが変わると、先程まで遅く味わうように食べていたのが嘘かのように。
ラーメンに手をつけたかと思えば、麺とスープがハーフェッドの口に吸い込まれるようにして消えていき、ラーメン鉢に残ったトッピングたちは、箸ですかさず摘まれ、口の中に放り込まれた。
会場にいた参加者は気づいていなかったが、見物客はハーフェッドの食べる速さに気づき、衝撃が走った。
「おいまさか今食べたのか!? デーヴはまだしも、あの嬢ちゃん何なんだ!?」
「ラーメンが吸い込まれるように消えた……! だがデーヴは今気づいた! ラーメン鉢が積み上がるぞ!」
見物客のざわつきにデーヴは違和感を覚え、隣を見ると、そこには修羅がいた。
ラーメン鉢は既に五、六杯は積み上がり、デーヴが慌ててラーメンに向き合い始めるが、ハーフェッドの食べる速度に追いつく事が出来ない。
「おいおい、とんでもねぇダークホースがいるぞ! 小柄な嬢ちゃんは一体何杯食べるつもりなんだ!?」
ハーフェッドの表情は変わらず、黙々とラーメンを食べ続け、デーヴとの差をだんだんと広げていく。
「デーヴは苦しそうだ! 食べても埋まらない差に精神がやられているんだ!」
「大食い早食いは精神も必要! 食欲をフルに働かせてこその真のフードファイター……!」
会場のボルテージの上がりように釣られるようにして見物客が増え始める。
カムイは熱気に当てられず、ハーフェッドとデーヴを静観していた。
「デーヴが苦しいのは確かじゃが、まだ隠し球があるはずじゃ。ハーフェッド、決して食欲の猛りを止めるでないぞ」
すると、デーヴの大きな口が裂けたかのように大きく開かれ、実況者がわっと声を上げる。
「で、出たー! 大食漢デーヴの特技! 『大喰らいの大釜』だぁー! 飲み込める量が増え、ラーメン二杯一気喰いだー!」
他の参加者は腹が満たされているのか箸が止まり、デーヴのラーメンの食いっぷりに闘気を失う。
ハーフェッドとデーヴの一騎打ちになったも同然になり、見物客は大会が始まった時よりも多くなって、二人のラーメン大食い対決の結果を目に焼き付けようとしていた。
「デーヴが追い上げ始めた! けどあの小さな嬢ちゃんも負けず劣らずの速さで食べてる! 一体どうなるんだ!?」
「ふぅむ、デーヴとやらは魔族のポテンシャルをフルに発揮してはいないな。奴は魔族固有の変身を残しておる」
「変身……? 魔族はあれが本当の姿じゃないのか? カムイさん」
「狼男が良い例じゃ。魔族にはリミッターがあり、何かの拍子にリミッターが外れるような出来事に遭うと、思いもよらぬ姿になる」
デーヴの裂かれたように大きく開かれた口も、ある一種の変身のような物だが、魔族のリミッターが外れた状態ではない。
ハーフェッドとデーヴの差は徐々に縮まろうとしていた。
そんな二人のデッドヒートに当てられた見物客たちから、二人に対して応援する声が上がる。
「デーヴ! ちっちゃい嬢ちゃん! 頑張れー!」
「デーヴなんかに負けるな! ちっちゃい嬢ちゃん!」
「デーヴ! 大食い大会優勝者の意地を見せろ!」
ハーフェッドとデーヴは互いに譲らず、ラーメン鉢が重なり山となっていく。
差は完全に埋まり、拮抗した状態に陥った。
「デーヴとハーフェッドの差が埋まったぁ! だがデーヴはハーフェッドとの差を広げられない! 広がらない!」
すると突然デーヴが苦しみ始め、何事かと会場にどよめきが走る。
「おおっと!? デーヴが苦しみ始めたぞ! 一体どうしたというんだ!?」
「うぉぉぉぉお!!」
デーヴの雄叫びと共に体が膨れ始め、着ていた服がはち切れると、腹に大きな口と腕が現れた。
「こんなデーヴを見た事がない! 体が一回り大きくなって、腹に口が現れたぞー!」
デーヴは口と両腕が増え、食べられる量がラーメン二杯から四杯に変わり、ハーフェッドとの差が広がる。
「ハーフェッドは苦しいか! 何か起こさないと覆らない差になろうとしている!」
ハーフェッドは堅実にラーメンを食べ、差が広がらないように、着実に食べ続ける。
「ハーフェッドちゃんは大丈夫なのか!? デーヴは差をどんどん広げようとしている!」
「魔族はリミッターが外れるとしばらくは興奮状態に陥る。しかし魔族の変身は万能ではない、必ず限界がある」
「残り一分を切った! 限界を迎えるのがこの一分後だったら、ハーフェッドちゃんは負ける……!」
「さて、どうじゃろうな」
カムイは涼しい顔をしてハーフェッドを見て、隣で必死にラーメンを口に放り込んでいるデーヴに視線を移す。
「たくさんの魔族を見てきたから言えるが、奴はあまり変身慣れはしとらんのう。すぐに限界が来る」
四杯ものラーメンを胃に放り込むようにしてデーヴは食べていたが、ほんの数十秒経った時、その手が止まり、苦し気な唸り声を絞り出す。
「おおっと! デーヴはここに来て限界を迎えたのかー!? だが広がった差は残り三十杯だ! 残り三十秒! どうするハーフェッド!」
ハーフェッドの食べる速度では間に合わない、それは会場にいる全員が肌で感じ取っていた。
しかし、ハーフェッドの食べる速度のギアが上がる。
ギアが上がったかと思えばラーメン鉢を並べ、縁に口をつけると呼吸をするようにラーメンが飲み込まれていく。
その速度は一秒間に三杯、デーヴとの差が着実に埋まり、見物客が見守る中、会場に終了のチャイムが鳴り響く。
「しゅーりょー! ラーメン鉢の数を数えるため、しばらくお待ちを……」
ラーメン鉢がスタッフによって数えられ、集計結果が実況者によって発表される。
「デーヴは百杯! ハーフェッドは百五十杯! 今回の大食い大会の優勝者はハーフェッド・ドラゴニクスだぁー!」
見物客がワッと歓声を上げ、ハーフェッドが優勝した事を思い思いに祝福した。
ハーフェッドは声援に応えるように拳を天高く突き上げる。
「優勝したハーフェッドには、百万リブラ……いや百万リブラ相当の純金ラーメン像が送られるぞ!」
歓声が上がる中、デーヴが意識を取り戻し、体が縮こまっていく。
「負けたのか……俺は……」
「敗北の味はいかがでしたか?」
「へっ、悪かねぇよ。それに今回の大会でもし負けたら、俺がやりたかった事があるんだ」
「何ですか? やりたかった事って」
デーヴは重い腰を上げてステージ上から降りると、今回の立役者である『夢の頂』の店主の元に行き、頭を下げる。
「俺をあんたの弟子にしてほしい! あんたのラーメンは最高に美味かった!」
「その意気や良し、片付けが終わったらウチの店に来な、ラーメンのいろはを一から教えてやる」
「はい! 師匠!」
デーヴがフードファイターの引退を飾り、興奮冷めやらぬ中、大食い大会は幕を閉じた。
「純金のラーメン像か……」
カムイとハーフェッドは家に帰り、机の上に置かれた純金のラーメン像をまじまじと見て、カムイがため息をつく。
後から帰ってきたアレクたちは、机に置かれた金色の輝きに目を細める。
「何ですかそれ、まさか買ってきたんじゃ……」
「違う、大食い大会の優勝賞品じゃよ」
「あー、この前チラシにあったやつですか」
「純金とは名ばかりで、売れもせんし飾る以外の方法しかないんじゃよ」
アリシアが魔法を使い、純金のラーメン像を鑑定すると、アリシアはしかめ面になり魔法を解いた。
「純金なのは間違いないわ。ただし、魔法で加工した物だから、価値はほぼ無に等しいわ」
「百万リブラ相当の金をラーメンの形に加工って、金持ちの道楽ですね」
「大食い大会に人気ラーメン店のスタッフを連れて開催するほどだし、きっとそうよ」
アレクとアリシアは呆れ、トトは大きなあくびをして台所に向かう。
カムイとハーフェッドも台所に向かい、黄金の輝きを放つラーメン像が残るのであった。
それからと言うもの、ハーフェッドがラーメン街道の行列に並んでいると、
「よっ、『白銀のブラックホール』」
「『白銀のブラックホール』じゃん!」
冒険者に流れていた『見掛け倒しの召喚士』の通り名のようなものが流布しているのか、ハーフェッドはラーメンを食べる頻度を自制すると誓ったのであった。
今回は早かったですが、不定期更新なのは変わらないです




