第26話『アレク・ホードウィッヒ』
それは数年前の事、アレク・ホードウィッヒは孤児院にいた。
その孤児院はさほど手入れの行き届かない庭を構え、建物は石材で出来た物だが風化していて、塗装が禿げ屋根は所々穴が空いている。
孤児院を切り盛りする女性――マリア・クイーンは慈愛に満ち、孤児院に在住する子供達は皆、彼女に愛情を注がれ、子供達はマリアの事を本当の親のように慕っていた。
当然アレクもその慈愛の渦に入っていたが、本当の親を知らないアレクには、親の愛情と言うのがよく分からなかった。
けれど、幸せな事には変わらない。
毎日三食出て、温かいベッドがあり、体を洗う事も出来るしお風呂にも入れた。
孤児院にいた子供達とも仲良くしている。
アレクはその孤児院では最年長であったため、兄のように慕われていた。
アレ兄と呼ばれ、小さい子たちの面倒をマリアの代わりに見る事もある。
そんな中、アレクには問題があった。
孤児院から出る年齢がもうすぐだと言う事だ。
マリアはアレクがどこに出ても大丈夫なように、学問や作法を教え。
もし冒険者になっても良いように魔物や魔窟の事についても学ばせていた。
しかし、アレクには一向に引き取り手が現れる事はなく、月日だけが流れていくだけであった。
ある時、マリアはアレクが他所から来ている女の子の存在に気づいた。
女の子――アリシア・ド・フォーレン。
あの魔法界隈で有名なフォーレン派の長女である事は、調べなくともアレクから聞いた事により判明する。
マリアはこれはチャンスだと考えた。
フォーレン家には長男がいない。
長女はいても長男の後継ぎがいないのであれば、男子は喉から手が出るほど欲しいはずだと。
問題は孤児院の出である事であった。
どこの馬の骨かも分からないような子供を引き取ってくれるだろうかと、マリアは何度も思い悩んだ。
アリシアを通じてアレクを養子縁組しないか、と打診まではしたものの、やはり孤児院の出である事が尾を引き、フォーレン家の長であるセブルス・ド・フォーレンが首を縦に振る事はなかった。
と、そんな所に、アレクを引き取りたいと願い出た女性が現れたのである。
女性はセラフィムと名乗り、家庭を持っているが子供が出来ず、思い悩んだ末に養子縁組をする事を決意したのだと言う。
マリアはすぐには決められないと、一度セラフィムに帰ってもらったが、候補先が増えた事は嬉しい限りであった。
孤児院から出なくてはならない年齢まであと数ヶ月のことである。
それから何度かマリアはアレクと共にセラフィムの自宅へと訪問し、その家庭環境の裕福さに驚いた。
使用人がおり、手入れの行き届いた噴水付きの庭、上質な素材で出来た家具や服、二階建ての豪邸にはアレクのために誂えられた部屋まで存在していた。
とてつもない好物件である事には間違いない。
マリアはフォーレン家の返答がなければ、すぐにでもセラフィムの養子にアレクを出そうと考えた。
当然、フォーレン家の返答は待った。
しかし、フォーレン家から良い返事が返ってくる事は無かった。
マリアはセラフィムに養子縁組をする契約を交わすため、何度かのトライアル期間を経た。
そして、何度かのトライアル期間を通じて、アレクはセラフィムの養子として送り出されたのである。
マリアとの話はここまでだ。
それからアレクはセラフィムの家で庇護下に置かれるようになった。
庇護下と聞こえは良いが、アレクはアレクの為に用意された部屋に軟禁される形で毎日を過ごす事になる。
セラフィムは外面も内面も良く、最初はアレクも軟禁されているとは思わず、愛情が深い証拠なのだと状況を飲み込んでいた。
しかし、時が経つにつれて、アレクはこの豪邸から出る事すらも叶わず、家族団欒の機会を与えられる事もなく、アレクはこの状況の異常さに気づき始める。
食事は美味しい。
ベッドはふかふかで温かい。
唯一お風呂に入る時だけが、あの部屋から出る事の出来る瞬間である。
その時でもアレクを逃さないように使用人達が付き、風呂に浸かるのも体を洗うのも使用人の目が光る中での入浴時間であった。
運動がしたいとセラフィムに懇願すると、セラフィムはすんなりとアレクは豪邸から抜け出すことを許可した。
だが、豪邸の敷地内である事は変わりなく。
指南役の剣士や魔法使いが変わる変わるやってきて、剣術を学び、魔法も学んだ。
部屋は窮屈では無いが、やはり外の新鮮な空気を吸って汗を流せるのはアレクにとって、良いストレス発散になった。
それからである、セラフィムが豹変したのは。
夜寝ている時であった。
気配を感じ、アレクがふと薄ら目を開けると、ベッドの縁にセラフィムが腰掛けているのが見えた。
月明かりに照らされたセラフィムは美しく、アレクは息を呑んだ。
セラフィムは掛け布団を上げ、アレクの隣に入り込むように寝転がってきた。
吐息が近く、アレクがドギマギしていると、セラフィムはこう囁いた。
「知ってる? 男性と女性はキスをすると赤ちゃんが出来るのよ」と。
アレクにはそれと言った知識が無く、混乱していると。
セラフィムはそっとアレクの頬に口付けをした。
確か……そう、深い深い口付けをセラフィムと毎夜のようにしていたはずだ。
大人の女性から受ける肉欲の嵐。
それがアレクにとってトラウマになっていたのである。
そんな生活がこれからも続くのかと思っていた矢先であった。
部屋の窓際に、手紙が置いてあったのは。
読んでみると、とても綺麗な字で書かれていて読みやすく、内容はこうであった。
『雨降る時、爆発音が聞こえ、使用人がいなくなったら、隙をついて部屋から抜け出せ』と。
アレクは差出人を見た。
名前はカムイ・シンバットと書かれており、それを小さく読み上げると、手紙は一瞬にして灰になり、跡方もなくなったのである。
そして、ある日の事、雨がとても強く降る日がやってきた。
雷が鳴っており、とても外に出れる気配ではない。
いつものようにアレクが部屋の中で食事を摂っていると、下の階の方から何かが爆発したかのような音が聞こえてきた。
使用人達は慌てて下の様子を見に行き、部屋に残ったのはアレクだけである。
アレクは今までの恩はあったものの、今逃げ出せるのならと、手紙の差出人の意図を汲み取って、部屋から抜け出した。
運動をする為に外に出ていたので、豪邸の構造を理解していた。
なのでアレクは難なく豪邸から抜け出す事が出来た。
しかし、アレクが敷地から出ようと庭を走っていたその時である。
突然脚に何かが巻きついてきて引っ張られ、体勢を崩してその場に倒れてしまう。
後ろを見るとセラフィムが立っており、手には縄のようなものを掴んでいて、倒れたアレクを憐れむような顔をしていた。
アレクは縄が魔法で生成されたものだと気づき、すかさず魔法消失を唱え、縄を外す。
そして、立ち上がって走り出し、敷地外へと出ようとするが、見えない壁に阻まれて出る事が出来なかった。
叩いてもびくともしない透明な壁は、自分をここから出さない為の結界なのだとアレクは勘付き、再び後ろに振り向く。
出れない事を承知しているセラフィムはゆっくりとこちらに近づいてくる。
ジリジリと距離を詰めてくるセラフィムとアレクの間に、突然空から降ってきた人物が現れた。
「助けに来た」
ただ一言だけ発したその人物が、手紙の差出人であるカムイだと気づいたのは他でも無かった。
カムイは半透明の刃が特徴の剣を鞘から抜き出し、セラフィムが驚いていた。
そして一度の雷鳴の瞬間に、セラフィムの腕が宙を舞っていた。
自分の腕が斬られた事に気づいた時にはセラフィムは唖然として、切り口を抑える動作をするが、血が吹き出してくる事はなかった。
しかしセラフィムは斬り殺されると察したのか、すかさず逃げ出し、その場にはアレクとカムイだけが残った。
カムイは何も言わずにアレクを抱え上げると、結界を破りある場所へと向かった。
ある場所とはアリシアのいるフォーレン邸である。
それがあの時に繋がるまでのアレクの過去の話であった。
次回も不定期更新になります




