第16話『貪狼ドゥーべ』
黒くくすんだ赤黒い線が曲線を描いて振り払われる。
それに巻き込まれないようにアレクは避け、追撃を掛けようとして振り払われた剣は、深黒な鎧に阻まれて、金属音を立てただけであった。
兜の中で笑ったかのように見えるドゥーべは、アレクにとって、対峙したくない相手に思えた。
なぜならば、強固な鎧に身を包み、大の大人でも扱えないような巨塊な剣を振り回すからだ。
当たれば命が無いような剣を受け止める事など出来ず、かと言って、受け流す技量はアレクは持ち合わせていないからである。
「笑わせる、そんな貧相な剣術ではこの鎧は切れんよ」
「僕だってそれは分かっているさ」
「分かっていても、果敢に攻め入る姿は褒めてやろう。すぐにあの世へ送ってやるがな」
ぐわりと巨大な剣が動き始め、頭上高くから振り下ろされんとした時、二つの氷塊が兜と鎧の胸部に直撃した。
「私がいること、忘れてもらっちゃ困るわ」
「ふん、この程度の魔法では、我が鎧はどうにも出来んよ」
氷塊は音を立てて崩壊して、鎧には傷一つ付かず、歪むことさえなかった。
ドゥーべは巨大な剣をアレクに向かって振り下ろし、地面に到達したと共に砂埃を上げる。
アリシアは離れた場所で、その様子を見ていたが、アレクがアレに巻き込まれていないかと、気が気ではなくなり、魔法の詠唱もままならない。
しかし、砂塵が巻き上がり、中からアレクの姿が見えると、こちらに飛び退いたのが分かり、アリシアは安堵する。
「アリシア、奴に絶対零度は効くと思うかい」
「鎧自体に魔法抵抗の有無が無ければ簡単に凍結出来るけれど、今の氷塊の崩れ方を察するに、奴の鎧には魔法抵抗の補助はされていないと見たわ」
「君が絶対零度を放って奴が凍結したら、僕は渾身の紫電一閃を放つ。それで良いね?」
「ええ、今出来る事はそれしか無いわ。あの馬鹿にも頼れないこの状況なら」
二人は今、出来得る全ての力を結して、ドゥーべを討ち倒さんとして、アレクは時間稼ぎのために、ドゥーべに向かって走り出し、アリシアは第五階位魔法である絶対零度の詠唱をすかさず始めるのであった。
「雑魚が立ち向かってきたところで!」
ドゥーべの動きには無駄もなく、正確無比に剣が振り払われる。
しかし、その動作にも決して隙が無いとは言えない。
動作には始まりがあり、終わりもあるからだ。
片手で扱えるとは言え、その剣の重量や鎧の重量もある。
そして唯一の弱点もあると、アレクは考えていた。
振り払われた剣を飛び越える事によって避け、ドゥーべの頭上より高く飛んだアレクは、その弱点に向かって剣先を向けた。
「はぁぁぁっ!」
「弱点に気づいているのは貴様だけではない。この私もだ」
終わりの動作を完了した剣で応戦するのかと思いきや、ガラ空きであった左手で剣の刃を掴まれて、アレクは宙に固定されてしまう。
「兜の隙間だろう? 貴様が狙っているのは。しかし残念だ、時間稼ぎにすらもならなかった。その上……」
アレクもろとも宙に放り投げられ、隙だらけになってしまったアレクを斬り捨てるのかと思いきや、ドゥーべは走り出し、アレクの全身の毛がゾワリと逆立ち、額から冷や汗が流れ出た。
ドゥーべが確実にアリシアを仕留める気であると、理解してしまったからだ。
放り投げられ、宙に浮いていた時間はそう長くなかった。
しかし、ドゥーべが詠唱をしているアリシアに近づくまでには十分足り得る時間であった。
「アリシア!」
地面に着地して、すかさずアレクは身に刻まれた技の体勢をとる。
向こうでは既に、アリシアまでとの距離を詰めたドゥーべが剣を振り上げており、アレクは狙うべき場所を見定めて技を放つ。
「絶技! 紫電一閃!」
雷が落ちたかのような爆発音が森に鳴り響き、爆発的な加速をして、急速にドゥーべとの距離を詰めるアレクが放った一閃は、ドゥーべの振り上げた両手首を狙って振り抜かれた。
しかし、鎧の強度に耐え切れず、アレクの剣は音を立てて壊れ、頭上を通り越す形でアレクはドゥーべの向こう側へと軟着陸する。
背後で、剣が振り下ろされる音がした。
ぐしゃりと嫌な音が鳴り響き、血が飛び散るような音が耳に入ってくる。
アレクは慌てて体勢を立て直し、アリシアの方を見るが、舞い上がった砂塵で何も見えなかった。
砂埃が晴れるまでアレクは気が気ではなく、ただただ祈るばかりであったが。
霧が晴れると、そこには地面で半分になったアリシアの姿があった。
「ぅ……あ……」
「他愛もない。この程度の魔法使いであっただけだ」
半分に斬り捨てられてしまったアリシアを見て、アレクはその場に立ち尽くし、声にならない声で狼狽えてしまう。
折れてしまった剣を持つ手が震えて、膝から崩れ落ちてしまいそうになる。
しかし、戦う意志が無くなった訳ではなく、右腰に携えられた星導剣に手を掛け、鞘から引き抜いた。
「まだ立ち向かうか。しかし、その剣でも我が鎧は斬れんよ」
「あなたも知っているはずだ、この剣で斬るのは鎧ではないと」
「くくく、知っているとも。だが、足りない、斬るには想いが必要だ」
それはアレクにも理解出来る事であった。
あの時は、恋人であるシンパを想うセナの気持ちを束ねて斬ることが出来た。
しかし、今回は何も無い。
ただ、アレクはとある事に気づいたため、わざと時間稼ぎをしているのだ。
「その剣で打ち合えばこちらが勝つ。隙を見つけて振ろうが鎧は斬れん」
「分かってるさ、けれど良いのかい? 僕なんかとずっと喋っていて」
「それもそうだ、魔法使いの後を追わせてやろう」
ドゥーべは剣を振り上げ、高々と渾身の一撃の構えをとり、兜の中にある瞳を光らせ、今にもアレクを真っ二つにしようとした。
その時である。
「『絶対零度』!」
死んだはずのアリシアの声が響き、一瞬にしてドゥーべが氷に包み込まれ、森の一部が樹氷と化した。
その氷結の勢いがアレクの元へ届く事はなく、ピンポイントでドゥーべを包み込んでいる。
「アリシア、君、心臓に悪いことしないでよね」
「なんの事かしら。氷の分身を作って囮にしただけよ」
アリシアはアレクの元へ来ると、自慢げな顔をして立ち止まった。
「それだよそれ、途中で気づいたから良かったものの、本当に君が死んじゃったのかと思ったからさ」
「時間稼ぎも上手だったわ、分身が斬られた時はまだ詠唱の途中だったから助かったわ」
ドゥーべの足元にアリシアの死体があった場所には、氷が溶けたかのように水たまりが出来ており、衣服すらも氷で生成されていたのか、かなりの水の量であった。
「でも剣が折れちゃったや。せっかく君が見繕ってくれた物なのに」
「また買えば良いでしょ。今度はもっと良い物を選びましょ、私がついていってあげるんだから」
アレクが頷き、氷漬けになったドゥーべを見ていると、そこにトトが走ってきた。
それに気づいた二人は笑みを見せ、手を振ろうとしたが、何か様子がおかしい事に気づく。
「どうしたのさ、そんなに慌てて」
「ハハが……ハハが……」
トトは二人のそばまでやってくると、アレクの肩を掴み、こう言った。
「ハハは裏切り者にゃ……! ハハは『星なる者たち』と繋がりを持っていたんだにゃ……!」
「なんだって!?」
肩で息をしながら涙を流し始めるトトに、優しい言葉をかけるアレクであったが、アリシアはその様子を見て少し不満げであった。
「自分の母親が亡くなった理由が、自分にある事をずっと悩んでいたんだにゃ。けど奴らに、母親ならカミサマに頼めば生き返らせて貰えると言われて、入信していたみたいなのにゃ」
「なんて奴らだ……! 許せない」
すると足元を氷漬けにされて身動きが取れなくなっていた、『星なる者たち』の先頭に立つ男が笑い始めた。
抑揚の無い、気味の悪い笑い声である。
「カミサマは、信ずる者が増えれば増えるほど力を増される。死んだものを生き返らせる、断じて嘘などでは無い。カミサマは嘘などおっしゃらない」
「貴方たちには言わないだけだ。為せることだけ為して、出来ないことは後回しにしているだけだ。嘘はいくらでもつけるさ」
「知ったような口振りだな。まるでカミサマと対峙したかのようだ。やはり星の力を使える者は格が違う」
星の力、と聞いてアレクは右手に持つ星導剣に目をやった。
星導剣――不思議な鉱石である星導石から作り出されたその剣は、人の想いを束ねて、悪しき邪悪な存在であるカミサマとの繋がりを断つ唯一の手段である。
師匠であるカムイから主導権が移り、アレクが持つ事になった剣であるが、まだまだ分からないことばかりで、扱えた気にならない、とアレクは思っている。
「貴方たちをこの剣で斬れば、あの忌々しい存在とも離れられるはずだ。でも、なぜそんな物を教団の内部で保管していたのか、不思議で仕方ない」
「担い手がいなかっただけの事だ。だが、今は違う、担い手は君だ、アレク・ホードウィッヒ君」
名前を呼ばれて肌の毛がゾワリと毛羽立つ。
まるで、大切な役割を持たされた、そんな何かを感じ取ったかのように。
「それはそうと、いいのかねこんなに悠長に話をしていて」
「……そうだ、ハハをなんとかしないと」
「いやいや、そんな事では無い。貴様らはドゥーべ様の真の恐ろしさを知らんようだからな」
「何を言って――」
――刹那。
氷漬けになっていたはずのドゥーべの姿が消えて、いつの間にか、アレクたちの前に立ちはだかるように仁王立ちしており、鎧から蒸気のような物が吐き出された。
ドゥーべが構えをとっている事に気づけたのは、その直後であった。
判断が遅れたアレクを庇うようにしてアリシアが前に立つと、防護結界を前方に張り巡らせたが、それを難なく斬られてしまい、防護結界を破壊された勢いでアリシアが後ろに大きく吹き飛ばされる。
それにぶつかるようにして、アレクとトトの二人も突き飛ばされた。
勢いのまま、トトは持ち前の身体能力で受け身を取れたものの、アレクとアリシアは木の幹にぶつかり、地面に倒れ伏した。
「一度私を殺しただけで鷹を括ったな。カミサマの祝福を得た私は不死身だ、覚えておけ」
向こうから教徒の歓声が湧き上がり、足元を氷漬けにしていた氷が溶けると、いそいそと集落の方へと走り出した。
そしてこの場にはドゥーべとアレク、アリシアとトトが残り、森はしんと静まり返る。
トトは弓を構え、矢をつがえようとするが、手が震え始めてしまう。
「どうした獣人、弓を構えた時点で斬られると察知したのか。嘆かわしい、死が怖くて仕方ない様子だな」
「違うにゃ、怖いんじゃないにゃ、武者震いしてるだけにゃ」
「物は言いようだ、もし矢を放とうものなら貴様から斬り伏せる」
ゆっくりとこちらに歩み寄ってくるドゥーべに、なす術なしと、矢をつがえたまま、少しずつ後退するトト。
アレクとアリシアは、痛みに耐えながら体勢を立て直し、武器をドゥーべに向け、睨みつける。
「雑魚……いや、手練れと言うべきか。我が鎧ごと凍結させるなど、並の魔法使いには出来まい」
「お褒めの言葉をいただき結構。不死身なんでしょ、死ぬのが怖くないのはそのためかしら」
「カミサマから授かりし祝福だ、もし、小僧の剣でカミサマとの繋がりを断ち切られれば、問答無用で死ぬだろうな」
「どう? 出来そう?」
アリシアが隣にいるアレクに尋ねるが、アレクは首を横に振り、不安げな表情を見せた。
「……って事は無理難題ね、奴を仕留めるだなんて」
「無理って決めつけちゃダメにゃよ。その剣でどうにか出来れば良いのにゃろう? もっと柔軟に考えてみたらいいにゃ」
「それは人の想いを束ねて斬る剣よ、ここにいる人物に、特定の想いがあるとは到底思えないわ」
「想いの形は人だけじゃないにゃ、自然にだってあるにはあるにゃ」
トトがそう助言をすると、アレクは何か合点がいったのかトトに感謝の言葉を伝え、剣を両手で持ち構えを取る。
それを見た途端、ドゥーべは剣を大きく振るい、魔力の層のような物がこちらに飛んできた。
「させないわよ!」
今度は破られまいと、自分の得意分野である魔力操作に長けた防護結界をアレクの前方に張り、飛んできた魔力の刃を防ぐ。
ドゥーべはそれでも続けて斬撃を飛ばし、アリシアは冷や汗を流す。
「防護結界の魔力消費に気付いてるわね。……けど!」
防護結界を張りながら、第五階位の魔法術式の詠唱を始め、何をしたいのかを理解したトトは向こう側にいるドゥーべの後ろに回り込むように、木の枝を跳び跳ねながら移動して、弓の弦を引き絞る。
絶え間なく斬撃を飛ばし続けるドゥーべは、完全にトトには気づいておらず、狙いすまされ放たれた矢が、兜の隙間を縫って内部にある目に直撃した。
「ぐぅ! しかし!」
ドゥーべは構える方向を変えて、たった今矢が飛んできた方向に鋭利で範囲の広い斬撃を飛ばし、それが木々を薙ぎ払いながらやってくる。
トトは、空に避難して難なくそれを避けるが、その隙を逃しまいと、ドゥーべは続け様に斬撃を飛ばす。
しかし、斬撃が到達したと思った途端、トトの姿が影のように掻き消えると、隙を狙いすましたような二の矢が兜の隙間を掻い潜って、まだ見えている目に突き立った。
「ぐぁぁぁ……!」
痛恨の一撃だったのか、ドゥーべは痛みに耐えるように唸り声を上げながら、二歩三歩後退する。
そして、目が見えなくなったにも関わらず、構えを崩す事なく剣を振り払う。
それもただ一度だけでなく、乱舞のような斬撃を飛ばし、あたり一面の木が乱切りに伐採されていく。
トトはそれを避けるが、アリシアの事を思い出して、慌ててアリシアに向かって走り出す。
放たれた斬撃が今にもアリシアに到達しようとしていた時、鋭い一閃でそれが断ち切られ、背後に真っ二つになって着弾した。
「アリシア今だ!」
「『絶対零度』!」
流れるようにドゥーべに向かって地面が氷結していき、それが到達する寸前にアレクは構えを取った。
「絶技! 紫電一閃!」
雷が落ちたかのような爆発音が森に鳴り響き、一筋の閃光がドゥーべに向かって伸びる。
足元から氷始めたドゥーべは、なす術なくその一閃を受け、縄が断ち切られたような音が鳴り響く。
背後に着地したアレクは星導剣を鞘に納め、鞘と柄が擦れ合った金属音が鳴ると、ドゥーべは忌々しそうに声を上げた。
「おのれアレク・ホードウィッヒィッ! 貴様もろとも冥界へ送ってやる!」
まだ終わりではないと、アレクはその場から飛び退こうとするが、何かに足を取られるようにして、その場から動く事が出来なかった。
足を絡めとるようにして暗い影が纏わりつき、全身が凍結する前に、大技の構えをとるドゥーべ。
しかし、動きがままならないのはドゥーべも同じで、構えるまでに幾分かの猶予があった。
それに気づいたトトはすかさず、矢を二発同時に放ち、曲線を描いて着弾したのは、アレクの足に纏わりつく影である。
そうした事により、纏わりついていた影がなんとも言えない悲鳴を上げ、力無くアレクの足から離れると、アレクは有無を言わさず、後ろに大きく飛び退いた。
それを確認出来ていれば振るわれなかったであろう大技が振り切られ、斬った感触が無い事に気づいたドゥーべは、断末魔を上げながら完全に凍結するのであった。
「やった……!」
完全に凍結したドゥーべは、その場に立ち尽くしたまま動かず、額から天に伸びていた縄も見えなくなっていた。
「なんとかなったにゃ。やれば出来るにゃね、アレク」
勝利に喜ぶアレクに近寄ったのはトトで、鼻先を近づけて匂いを嗅ぎ、惚けたような顔をして、頬を赤らめる。
その様子を遠巻きに見ていたアリシアは、怒りに満ち溢れた顔をして、すぐさまこちらにやってきた。
「そう言うのはなし! 私のだからね!」
「にゃはは、幼馴染は怖いにゃね」
二人の様子を見て、状況が上手く飲み込めていないアレクは、首を傾げる。
「危機はまだ去っていないにゃ。集落に向かった『星なる者たち』もなんとかしないといけにゃいし、ハハの事も止めないといけないにゃ」
「アリシア、行こう!」
三人は、獣人の集落へと向かって走り出し、斬撃によってスカスカになった森の中を行く。
凍結していたドゥーべの鎧が光の粒子になって、消えていき、その場には凍結したであろう氷の塊が残るだけであった。
次回は5月26日の18時に投稿します