2.
「ただいま戻りま…お姉様!」
帰宅早々にお父様に呼ばれて執務室の扉を開ければ、ローズお姉様がいらしていた。嫁いでからの彼女は宝石店の管理を任され多忙な毎日を送っているのでなかなか家には来てくれないのに。
「シェリー! お帰りなさい。まぁ!随分と疲れているようだけど大丈夫なの? やはり厨房で働くだなんて元から体力もないんだし。前から言っているけど、そんなに働きたいならウチの店に来なさい」
ローズお姉様に会えるのは嬉しいけれど、会う度にその話をされるのは苦手なのよね。
「何を言っても無理だよ。ルイーズに似た子だから」
気まずい空気が流れてしまった時、お父様が苦笑しながら間に入ってくれた。
「あ、そうだわ。カレンから聞いたのだけど、やっとシェリーにも気になる人が出来たのね!教えてくれないなんて水臭いわよ!」
テンションが異様に高い姉の言葉に嫌な予感しかしない。
「そうだ。シェリーを呼んだのはその件なんだよ。先程あちらから手紙が届いてね」
このサイズって、いわゆるお見合い写真的なやつで間違いないじゃない。
「見なさい」
珍しく命令口調の父からズイッと差し出されて拒否する事が出来ず、受け取ってしまった。
パラリ
……パタン。
「どうしたのよ?釣り書でしょう?私にも見せて」
「いえいえ間違いですって」
グイッグイッ
「やめなさい」
くっ…。
「あらっ! グラント家のご子息じゃない!」
終わった。マジ終わったわ。
前世を思いだした私は、最近では言葉もおかしくなっているが止められない。
「シェリル」
「……はい」
以前は、氷の騎士様の事なんて全く知らなかった。けれどカレンのお節介のお陰でいらない情報がどんどん入ってきて。
「一度は礼儀として会うべきだが、嫌なら構わないよ」
「え?」
格下から断るのはアリなの? いえ、余程な事がないと有り得ない。この、私がいるノアール国は、貴族制度はない。但し、古くから国を支えてきた五つの家がある。
その一つがグラント家。
「お父様、我家が貿易で国に貢献してきたとはいえ難しいかと思います」
確かラングレイ様は、カレンの話では三男だと言っていた。基本、長男が家を継ぐから彼が当主になる確率はかなり低い。
しかし、それを差し引いても、はっきり言ってしまえば成り上がりなウチとは違いすぎるのよ。
「どんな事があっても子供達を尊重し、話をちゃんと聞いて話し合ってと。それがルイーズの遺言だ」
お母様が亡くなり五年。お姉様も嫁ぎ、家は以前とは違い静まり返っている。父と今は青の騎士団に所属している、いずれ当主であり多忙な兄とは同じ家にいてもあまり話もしていない。
『シェリー』
録音のようなモノはない。母の声を聞くことは、もう叶わない。
「ちょっと、大丈夫?」
「あ、すみません」
お姉様に肩を揺さぶられ、現実に引き戻された。
動揺している場合じゃなかった。ちゃんと考えないと。
「あの、お父様は、グラント家の方と面識があるのですか?自分で言うのもなんですが、何故私にと不思議で」
女性が格上に嫁ぐ事は普通だけれど、ざっと考えてもこの婚姻は彼にはメリットが一つもないはず。
……あら? お父様の表情が変だわ。
「最近、赤の騎士団の公開練習の日にシェリーが頻繁に顔を出していると他方から話を聞いていたんだが…違うのかい?」
あ、これって身から出た錆というやつかしら。
まぁ、確かに適当に指差した先に彼がいましたよ。でも、直ぐにカレンには恋愛というのではないって言ったのに。
「いきなりの大物には驚いたけれど、会ってみたら? いつまでも人見知りでは困るし。この際、練習だと思って。ね?」
ね?じゃないですよ!練習なんて思えるわけないわ!
「お姉様!他人事だと思って酷い!」
「でも、会わない事には物事が動いていかないじゃない?」
うぅ、確かに正論だわ。
「と、とりあえず失礼のないようにお会いしたいと思います」
お父様の何か言いたそうな顔から目を逸らし、どもりながら伝えた。
*~*~*
「お嬢様、晴れて良かったですね」
「……ええ」
土砂降りで取り止めにならないかなと昨夜祈りなが寝た私は、開いた窓から雲一つない空を見上げため息を付いた。
往生際が悪いとはいえ、コミュニケーション能力が高いと言えない私が、会話をしたことがない方の家にお邪魔しトークタイムなんて辛い。
「さっ、まずは顔を洗いましょう!直ぐに支度をしないと間に合いませんよ!」
侍女のハンナは、腕まくりをしてやる気に満ちていて。その姿を見て、再びため息が出てしまった。
「出来ました!」
「ありがとう」
鏡に映る私の表情は明らかに暗い。これから罰でも受けに行くのかくらいである。
いや、ある意味間違ってないわ。
「シェリル嬢様は、お綺麗です。自信を持って下さい」
鏡越しにハンナと目が合って彼女はニッコリ笑った。
ハンナの曇のない笑みを見てふと、思った。
この世界は、本の中なのだろうか? 前世では沢山の本や漫画を読んだけれど、どれに当てはまるかなんて分からない。
そもそも、これが物語の中だったとしても、地味で突出した何かを持つわけでもない私が、お話の流れを変えるなんて無理があるわよね。
「お嬢様?」
「あ、ごめんなさい。時間ね」
とりあえず、行かないと。遅刻なんて許されないわ。
「頑張ってください!」
「え、ええ。ありがとう」
一体何をどう頑張れば良いのか分からないけれど、きらきらしたハンナの瞳に頷く事しか出来なかった。
「着きました」
馬車の扉が開き、一歩を踏み出した時、手が伸びてきて。手袋に包まれている、その手がとても大きいなと指先から手首、腕と辿れば。
「暑い中、お越し下さりありがとうございます」
本日の見合い相手、氷の騎士様だった。
「手を」
「あ、ありがとうございます」
訓練場では頻繁に見かけていたし初めてではないのに。至近距離での存在感の凄さに固まってしまった。
恥ずかしいわ。見つめたりして失礼な事をしてしまった。
あぁ、出だしから上手くいかない。
今の私は、前世よりは可愛いと思う。でも、華やかさを出すよりも気配を消す方が遥かに向いているのよ私は。
「つ、」
「あ、申し訳ない。大丈夫ですか?」
預けた手の握りが強くて、びっくりしたのと痛いのとで小さいながらも声を出してしまえば、屈み込むようにして様子を伺われて。
あれ、なんだか優しい? って?!
「失礼します」
「あの?!だ、大丈夫ですから!」
私のレースの手袋を外そうとし始めたので慌てて止めさせる。
もう、馬車から降りるだけで疲れてしまった。
あ、シュンとなってる?
私の目がおかしくなってなければ、なんとなく綺麗な眉毛が下がっているような。
おかしいな。
氷の騎士様と呼ばれるくらい、無表情でクールなエリート騎士なはずなのに。
自ら屋敷へと誘導してくれる、真っ直ぐと伸びた背の隣に立ちながら私は困惑していた。