天国じゃなかった
ココは必死になって、魔術を使って崩れた石をどかそうとした。
しかし、古代の岸壁から切り出した重たい花崗岩は、規格外の大きさだった。現代の小規模な魔術では、とうてい動かせない。
その時だった。
ごろん、と突然、大きな石が横に転がった。そして、開いたその隙間から――ジャックと豆の木よろしく、巨大な蔦が這い上がってきた。
「あ……アレク!」
「っかぁー、あぶなかったぜ」
固い豆の葉の下から、エヴァンジェリンを抱えてアレックスが出てきた。
「イヴ……! イヴは平気なの? あんたは?」
ココと、茫然とするグレアムを見て、アレックスはにっと笑ったみせた。
「おう、どっちも無傷じゃねぇけど……へい、き……っ」
がくん、と地面にアレックスが膝をつく。よく見たら、後頭部から血が流れていた。ココは慌ててアレックスを助け、イヴを一緒に支えた。
「ごめん、ちょっと嘘。俺は岩がちょっとあたっただけだけど、イヴはもっとやばい。グレアム……」
アレックスは、グレアムに頭を下げた。
「力、貸してくれ。イヴを治してやってくれ。俺じゃたぶん、うまくできない」
「し、しかし……」
グレアムが、イヴを見下ろす。
その足はふらついていた。アレックスは歩けなさそうだし、イヴは気絶してしまっている。
ココはてきぱきと指示を出した。
「待って、話はあと! 皆いまにも倒れそうじゃない。助けを呼んでくる。皆で学園に帰りましょう」
◆◆◆
なんだか、あったかい。
ほわほわしていて、ぽかぽかする。
そうだ、とってもいい夢を見たんだった――そう思いながら、エヴァンジェリンは目をあけた。
カーテンにかこまれたベッド。白い漆喰の天井。
(あれ……天国って、こんな場所なの?)
地獄でないだけましだが、少し現世的すぎやしないだろうか。
ぼんやりそんなことを思っていると、シャッとカーテンが開いた。
「イヴ……!」
カーテンの間から、燃えるような赤毛が飛び込んでくる。
(アレクさん…‥?)
エヴァンジェリンはベッドから起きた。するとずるっ、と何かに引っ張られる感触がした。
「うわぁ」
よく見たら、エヴァンジェリンは点滴だの管だの、無数の器具につながれていた。
「イヴ、目が覚めたんだな。気分はどうだ? 痛いところはないか? 俺がわかるか?」
そういえば、頭の横がちょっと痛い――子どものあの子にやられた傷だ――が、それ以外はどうということはなかった。
「はい。大丈夫です。アレクさん」
するとアレックスは、いやに真剣に、エヴァンジェリンの顔をのぞきこんだ。
「俺のこと……覚えてる?」
「え、ええ。もちろんです。アレクさんのこと、忘れるわけがないじゃないですか」
そう言うと、アレックスはうなずいた。
「は、は、よかった……ごめん、疑ってるわけじゃなくて、その、心臓……わかるかな?」
「え、心臓……?」
言われて初めて、エヴァンジェリンは左胸を意識した。
とくとくとくとく……と、いつものように心臓が波打っている。
しかし。
「あ……感じないです、魔力増幅回路の、嫌な感じが…‥」
埋め込まれた回路の感覚も、痛みも、違和感も、綺麗さっぱり消えている。
おまけに、胸から魔力の気配も消えていた。
(つまり――私の心臓は、今、何で動いているの……?)
こんな状況は、初めてだ。エヴァンジェリンは不安になってアレックスに聞いた。
「わ、私……どうなってしまったのですか、アレクさん……」
すると、アレックスはエヴァンジェリンを覗き込んで、くしゃっと笑った。
「イヴは……イヴの心臓は今、自分自身の力で動いてるんだ。つまり君は、もう――」
「人造人間ではない。人間になった」
「グレアム様、」
アレックスの後ろから、遅れてグレアムが入ってきた。
彼は淡々とエヴァンジェリンに説明した。
「彼は、砕けたパラモデアに願った。君を人間にしてほしいと。パラモデアはその願いをかなえた――君は今、人間だ」
エヴァンジェリンの動きは完全に凍り付いた。
人造人間が、人間になれるわけがない。
彼の言っていることが、まったくわけがわからない。悪い冗談かもしれない。
「人間って……私は、グレアム様に作られた、存在なのに……」
「ああ。その事実はその通りだ。しかし今、君の心臓は俺の魔力がなくても動く。弱弱しくて、これらの装置なしには動かないが――それでも、自力で動いている。これは人造人間ではない証だ」
「でも、私たちには、『魂』がない、って……だから、人間とは言えないんじゃ……」
しろどもどろのエヴァンジェリンに、男子二人はそれぞれ所見を述べた。
「そんなこと、誰が決めたんだよ。もって生まれたもんじゃなくても、イヴにはちゃんと『魂』あるだろ」
「魂の定義も、どこからを魂とするかの線引きも、あいまいだ。たしかに俺は、君の肉体だけを作って、魂なるものは作らなかった。そもそも、魂を作る方法はない。だが、そんなものなくても――」
エヴァンジェリンから目をそらして、グレアムは言った。
「君には、感情を感じる心があるだろう」
エヴァンジェリンは目を丸くした。
(グレアム様が『君』だなんて……)
人間に近しい存在となったから、だろうか。困惑するエヴァンジェリンを前に、グレアムはぶっきらぼうに言った。
「あとはアレックスと、積る話があるだろう」
そう言って出ていこうとしたグレアムに、アレックスは緩いボールを投げた。
「おい、グレアムだって話はあるだろ? 俺、外そうか」
「っ……いや、大丈夫だ」
グレアムが、迷うように拳を握る。
グレアムが言いたいことって、いったいなんだろう――。ドキドキと不安の混ざりあった気持ちで、エヴァンジェリンは待った。
「……すまなかった。お前に、ずいぶんとつらい思いをさせた」
エヴァンジェリンの目が、点を通り越してゴマ粒ほどになる。
「呪いと向き合い、『あれ』を消してくれて――感謝している。お前はもう、自由だ。これからは自分のしたい事をするといい。俺のそばにいなくともいい」
そしてグレアムは、背を向けて言った。
「自分の好きに、行動しろ。そのための援助はするつもりだ」
そして、後ろ手でさっさとカーテンを閉めて、行ってしまった。
「あいつらしい言い方だな」
アレックスは肩をすくめた。
「え……」
「ここんとこ一緒にいてわかったけど、あいつってけっこう、かわいいとこあるよな。夜な夜なずっと、イヴの様子を看てたんだぜ。俺たち」
「えぇ⁉」
「俺が看るから寝なよって言っても、グレアムはベッドから離れなくてさ。じーっと赤い目で、イヴのこと見てたよ」
なんで自分の知らない間に、グレアムとアレックスが仲良くなっているのだろう。
……もう、何がなんだかわからない。
「あの……あの、あのあと、一体何がおこったんですか。ここは学校……ですよね? 皆は、遺跡は、どうなって……」