呪いは奇跡に
「本当も嘘もないよ。ひどい血だ、早く……」
天国から遣わされたお迎えなどではない。彼は現実のアレックスだ。そう気が付いたエヴァンジェリンは、首を振った。
「ダメです……! アレクさん、私を置いて戻ってください」
「なんでだよ⁉」
「私はもう、長くありません……たくさん血を流して、この体はもうだめです。グレアム様の魔力が切れたら、死にます」
「だから、そうなる前に脱出を……!」
「いいえ、いいんです。私はここで、この子と一緒に停止します。そう約束したんです。あの世で、この子のご主人様を一緒に探す、って…‥」
「わかった、じゃあ一緒に連れてくから」
「いいえ……私たちは、ここから出ても、生きていけません。人造人間は、あってはいけないものですから……だから、どうか」
最後の力を振り絞って、エヴァンジェリンはアレックスを見上げた。
「ありがとうございます。こんなところにまで、来てくれて……嬉し、かった」
「イヴ……なんでそんなこと言うんだよ。ダメだ、行こう、ほら」
アレックスが必死になって呼びかける。生き生きとしたその目が今は揺れて、涙が光っていた。
(ああ、そんな顔、しないで……)
いつも太陽のように元気だったその表情が、曇っているのは悲しい。
でも――彼が自分のために泣いてくれるのは、嬉しくもあった。
これで本当に、最後だ。しかし、エヴァンジェリンは自分の思いをぐっとこらえた。
死にゆく自分が、気持ちを告白したって、アレックスの人生の荷物にしかならない。
だからお別れは、笑顔で。
「アレクさん……どうか、いつまでも、お元気で……」
「イヴ! いやだ、ダメだ……イヴ………ッ!」
◆◆◆
お姉ちゃんは目を閉じて、動かなくなってしまった。
子どもは目を開けて、彼女と、彼女をかかえて泣く男の人を見た。
「オネエチャン……」
すると、人間の男の人はびくっとして子どもを見た。
男の人は、子どもに語り掛けるように言った。
「イヴが……イヴが……動かなく、なっちまった……ぁ、あああ……」
大きな男の人なのに、まるで子どもみたいに、声をあげて泣いていた。
「うそだろ……こんなの、ないだろ……イヴ……」
ぎゅっ、とお姉ちゃんの身体を抱きしめて泣く。
「ごめん……ごめんなぁ……俺、何も知らなかった……イヴはずっと、頑張ってたのに……ッ……何もしてやれないで、こんなところで、一人で……ッ」
こんなに泣いて、悲しんでいる。子どもにも、それは理解できた。
(イイナ……オネエチャンハ、外カラゴ主人様、オ迎エ……キタ)
それは、子どもがずっと待ち望んでいた事でもあった。
2000年の時を待って、ご主人様との再会を待ち望んでいた。
『よく待っていてくれたのう。わしのかわいい娘――』
起き上がって、ご主人さまはそう言って、子どもの頭をなでてくれるはずだった。
ご主人様が持たせてくれたパラモデアの魔力で、子どもは本物の『彼の娘』になって、新しい時代を一緒に生きるはずだったのだ。
けれど。
(死ンダ人、生キ返ラナイ……オネエチャン、言ッタ)
ご主人様は、お姉ちゃんの言うところの『あの世』にいるのだ。
だから子どもは、今からそちらの世界に行く。
パラモデアはもう砕かれた。もうすぐだ。
だけど。
(オネエチャンノゴ主人サマハ……生キテ、ル)
(オネエチャン、起キタラ……キットコノ人、喜ブ)
子どもは、空気中にただよう赤い魔力たちを見上げた。
まだ――今なら、魔力は生きている。
(コノ力……ゴ主人様ノタメノモノ、ダケド)
『あの世』まではもっていけないのなら。
どうせなら。
「オニイ、サン」
お姉ちゃんを抱きしめたままの彼に、子どもは呼びかけた。
この人は、ご主人様でも、ご主人様の末裔でもないけれど。
お姉ちゃんのために――ホムンクルスのために、泣いてくれた。だから。
「オニイサンノ、オネガイ……カナエテアゲル」
「え……?」
男の人が、茫然とした顔で子どもを見る。
子どもは手のひらを上げて、魔力を活性化させた。
「私ニ、魔術ハ使エナイ……ダカラ、オニイサンガ願ッテ。ソシタラ、パラモデアガ、カナエテクレル……」
「イヴを……治せる、のか」
こくん、と子どもはうなずいた。
「私ハ人間ニナレナカッタケド……オネエチャンヲ、ソウシテ、アゲテ」
「それじゃあ――」
アレックスは子どもを見た後、漂う赤い魔力に願った。
「イヴを……!」
アレックスは、心の中で望みを叫んだ。
すると、赤い光は一気にエヴァンジェリンに吸い込まれ、玄室は真っ暗になった。
何一つ見えない、暗闇――。
そして次の瞬間、ゴゴゴと地底から響くような、不穏な音が鳴り響いた。
――要であったパラモデアを失って、神殿が崩壊を始めたのだ。
◆◆◆
「な、なんだ……⁉」
「遺跡が、鳴ってる……!」
遺跡の前で待機する生徒たちはなんだなんだと顔を見合わせた。
グレアムがはっとして、よろけながら叫ぶ。
「皆逃げろ! 遺跡が崩れる……!」
とたんに、他の生徒は皆遺跡に背を向け逃げ出した。
グレアムはたたずむココにも告げた。
「君も逃げるんだ。アレックスの事は、俺に任せてくれ」
「冗談じゃないわ。私もここで手伝う」
「危ないぞ」
「……中の二人はもっと危ないわ! 早く、助けないと……!」
ぱら、ぱら、と上から小石が落ちて来たかと思ったら、遺跡の柱が震えて、ぴしっとヒビが入る。
「まずい…‥!」
満身創痍の身体で、グレアムはとりあえずココをかばって後ろに下がった。
ガラガラと重たい音をたてて、遺跡を形作っていた柱が、壁が、装飾が――崩れていく。
「ココ、大丈夫か」
グレアムはとっさに防御魔術を張って、落下からココを守った。しかしその目は、しっかり遺跡へと注がれている。
(前回はわからなかったが――遺跡が壊れた、ということは)
遺跡を支えていた根幹――パラモデアが、消滅したということ。つまり。
「エヴァンジェリンは……やったんだ。呪いを、消滅させた……!」
彼女の身体は、このまま呪いの人造人形と共に、遺跡の奥深く――誰にも手の届かない場所で、眠りにつくのだ。
グレアムは、エヴァンジェリンの仕事が完了したか、しっかりと見届ける必要がある。しかし。
「イヴ……アレク、は……これじゃ、生き埋めじゃない……!」
ココが叫ぶ。
イヴは当然として、アレクも……生きている確率はかなり低いだろう。
この残酷な現実を、ココに告げなくてはいけない。
「ココ……残念だが、二人は」
遺跡は崩れ落ち、静寂が訪れた。
グレアムはそれだけ言って、首を振った。
「そんな……うそ、うそでしょ……! アレクは、かえってくるって……! きっとまだがれきの下で生きてる。助けないと!」
「遺跡が崩壊しなくても――呪いの人造人形は、人間が触ればその命を奪う。エヴァンジェリンの加勢に入ったのなら――かなりの確率で、彼はもう」
しかもその場合、人造人間に触れられた彼自身が『呪い』となっている可能性もある。
グレアムは用心して、崩壊した神殿のがれきを注視した。
――しかし、崩壊のおさまったその場所からは、しんとした静寂だけがただよっていた。
「終わった、か……」
やるせない気持ちで、グレアムはがれきに近づいて、両手をかざして魔力量を確認した。
遺跡からは、以前感じたまがまがしい魔力を、もう一切感じなかった。すべて拭い去ったかのように、清浄な気配すらする。
「パラモデアの反応は消えた。二人は、やりとげた」
エヴァンジェリンは想定内だったが、アレックスも巻き添えを食って命を落としてしまった。そのことは、グレアムの心に影をおとした。
(もっと本気で――止めるべき、だった)
「そんな……た、たすけ、ないと。がれきをどかさないと、」
ココは必死になって、魔術を使って崩れた石をどかそうとした。
しかし、古代の岸壁から切り出した重たい花崗岩は、規格外の大きさだった。現代の小規模な魔術では、とうてい動かせない。
その時だった。