ありがとう、グレアム様
4月30日。日が昇ったその瞬間に、この遺跡が目覚める。
だから、『それ』が出てくる前に、エヴァンジェリンは遺跡の内部に入り込み、殲滅する必要がある。
グレアムとエヴァンジェリンは、遺跡の扉が開くその時を、じっと待っていた。
「あと30秒………20………15……」
グレアムが腕時計を見つめながらつぶやいた。その顔は青白い。最終決戦を目前にし、グレアムはほぼすべての魔力をエヴァンジェリンに注いでいた。
「グレアム様」
最後だと思い、エヴァンジェリンは言った。
「ありがとうございました」
「いい、お前が俺にお礼を言う要素なんてなにもない」
文字盤から目を上げず、冷たく言ったグレアムに、エヴァンジェリンは首を振った。
「いいえ、私のことではなく、ピィピィのことです。彼の生涯の餌代を、ありがとうございました」
彼が文字盤から目を上げて、エヴァンジェリンを見た。
「おまえは……」
彼の目が、ぐっと細められる。まるでどこかが痛むような、悲壮な顔だった。
―――扉が、開いた。
「それでは、いってきます」
エヴァンジェリンは扉の中の暗闇に、踏み出した。
すると、音もなく扉が閉まった。外でグレアムは、扉を閉じて、見張っていることだろう。
(グレアムさまも、どうかお元気で)
ココさんとうまくいきますように……。そう内心でつぶやいて、エヴァンジェリンは遺跡の大廊下を歩きだした。
グレアムの説明してくれたとおりに歩いていくと、天井の高い空間に出た。
(あ……あそこね)
中央に、祭壇のようなものがある。その祭壇の後ろに、地下の最奥の部屋につながる階段がある、と聞いていた。
命令通りに、祭壇の後ろに回り込むと、その中は空洞のようになっていて、下にぽっかりと穴が開いて、階段が続いていた。
この先は、さらに暗い。
(なんの音もしない……『それ』は、まだ活動していないのかしら)
階段を下りていきながら、エヴァンジェリンは不思議と恐怖は感じていなかった。
――この世界で唯一、自分と同じ存在である、『それ』に対して。
(それ、とかあれ、とか言っちゃってるけど……本当の名前はあるのかしら。私みたいにしゃべれるのかな? どんな目的で作られて、どんな風に生きてきたんだろう……その子は)
今は超ど級の呪いになってしまったが、『それ』もきっとエヴァンジェリンのように、人間を主人として、暮らしていた過去があるはずだ。
(どうして呪いになっちゃったのかな……わかんないけど)
けど、『それ』に触れることができるのは、この世界でエヴァンジェリンだけなのだ。
戦う事にはなるが、ほんの少しの、好奇心もある。
(聞いてみたいな。古代の魔術世界は、どんな感じだったのか。『それ』はどんな風に過ごしていたのか……)
こつ、こつ。暗闇の石の階段を、エヴァンジェリンはとうとう下がり切った。やや天井の高い、石の部屋に出た。
部屋にはいろんなものがおかれているようだった。そして、その中央には、棺のようなものがある。
(ああ、グレアム様は前回ここで殺されて――そして、時間をさかのぼったのね)
『それ』はどこにいるのだろう。エヴァンジェリンは見まわしながらも、周りに置かれたものに目を向けた。
(巻物に、壺がいっぱい……中身はなにかしら。それに、長持ちに、これはお皿……?)
まるで引越しする人の荷物みたいに、まとめられてさまざまな家具や生活用品がおいてあった。じっくりと眺めて、エヴァンジェリンはふと思った。
(そうか。ここの遺跡ってもしかして……お墓、だったのかな)
古代の権力者は、いつか自分がよみがえる事を信じていた。
起きたら使うためのさまざまな調度品や、お金、そして時には奴隷を殉職させ、一緒に墓におさめておいた――と、どこかで読んだことがある。
ここはその霊廟で、周りのものたちは副葬品。ということは――
エヴァンジェリンは棺に目を向けた。
(あそこの中に、きっと『それ』が眠っているのね)
古代の眠りから、今、『それ』は目覚めるのだ。
(待っててもしょうがないし……開けてあげようかしら)
エヴァンジェリンがそう思って、棺のふたに手をかけたその時。
ぬっ、と棺の脇から、何かが立ち上がった。
「サワ、ルナ、ご主人、サマ……」
黒い姿。細い影。エヴァンジェリンはばっと後方にとびすさった。
(棺の中じゃなく、こっちだった……!)
ゆらり、とその人影がおそいかかってくる。
「テキ……盗掘……者!」
切れ切れの言葉をはきながら、両手を上げて襲い掛かってくる。
まるで幼児のような、隙だらけの単純な動き。だけど。
(この手には魔力がみなぎって――人間だったら、触れると死ぬ!)
あちらの魔力貯蔵を100としたら、おそらくエヴァンジェリンがグレアムからもらった魔力は1にも満たない。けれど。
(勝機はある! 魔力は劣っても、私は決闘技で鍛えた技がある……!)
『それ』の息の根を止めるには、同じ人造人間である者が、その体に触れ、パラモデアを取り出し砕く、それしかない。
(だから……本体を攻撃しても、意味がない!)
ゆらり、ゆらりと近づいてくる『それ』から逃げ回りながら、エヴァンジェリンは様子をうかがった。
(魔力を無駄遣いするわけにはいかない……パラモデアを砕くときに、最大出力にしないといけないから)
相手の攻撃を受けることを承知で、懐に飛び込み、パラモデアの場所を暴く必要がある。
かっ、と『それ』が目のまえに立ちふさがる。エヴァンジェリンは躊躇せず、その胸へと突撃した。
「……⁉」
驚いたのか、顔はわからないが、『それ』は一瞬動きを止めた。
(しめた! ここにそれがあることは知ってるの、グレアム様から聞いた……!)
エヴァンジェリンは、黒いその胸に、思い切り拳を打ち込んだ。めきっ、と有機物を破壊する嫌な感触がして、拳がめり込む。
「この中ね……っあ!」
しかし、『それ』がむざむざ奪われるはずはない。『それ』は、黒いその手でエヴァンジェリンの頭を鷲づかんだ。
万力の指が、エヴァンジェリンの頭にめりこむ。きりきりと嫌な音がする。
自分の頭蓋が出す音なのか、相手の指が鳴る音なのか、わからない。
「オ前……パラモデア、触レル……人間ジャナイ、ホムン、クルス……!」
エヴァンジェリンの正体に気が付いたのか、『それ』は驚いたようにつぶやく。
エヴァンジェリンは痛みをこたえながらこたえた。
「そうよ。私もホムンクルス」
「ワ、私ヲ、処分、シニキタ……?」
その声は、動揺しているようだった。エヴァンジェリンは必死で相手を見上げた。
――目も口も見えない、くろぐろとしたその顔が、ぐにゃりと歪んでいるような気がした。
隠したって仕方がない。エヴァンジェリンは言った。
「そう。あなたを……停止させるために、私は、きた」
するとひゅっと相手が息をのむ。呪いによって塗りつぶされた顔の奥には、たしかに表情があるのだと感じさせられた。
「ドウ……シテ」
「あ、なたが、呪いに、なったから……! 私が、聞きたい。なんで、こんな、こと……」
ぎりぎりと、頭を締め付ける力が強くなる。しかしゆるぎない手の力とは裏腹に、『それ』の身体は震えていた。
「呪イ……? チガ、ウ、私、ハ、ゴ主人様……起キル、待ッテタ……」