さようなら
「……で、プロム前日だっていうのに、私たち二人だけ、パートナーが決まってないってことね」
はあとため息をついて、ココは南寮ラウンジの窓辺で肩を落とした。
「……ココだって誘いはあったんだろ?」
北寮の塔を見据えたまま言ったアレクに、ココは顔をしかめた。
「ええ。でもまぁ……結局はあんたと同じ、ってことね」
くさくさして、ココはぷしっとコーラの瓶をあけて一気飲みした。
グレアムに誘ってほしかったなどと、思っているわけじゃない。
けれど、知り合いの男子生徒に、真剣な目で誘われた時――思わずごめんなさいと頭を下げてしまっている自分がいた。
(だって、悪いじゃない……彼は本気で私を誘ってくれたのに、私は他の男のことしか考えられない状態だなんて)
自分が信じられない。もうずっと前に吹っ切れたはずの想いが、こんなにぐずぐずぐつぐつ、心の底で消えていなかったなんて。
「灯りがついてる……まだイヴ、いるんだな」
窓を食い入るように見つめるアレックスに、ココは釘を刺した。
「ちょっと、もう箒はやめなさいよ。こないだはじかれたんだから」
アレックスがイヴと話をした翌日から、もうその付近は箒でも鳥でも近づけなくなってしまった。
――手紙を送ることさえできない、ということだ。
「くそっ、グレアムのやつ。やっぱりイヴをとられたくなかったのかよ。なのにクリスマスパーティでは、ココにいい顔もして……とっちめてやらないと気がすまない!」
そう、たしかにエヴァンジェリンとグレアムの間にそういった感情はなさそうだ。
そして――クリスマスパーティでのあの、ココに向けた優しい笑顔。
思い出すたびに、ココは胸が痛くなる。
「そうね……でも、事情があるのよ。家の用事、って言ってたんでしょ」
「それって何なんだよ! もう、イヴとは会えなくなるかもしれないのに……」
苦しそうなアレックスの声に、ココは、アレックスには黙っていたことをとうとう言った。
「……今は無理だけれど、時が来たら説明する、ってグレアムは言っていたわ。だから、待ちましょう」
「なんだって?」
そう言って、アレックスは思い出した。
「そうだ……それ、イヴも言ってた。今は言えないけど、いつかお願いしたい事がある、って……」
その言葉に、ココもひきつけられたようにアレックスを見た。
「イヴもなのね……。あの二人、一体何が……」
今すぐ聞きたい。
けど、塔には近づけない。手紙も送れない。
アレックスは頭をかかえた。
「がーーーっ! もう、北寮の扉ぶちやぶって侵入するか⁉」
「待ってよもう。そんなことしたら、プロムが台無しになっちゃうでしょ。皆楽しみにしてるんだから……」
ココはラウンジを眺めた。みな、前祝いだと言って、あちこちで乾杯し、談笑している。女子の何人かは、明日のドレスアップに備えて……とすでに寝室にこもり、美容に手をかけている子もいた。
「……待つしかない、のか」
アレックスが肩を落としてぼそりという。
ココはやけくそで言った。
「もういいわ。明日は明日で楽しむしかない。アレク、つきあいなさいよね。今夜になってパートナーがいないの、もうあんたと私だけなんだから」
アレックスはうへぇという顔をした。
「マジ? 結局俺、ココと踊るわけ?」
「それは私も同じよ! ……でもまぁ、お互い望む人とはいけない。それならもう、あんたがいいわ。気心が知れてるもん」
するとアレックスはくすっと笑った。
「ま、たしかに。なんだかんだいって……一番のダチだしな」
その言葉に、思わずココも笑ってしまう。
こういうところだ。アレックスのいいところは。
「そのとおり。……さて! じゃ、私ももう引っ込んで睡眠とるわ。どうせ踊るなら、思いっきり踊りたいもの! あんたも途中でへばったりしないでよ!」
「俺の体力知ってるだろ。ココのリードなんて余裕だわ」
「はいはい! おやすみなさい!」
軽口をたたき、アレックスは寝室に行くココを見送って、仲間の輪に加わった。
「おい! まだ俺の分もあるよな⁉」
するとしゅぽんとエールの栓が抜かれる。
「もちろん! 我らがエース、アレックス!」
「未来のグロリアスター選手ッ!」
「やっとふっきれたかぁ。のめのめぇ!」
浴びるようにエールを飲みながら、アレックスは苦笑した。
(まっずい、明日へばってココに叱られるな、こりゃ……)
◆◆◆
夜明け前の一番暗い時間に、エヴァンジェリンは目を覚ました。
(暗い……でも、見える。私の部屋)
最終点検しないと。エヴァンジェリンは起きだして、まず洗面所に行った。
洗面台は、ものひとつなくまっさらで、大理石のタイルは、洗浄魔法でぴかぴかにした。髪の毛一本、落ちていないはずだ。
(よし、バスルーム、OK)
それから、書き物机。クローゼット。
服も書物も全部処分し、すべての引き出しは空にした。
そして、最後。
「ピィピィ……」
ソファの上で眠るピィピィに、エヴァンジェリンは小さく呼びかけた。
むく、とピィピィが起き上がり、エヴァンジェリンを見上げた。
このつぶらな瞳に、どのくらい助けられたかわからない。
「ピィピィ、今からピィピィは、どこに行ってもいいの。自由な鳥になるのよ」
ピィピィの足に、エヴァンジェリンはそっと手紙をくくりつけた。
「バナナの木のある温室に、ピィピィの寝床を用意しておいたわ。それに、庭の鳥小屋にも。お友達と一緒がよければ、そっちに行ってね。窓は開けておいたわ。あとね……」
じっと見上げるピィピィに、エヴァンジェリンは今までで一番優しい声で言った。
「このお手紙を、ココか、アレックスに届けて。二人がきっと、ピィピィの面倒を見てくれるわ」
ピィピィの小さな頭をなでる。裾がわずかに紅色の、ふわふわの白の羽に頬を寄せると、いとおしい気持ちがこみあげてくる。
「私の大事な、ピィピィ……。今まで長い間、ありがとう。ずっと元気で、長生きしてね」
悲しい顔は見せたくない。穏やかにそう言って、エヴァンジェリンはただ、ピィピィを膝にのせて、抱いていた。
が、すぐにその時間は終わりを告げた。
グレアムが来たからだ。
「……もう起きていたのか」
「はい。今日は早いと聞いていたので」
グレアムの口が、一瞬何か言いたそうに動いた。が、彼はぶっきらぼうに言った。
「なら、行くぞ」
エヴァンジェリンはそっと、ピィピィをソファに降ろした。
(もう少し撫でていたかった―――でも、さようなら、ピィピィ)
二人が出ていき、パタン、とドアが閉まる。
ピィピィはドアを見つめて、ぱち、ぱち、と瞬きをした。
「ぴぴ……ぴ」
何かを察した小さな声だけが、がらんとした暗い部屋にひびいた。