風のおかげで
エヴァンジェリンは、喉をせりあがってくる熱い塊をぐっとこらえて、いった。
「はい。会いたいです……私は、そう思っています、アレクさん」
するとアレックスは、また前を向き直って、ふっと笑った。
「よかった。それが、聞きたかったんだ。イヴはさ、卒業したら、故郷に戻るの?」
「まだ、決まっていませんが……アレクさんは、決まっていますか?」
「俺さ……メガ球のプロチームから、誘われててさ。迷ってるんだ」
「えっ、ほんとですか。それはすごいですね……!」
グレアムは興味がないようだが、ここの生徒たちの間でも、メガロボールのプロリーグは人気だ。試合がある日は、その話で持ち切りになる。贔屓のチームをめぐって、生徒同士の賭けや喧嘩もよくあるらしい。
「でも、迷っているんですか? アレクさんは、メガロボール以外にも、したい事があるとか?」
「いや。俺、正直、メガロボールくらいしか得意なこと、ないよ。でも……前にイヴのこと、悲しませちゃったからさ。それ以来なんか、マジになれなくて」
あの怪我をしたときのことか。イヴは首を振った。
「あの時は、勝手な事を言ってごめんなさい。あのとき、私――アレクさんが、痛い思いをするのが、なんだかたまらなくて。でも、それ以上に……
アレクさんには、思いっきり好きな事をして……元気いっぱいで、明るくて、キラキラ輝いていて……ずっと、ずっと、そんなアレクさんでいてほしい、って思います」
背中越しに、笑う気配がする。
「はは。キラキラ、かぁ。そんな風に見えてたの?」
エヴァンジェリンは力説した。
「はい。アレクさんはいつも輝いています。私の太陽みたいな、そんな存在です」
彼が息を飲んだのがわかった。
――ちょっと、引かせたかもしれない。
「えっとその、太陽っていうのは、私、お友達もいなくて、いつも一人で……ずっと、夜の中を一人で歩いているような感じだったんです。寂しくても寒くても、これが当たり前なんだって、自分をごまかして……」
そう。ずっと言い聞かせていた。自分はこの物語の主人公ではないのだ、と。
「だから、アレクさんとこうして仲良くなれて、私は初めて、生きていることが楽しいと……自分の人生にも意味があると、心のそこから思えたんです。明るい場所に立てたんです。太陽の恵みを初めて知った、地底人みたいに」
身代わりの悪役令嬢じゃなくて、一時でも、主役になったみたいな気持ちを、味わうことができた。
「イヴ……」
その背中に、ぴったりと頬をくっつける。
温かい――。この温度を、きっと覚えていよう。エヴァンジェリンは思った。
「ありがとうございます、アレクさん。本当に、心から感謝しています」
箒が、北寮の塔に近づく。開きっぱなしの、エヴァンジェリンのバスルームの窓から、白いカーテンがはためいていた。
「そろそろ、私、戻りますね。アレクさん、夜のお散歩に誘ってくれて、ありがとうございました」
するとアレックスは、イヴの言う通りに、窓に箒をぴたりとつけてくれた。
エヴァンジェリンはふっと箒を下りて、バスルームへと足をかけて戻る。
振り返ると、アレックスはものといたげにエヴァンジェリンを見つめていた。
これで最後だ。エヴァンジェリンは、彼に伝えた。
「メガロボールの選手になられるのなら……応援していますね。アレクさんがずっと元気に活躍できるよう、お祈りしています」
「イヴ……どうして。どうしてそんな風に言うんだ。また、俺たち、会えるんだろ……!?」
イヴは笑った。どうしても悲しい笑みになってしまうけれど。
「……また会いたいです」
「イヴ……何か、悩みがあるなら言ってほしい。俺、力になるから。どんな難しいことでも、俺がどうにかするから……!」
それには答えられない。だから。
「プロムも、誘ってくれてありがとうございます。でもきっと、予定がなくても、私はプロムには出席していなかったと思います」
「なんで?」
「ヤドリギの木の下でお話したこと、覚えていますか? 私は……本当は、あそこにいちゃいけなかったんです。アレクさんにも、キスしちゃ、いけなかった。だって……」
エヴァンジェリンは目線をそらした。
「私は、『悪役令嬢』だから」
びゅうと強い風が吹く。春の嵐に、声がかき消される。エヴァンジェリンはだから、つぶやいた。
「好きです、アレクさん。誰よりも……でも、好きになっちゃダメだった」
花びらの混ざる春の風は強くて、アレクの箒が流されていく。必死に戻ってこようとする彼に、エヴァンジェリンは手を振った。
「帰り道、お気を付けて……! プロム、楽しんでくださいね……!」
そう。アレックスは、エヴァンジェリンじゃない他の子と、学園最後の思い出を作るべきなのだ。
最後なんだから、笑顔で。そう思いながら、エヴァンジェリンは笑みを浮かべたまま、窓を閉めてカーテンを引いた。
それと同時に、バスルームのドアが開いた。
なんとなく察していたエヴァンジェリンは、振り向かずに言った。
「起こしてしまいましたか。ごめんなさい」
淡々と、バスタブの栓を抜き、洗面台に出しっぱなしの瓶たちを片付けていく。
「ご命令を破ってすみません。ですが……こんな事は、これで最後です」
先回りをされて面食らったのか、グレアムはぼそりと聞いた。
「……箒でここまで来たのか」
「はい。プロムに誘っていただきました。けれど、私とグレアム様は家の用事があるから出れない、とお断りしました。問題ありませんよね?」
鏡を見ると、その中のグレアムは頷いていた。顔はうつむいていて、無表情だった。
「他に余計な事は言っていないか」
「もちろんです。どうでもいいような事しかお話ししていません。グレアム様……」
「なんだ」
「グレアム様のご命令の理由が、今更になってわかりました。破ってしまって、申し訳なかったです」
「なんだと?」
エヴァンジェリンはバスルームの明かりを落とした。
今の顔を、見られたくない。
「ホムンクルスが他の人間とかかわるなんて、いけない事でしたね。その教えが今になって身に沁みます」
グレアムがぐっ、と唇をかみしめる。
「……そうか。たしかに今更だが、わかったのならよかった。が……あいつはまた来るかもしれない。箒除けの魔法をかけさせてもらうからな」
「ええ。そうしていただけると、ありがたいです」
言いながら、エヴァンジェリンはばれないようにそっと、目元を袖でぬぐった。