サマーバケーション
メガロボールの試合も終わり、学園の一年がその幕を下ろした。
トランクを手に、旅装の生徒たちが玄関ホールから行列を作って出ていく。
皆、夏休みを家で過ごすのだ。
(アレクさん、ココさん……よい休暇を)
自分の部屋の窓から、エヴァンジェリンは庭を見下ろして微笑んだ。
ココはきっと、愛する家族と犬と、幸せな休暇を過ごすだろう。手紙に犬の写真を入れて送る、と言ってくれた。
アレックスは、なぜか少し仏頂面だったが――カランツのキャンディを送る、と約束してくれた。
(アレクさん……私のこと、強い、って言ってくれた)
あの瞬間、エヴァンジェリンは胸の中がなんだかほっと光が灯ったような気がした。
(私、ほんとは全然強くなんてない。めそめそして、できない事ばっかりで……でも)
思えば、エヴァンジェリンはずっとひとりであった。ピィピィの他には、誰もいない。ただただ厳しいグレアムの言うことに従って、自分を鍛える日々。
(だけど……今は、自分から『鍛えたい』って、思っている)
青々と茂った木にとまって、ピィピィがバナナを食べる。アレックスは走り回ってメガロボールに興じ、ココはきっといつか、グレアムと和解し結ばれるだろう。
その未来のために、この世界を脅威から守りたい。そのためなら、きっと頑張れる。
そう思うと、今までエヴァンジェリンの中になかった力が、腹の底から湧いてくるような気がした。
(そう……強くなりたい……。だって)
その時、エヴァンジェリンの部屋のドアが開いて、グレアムが入ってきた。
「よし、生徒たちは軒並み帰ったな。エヴァンジェリン、今日は地下室に行くぞ」
「はい」
「朝食は抜いたか。今回の魔力拡張は思い切っていこうと思う。吐くなよ」
「がんばります」
休暇はきっと、苦しみどおしになるだろう――。けれどエヴァンジェリンは、もう怖くなかった。
(私は、私は強い。だってアレクさんが、そう言ってくれたんだもの)
本当はそうじゃなくても、アレックスは本心からそう思ってくれたのだ。それなら。
(アレクさんがそう思った『私』でいたい……! 今までの弱い私とは違う――!)
そう、だからグレアムの無茶な改造にも、その先に待つ死も――きっと耐えられるはずだ。
◆◆◆
「ごめん……ココ。俺、お前がグレアムと付き合ったときさんざん小言言ったけど……ココのこと笑えなくなっちまった」
小高い丘に寝転んで、アレックスはそうつぶやいた。草が柔らかい。風の匂いが甘い。
その甘やかさに、エヴァンジェリンの魔法の事を思い出して、苦しくなる。
広い丘陵で、愛犬ワンダーにフリスビーを投げながら、ココはなげやりに叫んだ。
「ざまぁみろよっ! ていうか、あんたの方が重症じゃない。ママが作った夏のごちそうも口にしないでさ。絶品よ? ゼリーケーキ」
空飛ぶフリスビーはラメ入りの金色だった。それを目にして、またエヴァンジェリンが思い出される。
(あの髪……はぁ)
彼女は休暇は家に帰らないと言っていた。グレアムも残るらしい。ほとんどの生徒が帰った学園で、二人は何をしているんだろう。
(寮とかほぼ二人きりじゃん! わ~~~~! いやだ! 考えたくねぇ!)
アレックスは目を覆った。
「なぁ……! 俺どうすればいいんだ。お前もこんな気持ちだったんだな」
「知らないわよ! そんなの自分で考えなさいよ」
手厳しくそう言いながらも、彼女は横たわるアレックスの隣に腰を下ろした。
「まったくもう、最高学年の6年生になるっていうのに、成績や進路じゃなくてこんな事で悩んでるなんて」
ワンダーもやってきて、ごろんとアレックスの隣に横たわって顔をこすりつけてきた。
「優しいなぁワンダーは。飼い主とは大違いだ」
「あんたそんなこというならもう相談乗らないわよ」
「ごめんごめん! はぁぁ……」
「でも言っておくけど、私は破局したわけだし、あんたに有益なアドバイスなんてできないわよ」
「あれ以降、グレアムとはなんともないのか? しばらくお前んとこ来てたじゃん」
ワンダーの頭をなでながら、ココははぁとため息をついた。
「まぁね。でも……私にもうその気がないってわかったら、ちゃんと引いてくれたわ。私の気持ちを一応尊重してくれたのね。イヴに対する態度も、とりあえず少しは改まったみたいだし……」
ココは空を見上げた。
「彼のこと、いまだによくわからない。なんで最初突然、私なんかを好きって言ってきたのかしら。それならイヴは、彼にとってなんなのかしら」
「たしかに、なんで突然? とは思ったよ。お坊ちゃまだから、ココみたいな女が珍しかったのかな」
「なんだろう……笑われるかもしれないけど、最初から彼、好きって言ってくれたの。嘘には思えなかった。だから……って、はーぁ。いやーね。これじゃまだふっきれてないみたいじゃない」
そう言ってココは笑い飛ばしたが、付き合いの長いアレックスは、それが彼女の本心だということが分かった。
懐かしいホームに帰ってきて――気もゆるんで、つい本音を漏らしてしまったんだろう。
(そっか、かかわりを断ってはいるけど――ココもまだ、グレアムの事が忘れられないのか)
今度ははぁ、とアレックスがため息をついた。
「なーんか俺たち二人とも、あの仮面夫婦に翻弄されてるなぁ」
ココはちらり、とアレックスを見ていった。
「……どうするの、あんた」
アレックスもまた、空を見上げた。
最後『健康でいてくださいね』と言った彼女の言葉が、よみがえる。
(俺……君が望むんなら、メガロボールをやめたっていい)
そのくらい、好きだ。
アレックスはぎゅっと拳を握った。
「卒業パーティで、俺は彼女と踊りたい。……グレアム・トールギスから彼女を奪いたい」
「でも……イヴは」
ココのためらいがちな声。
「そう。それをイヴが望むかわからない」
拒否される可能性だってある。けど、でも。
(そうやって二の足踏んでたら、なにもできないでこの一年が終わるんだ)
一歩踏み出さなければ、やらなければ。
――かなわない思いだとしても、あきらめるよりは、そっちがいい。
一度そう思いきると、アレックスはなんだかすっきりした。
「当たって砕けろ、だ」
するとココは肩をすくめた。
「あんたがすることは止めないけど……けが人出すのはやめてよね」
「どうかな……」
「あんたとグレアムじゃ、しゃれにならなそうで怖いわ」
はぁとため息をついて、ココは立ち上がって、ワンダーと共に、少し離れた場所にある木のもとへと向かった。
古木のうろをのぞくと、ずいぶん前に隠した瓶が、ちゃんとあるのが見えた。
(まだ、ちゃんとあった……私の宝物)
瓶の中には、ココが一番好きな花、ラナンキュラスの球根が保管されていた。
幼い日のココが、いつか結婚する日が来たら――ブーケの花にしようとより分けた、とっておきのものだ。
幼き日の宝物を確認して、なんだかざわざわとした気持ちになる。
(なんだかなぁ……アレクも私も)
結婚なんて、程遠い。
幼いころ無邪気に夢見ていた、恋愛――。それは、甘くてキラキラした、楽しいだけのものではなかった。
ココも今となっては、それが身に染みている。
……人の気持ちって、どうしてこんなに難しんだろう。
(もう、私なんて男性不信よっ! とうぶん……この球根の出番はないわね)
そうわかって、ココは再びうろに木の葉をかけて、その瓶を隠したのだった。