よそ見、ダメ
「遅いぞ」
グレアムの用意した席は、最前線の席だった。他の人の前を謝りながら通りつつ、エヴァンジェリンはやっと腰を下ろした。
「すみません。何しろ初めてのもので……」
そうこうしているうちに、選手が立ち並んでホイッスルが鳴る。解説のハイテンションな声が響き渡る。
『ここで試合開始イィ! まずボールを奪ったのは南寮注目のエース、サンディ選手だ!』
青い炎に包まれたボールがふわりと宙に浮いたかと思うと、長身の選手がそのボールをかっさらって目にもとまらぬスピードで走り出した。
「あ……あれって、アレクさ……」
そう言いかけて、エヴァンジェリンは慌てて口をつぐんだ。愛称で呼んでいるとグレアムにばれたらまずい。
「なんだ? きこえない」
しかしどのみち、周りのヤジや歓声でろくに聞こえなかったようだ。エヴァンジェリンは別の事を言ってごまかした。
「あのボール、燃えていますが熱くないんですか? 大丈夫ですか?」
するとグレアムは肩をすくめた。そんな事も知らないのか、と言いたげだ。
「メガロボールは別に熱くない」
「そうですか……っひ……!」
次の瞬間、エヴァンジェリンは身体をすくませた。ボールを追いかける選手たちが、ちょうど応援席の目の前を通り過ぎたからだ。ボールをなんとか奪おうと、北寮の選手がアレックスの周りを固める南寮の選手に容赦のないタックルをかまして、選手がグラウンドにはじき出される。
おおおっと観客席がどよめく。その光景を目の当たりにしてエヴァンジェリンはくらっとした。
地面にのびた選手をものともせず、みんなボールを争いながらゴールポストまで駆けていく。
「おい、平気か。お前が見たいと言ったんだぞ」
傾いだエヴァンジェリンの身体を、グレアムが支える。
「あ、あんな、大丈夫なのですか、叩いたり、体当たりしたり……」
まさかこんな恐ろしい競技だったとは。エヴァンジェリンはアレックスが心配だった。
しかしグレアムは手を放し、肩をすくめただけだった。
「そういうスポーツだ」
◆◆◆
ホイッスルと同時に、魔術がかけられたボールが宙に浮く。
――試合開始。
8対8。合計16人の選手が、逃げ惑うそのボールを追いかける。
ルールは簡単だ。ボールを相手のゴールに入れれば勝ち。
「っし、仕掛けるぞ!」
上背を利用して開始直後にボールをもぎとったアレックスは、浮くボールを籠手で抑え込んで走り出した。次々と他の選手が、アレックスを守ろうと、そして敵がボールを奪おうと、追いかけてくる。
(よーし、開幕シュート決めんぞ!)
その意気で、アレックスは走り出した。走行魔法でスピードを上げる。メガロボールは、選手一人ひとりに、自身の身体能力を高める魔法をかける事が許されている。
足を速く、ジャンプ力を多く、そして肩を強くする、などだ。
アレックスは特にスピードとジャンプ力に特化していた。もともとも特性として、足が強かったからだ。
新緑のスタジアムの光景が、前方にどこまでも広がっている。ゴールまであと10メートル。一番にボールを獲った自分の、前を走るものは誰もいない。
(いいね――最高の景色だ!)
南寮の応援席からの歓声、そして北寮からのヤジが耳をかすめる。ふと目線を上げると、北寮の最前の良い席に――イヴが座っていた。
(あ……イヴ、きてくれたんだ!)
しかしその隣には、グレアムが我が物顔で座っていた。不機嫌そうに、試合を見もせず、じっとエヴァンジェリンの様子を観察している。その視線に気が付いて、エヴァンジェリンが彼を見上げる。何かを話しているようだ。
その瞬間、アレックスの目に、エヴァンジェリンの肩を抱くグレアムが映った。
「えっ」
全力疾走しながら一瞬目に移ったその光景に、思わず声が出る。
(どういうこと!? あの二人―――)
仮面夫婦みたい。そう見えていたのは嘘で、本当は仲がいいのだろうか。
エヴァンジェリンは、やはりグレアムの事が好き、なのだろうか――。
胸に正体不明の痛みが走ったその瞬間。
「っつ……!」
『ここで北寮ミンクスからの強烈なタックルゥ! ボールは北寮に移りました!』
油断した。
屈強な選手に弾き飛ばされたアレックスの身体が、地面に叩きつけられる。ごき、と体の中で嫌な音がしたのがわかった。
(うわ、折れたな……)
かすむ視界の中で、目だけ動かして観客席を見上げる。遠くに見えるエヴァンジェリンは――アレックスを見て、口を手で覆っていた。とても驚いた顔をしている。
(あーあ、俺、やっちまった……見に来てっていっといて……かっこ悪ぃとこ、見せちまった……)
起き上がって、ボールを追いかけろ。今からでも活躍を見せて、かっこいいところを見せるんだ――。そう思うが、打ちつけられたアレックスの身体は動かなかった。頭がガンガンする。
『これはどうした! サンディ選手立ち上がれない! まさかさきほどの行為は禁止タックルか! 審判によるイエローカードとドクターが入ります!』
だいじょうぶだ、大したことなんてない。いつもタックルで吹き飛ばされてるんだから――。アレックスはそう言いたかったが、結局言えずに、目を閉じた。