グレアムのトラウマ
グレアムはエヴァンジェリンの肩をゆすぶった。
「なんのために、苦労してお前を作ったかわかっているだろう! 『あれ』は生きた人間には触れられない……!」
「はい……あれを倒せるのは、同じ、人造人間、しか……」
グレアムが見たその光景を、エヴァンジェリンは見ていないから知らない。
けれど、彼が語るのを、何度も聞いていた。だから、見てきたようにわかる。
――卒業式を終えた、夏の夜のこと。祝賀のダンスパーティのあと、グレアムとココは二人寄り添って学園の庭で月を眺めていた。すでに婚約していた二人は、明日が来ることに何の疑いも抱かず、輝かしい未来の話をしていた。
その時だった。月の光が陰り、学園の後ろに広がる広大な森から、まがまがしい赤い光が漏れた。
その不吉な光景に、グレアムは思わず立ち上がった。
「何かしら?」
「わからないが……遺跡の方だ。立ち入り禁止の」
その時、固く閉ざされたいたはずの遺跡の扉が、内側から開いていた。
そこから出てきたのは――小さな一体の、人間のような形をした生き物。全身に呪術の入れ墨が入れられている恐ろしい姿のそれは、真っ赤な光を発しながらこの学園へとやってきた。よたよたと歩くその姿は明らかに異様で、それでいて哀れだった。
不気味に近づいてくるそれを見て、庭にいたココは駆け寄った。
「あなた、誰? 呪いにかかってしまった? 大丈夫、私がなんとかしてあげる――」
相手を人間だと思って疑わないココが、手を伸ばす。
相手がココを見上げる。びっしりと入れ墨に覆われたその顔は、どこに目鼻があるかもわからない。けれどにいっと口が開かれて、ココに向かって笑ったのがわかった。
「ひっ……!」
ココが短い悲鳴を上げて凍り付く。
グレアムはぞっとした。
「逃げろ、ココ、危険だ――!」
『それ』とココの手が触れる。その瞬間、赤い光が満ち――ココは倒れた。
「ココ! お前――ココに何をした!」
ココがゆらりと立ち上がる。その顔はもう、グレアムの知っているココではなかった。
――彼女の顔もまた、呪術の入れ墨で埋め尽くされていた。
「なん……だと…‥!」
だらり、とその頭が垂れさがる。おぼつかない足取りで、よた、よた、とグレアムに向かってココが歩いてくる。
もう、ココは死んでいた。死んでその体を、『それ』の呪いに乗っ取られてしまった。
幼いころより魔術に精通してきたグレアムは、一瞬でそれがわかってしまった。
「ココ……ココ……!」
受け入れられない、彼女を助けなければ。という思いと、早く離れて、この学園から皆を避難させなければという思いで板挟みになる。
「くっ……ココ、必ず助ける……!」
しかしグレアムは、トールギス家の長男であった。上に立つ者は、下の者を守る責務がある。北寮の皆を、そして学園の皆を――危険にさらすわけにはいかない。
グレアムは学園を封鎖し、皆を避難させんと教師と共に動いた。
しかし、ココと『それ』の方が早かった。彼らは学園内に音もなく入りこみ、次々と生徒に呪いを移していった。『それ』は、魔術を使うことはできないようだが、ものすごい怪力を有しており、物理的に呪いや攻撃を跳ね返していった。
生徒や教師たちは、その力の前になすすべもなく倒れていく。
あっという間に、校内は赤い呪いだらけになった。
阿鼻叫喚のそのさなか、最後、北寮に立てこもっていた生徒たちも赤い呪いに染まったとき――グレアムは呪いの本尊、遺跡へと走った。
(どうにか、この呪いを解除できないものか……!)
その手がかりがあるとすれば、あの遺跡の中だ。開いた扉を見て、グレアムは禁忌であることも自分の命もかえりみず、その中に飛び込んだ。
最奥の地下室で、グレアムは赤い字で記された古文書を見つけた。
指さきに光をともし、グレアムは必死で古代の文字を読んだ。
「そうか……そうか、あの入れ墨の物体は、『ホムンクルス』だったのか……! でもなんで、そんな古代の遺物が、今俺たちの学園で巨大な呪いをまきちらして……?」
グレアムは古文書の先を読もうとしたが、そこまでだった。
赤い光が、背後から近寄ってくる。
「くそ……ここまで、もうきたか」
暗い玄室を赤い光で満たしながら、一歩、一歩とそれが近寄ってくる。グレアムは覚悟を決め、杖を構えた。
「……ただでやられてなるものか」
たとえ自分も呪いにかかるとしても、この物体の息の根を止めてやる。そうしないと。
(この学園外の、他の人たちにも被害が……!)
古代のホムンクルスを今こうして動かしているのは、奇跡の物質、『パラモデア』に違いない。
(それさえ破壊すれば――こいつは、止まる!)
グレアムは決死の覚悟で、魔術を放って『それ』を見えない縄で縛りつけた。
『それ』は、床に転がり、逃れようとバタバタと不器用に足を動かした。
「よこせ――お前の、パラモデアを!」
グレアムは胸部を破壊した。するとその奥に、まぶしい何かが埋まっていた。
(これが、誰も見たことのないというパラモデア……!)
破壊しなければ。そう杖を振り上げたその時。
むくりと『それ』は起き上がり、グレアムへと襲い掛かった。杖が吹き飛ばされ、暗闇に転がる。
(まずい……! 力技で、はやくも縛りを解いたのか!)
もう、回避はままならない。それならば。
(遠隔じゃない、素手で破壊してやる! 死んだって――かまわない!)
ガッ、とグレアムは白く輝く塊を掴んで、破壊せんと魔術を発動した。その瞬間。
にぃ、と人造人間が再び笑ったのがわかった。
その顔からぽた、ぽた、と生暖かいよだれが落ち、グレアムの手にあたる。
食われる。とっさにグレアムはそう感じた。が。
(負けてなるものか―――ッ!)
手に激痛が走るなか、グレアムは思った。
どうしてこんな事になってしまったんだろう。
やり直せるものなら、最初からやり直して皆を助けたい。
(ココ……アレックス……それに、学園の皆……くそ、くそ、くそお……っ!)
しかし、ココも、生徒たちも、皆が死んだ。
誰も救えなかった。
(だから……だからせめて、ここでこいつを、止めないと……ッ!)
この手が、自分の命が、ダメになってもかまわない。
「うわぁ――――ッ!!!」
しかしその時、グレアムの身体に衝撃が走って、何もわからなくなった。