バノフィーパイ、というもの
アレックスは詰まった。
いつも、腹減った! なんか食ってこうぜ! と友人には声をかけていた。
しかしこういう時、女の子に対してなんといえばいいのだろう。
「ええと……そう、暖炉、当たっていかない? ここ、バノフィーパイが美味いって……」
なんだか歯切れが悪くなってしまった。
「ばのふぃーパイ? それはなんでしょう」
「えっ……バナナをのせて焼いたパイだよ」
まさか知らないとは。アレックスは力説した。
「すごく甘くて美味しいって……ココが!」
ココの名前を出すと、エヴァンジェリンの硬い表情が少し緩む。
「ココさんが。そうなんですね」
エヴァンジェリンはちらりとカフェを見た。ウインドウ越しの店内は、ランプと暖炉のオレンジの明かりで満ちていて、いかにも暖かそうだった。
「興味深いですが……でも、早く帰らないといけないし、それに、先ほどのお買い物で、もう持ち合わせがないんです。ごめんなさい」
ほんの少し残念そうに(というのはアレックスの願望かもしれないが)彼女は言った。
アレックスは満面の笑みで言った。
「もちろん、俺のおごりだよ! だからどうかな?」
「でも……そんな、悪いので」
「悪くなんてないよ。だってココの風邪のために買い物してもらったわけだし……ね?
なんでも好きなもん、頼んでよ。このカフェ、ココアもおいしかったよ」
アレックスは粘った。
「時間が気になるなら、さっと食べて、さっと帰ればいいし、雪が積もったら俺が君を背負って歩くよ」
(不思議だな……寮の連中と一緒に来るときは、いつも当たり前のようにワリカンだったけど)
エヴァンジェリンが相手だと、自然とそう口に出していた。
いくらだって出したい。一緒にいる時間が延びるなら――。そんな気持ちだ。
「で、でも……」
「だめ?」
最後の一おしでじっと見つめると、とうとう彼女はうなずいた。
「わかりました……少しだけ」
「やった! じゃ、行こうか!」
少し強引だったかな……と思いつつ、アレックスは意気揚々とカフェのドアを開けて、彼女を通した。
暖炉のすぐ前の席に通された二人は、荷物を置いて座った。
「ほら、メニュー。食べたいものある?」
手書きのメニュー表を差し出すと、彼女は戸惑うようにそれを受け取った。
「すみません……」
彼女はじっとメニューの目を落とした。
あかあかと燃える暖炉の炎が、彼女の横顔を柔らかく照らす。
(あ……なんか、キラキラしてる)
彼女の髪に降った雪のかけらが溶けて、その水滴が、まるで妖精の粉を振りかけたように輝いていた。
その光景に、目を奪われる。
(あー……キレイ、だな)
今まで見た、どんな女の子よりも。
柄にもなく、そんなことを口に出しそうになってしまう。
しかしぐっと我慢する。
「えーっと、俺はエッグノッグとミートパイにしよっかな。あとポテト。ハダリーさんは、決まった?」
「ええと……ええと」
彼女はメニューをきゅっと握って、迷うようにじっと見ている。
その顔は、今まで見た中で一番真剣だった。
(ええ……なんか、意外だ。ハダリーさんが、こんな事で真剣になるなんて)
孤高のお姫様、というイメージとの落差に、なんだか胸がぐっと熱くなる。
思わず胸を押さえたくなる感じだ。
彼女は迷いに迷って決めた。
「それなら、あの、バノフィーパイ、というものを食べてみたいです」
「もちろん。飲み物は?」
「ええと……では……紅茶をいただければ」
見守るかのようにニコニコしたウエイトレスに注文を済ませ、ほどなくして例のパイが運ばれてきた。
エヴァンジェリンの目の前に、コトリと皿がおかれる。三角形のパイの上には、敷き詰められた輪切りのバナナと、まるで氷山のようにこんもり盛られたホイップクリームの山が建設されていた。白い山頂には、お約束のように銀のアラザンが数粒散っている。
その一皿を前にして、エヴァンジェリンは目をぱちくりとさせながら、優雅にさくっ、とパイにスプーンを入れた。
「いただきます……」
「どうぞどうぞ」
アレックスが見守る中、まるで実験薬の試食をするようにおずおずと、エヴァンジェリンがスプーンを口に運んだ。
そしてなぜか――目を見開いて、動きを完全に止めた。
まるでフレーメン反応を起こした猫のようだった。
「え、どうした、大丈夫?」
心配になったアレックスは思わず声をかけた。が。
「ん…………っ」
エヴァンジェリンは目を見開いたまま、スプーンをお皿に戻した。
「平気? 口に合わなかったとか?」
「いえ……違います」
彼女は数秒間目を閉じて、たっぷり時間を取ったあと――言った。
「こんなにおいしいものが……存在、していたんですね」
「……え?」
もう一口食べて、彼女はまた目を閉じた。
「バナナだけでも甘いのに――練乳を煮詰めた土台と、このクリームが一緒になって……口の……口の中が、とても甘くてたっぷりしていて……これが……」
そう言う彼女の顔が、ほわんととろけたような笑顔になる。
アレックスの目が、思わず釘付けになる。
「これが……バノフィーパイ……夢みたいに甘いですね……」
彼女はひとかけらも残さずバノフィーパイを口に収めて、最後優雅に紅茶を一口飲み、アレックスに向かって頭を下げた。
「堪能いたしました。大変ありがとうございました」
(いやいやいや……そこまで美味しい⁉)
たしかにココは有名だとは言っていたが、所詮小さな町の、ありふれたバノフィーパイだ。どこの町のカフェへ行ったって、似たようなものが出てくるだろう。
しかし、エヴァンジェリンは本心からそう言ったようだった。
(まぁ、喜んでくれたなら、それに越したことはないんだけどさ……!)
アレックスはあっけにとられながらも、くすっと笑った。
エヴァンジェリンを喜ばせることができて、嬉しかった。
「気に入ったんなら、よかった」
「はい。とてもおいしかったです。とてもです」
念を押すように言う。
「なら、その、また食べにこようよ」




