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悪役令嬢エヴァンジェリンは静かに死にたい  作者: 小達出みかん


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24/65

バノフィーパイ、というもの

 アレックスは詰まった。

 いつも、腹減った! なんか食ってこうぜ! と友人には声をかけていた。

 しかしこういう時、女の子に対してなんといえばいいのだろう。


「ええと……そう、暖炉、当たっていかない? ここ、バノフィーパイが美味いって……」


 なんだか歯切れが悪くなってしまった。


「ばのふぃーパイ? それはなんでしょう」


「えっ……バナナをのせて焼いたパイだよ」


 まさか知らないとは。アレックスは力説した。


「すごく甘くて美味しいって……ココが!」


 ココの名前を出すと、エヴァンジェリンの硬い表情が少し緩む。


「ココさんが。そうなんですね」


 エヴァンジェリンはちらりとカフェを見た。ウインドウ越しの店内は、ランプと暖炉のオレンジの明かりで満ちていて、いかにも暖かそうだった。

 

「興味深いですが……でも、早く帰らないといけないし、それに、先ほどのお買い物で、もう持ち合わせがないんです。ごめんなさい」


 ほんの少し残念そうに(というのはアレックスの願望かもしれないが)彼女は言った。

 アレックスは満面の笑みで言った。


「もちろん、俺のおごりだよ! だからどうかな?」


「でも……そんな、悪いので」


「悪くなんてないよ。だってココの風邪のために買い物してもらったわけだし……ね? 

なんでも好きなもん、頼んでよ。このカフェ、ココアもおいしかったよ」


 アレックスは粘った。


「時間が気になるなら、さっと食べて、さっと帰ればいいし、雪が積もったら俺が君を背負って歩くよ」


(不思議だな……寮の連中と一緒に来るときは、いつも当たり前のようにワリカンだったけど)


 エヴァンジェリンが相手だと、自然とそう口に出していた。

 いくらだって出したい。一緒にいる時間が延びるなら――。そんな気持ちだ。


「で、でも……」


「だめ?」


 最後の一おしでじっと見つめると、とうとう彼女はうなずいた。


「わかりました……少しだけ」


「やった! じゃ、行こうか!」


 少し強引だったかな……と思いつつ、アレックスは意気揚々とカフェのドアを開けて、彼女を通した。

 

 暖炉のすぐ前の席に通された二人は、荷物を置いて座った。


「ほら、メニュー。食べたいものある?」


 手書きのメニュー表を差し出すと、彼女は戸惑うようにそれを受け取った。


「すみません……」


 彼女はじっとメニューの目を落とした。

 あかあかと燃える暖炉の炎が、彼女の横顔を柔らかく照らす。


(あ……なんか、キラキラしてる)


 彼女の髪に降った雪のかけらが溶けて、その水滴が、まるで妖精の粉を振りかけたように輝いていた。

 その光景に、目を奪われる。


(あー……キレイ、だな)


 今まで見た、どんな女の子よりも。

 柄にもなく、そんなことを口に出しそうになってしまう。

 しかしぐっと我慢する。


「えーっと、俺はエッグノッグとミートパイにしよっかな。あとポテト。ハダリーさんは、決まった?」 


「ええと……ええと」


 彼女はメニューをきゅっと握って、迷うようにじっと見ている。

 その顔は、今まで見た中で一番真剣だった。

 

(ええ……なんか、意外だ。ハダリーさんが、こんな事で真剣になるなんて)


 孤高のお姫様、というイメージとの落差に、なんだか胸がぐっと熱くなる。

 思わず胸を押さえたくなる感じだ。

 彼女は迷いに迷って決めた。


「それなら、あの、バノフィーパイ、というものを食べてみたいです」


「もちろん。飲み物は?」


「ええと……では……紅茶をいただければ」


 見守るかのようにニコニコしたウエイトレスに注文を済ませ、ほどなくして例のパイが運ばれてきた。


 エヴァンジェリンの目の前に、コトリと皿がおかれる。三角形のパイの上には、敷き詰められた輪切りのバナナと、まるで氷山のようにこんもり盛られたホイップクリームの山が建設されていた。白い山頂には、お約束のように銀のアラザンが数粒散っている。

 その一皿を前にして、エヴァンジェリンは目をぱちくりとさせながら、優雅にさくっ、とパイにスプーンを入れた。


「いただきます……」


「どうぞどうぞ」


 アレックスが見守る中、まるで実験薬の試食をするようにおずおずと、エヴァンジェリンがスプーンを口に運んだ。


 そしてなぜか――目を見開いて、動きを完全に止めた。

 まるでフレーメン反応を起こした猫のようだった。


「え、どうした、大丈夫?」


 心配になったアレックスは思わず声をかけた。が。


「ん…………っ」


 エヴァンジェリンは目を見開いたまま、スプーンをお皿に戻した。


「平気? 口に合わなかったとか?」


「いえ……違います」


 彼女は数秒間目を閉じて、たっぷり時間を取ったあと――言った。


「こんなにおいしいものが……存在、していたんですね」


「……え?」


 もう一口食べて、彼女はまた目を閉じた。


「バナナだけでも甘いのに――練乳を煮詰めた土台と、このクリームが一緒になって……口の……口の中が、とても甘くてたっぷりしていて……これが……」


 そう言う彼女の顔が、ほわんととろけたような笑顔になる。

 アレックスの目が、思わず釘付けになる。


「これが……バノフィーパイ……夢みたいに甘いですね……」


 彼女はひとかけらも残さずバノフィーパイを口に収めて、最後優雅に紅茶を一口飲み、アレックスに向かって頭を下げた。


「堪能いたしました。大変ありがとうございました」


(いやいやいや……そこまで美味しい⁉)


 たしかにココは有名だとは言っていたが、所詮小さな町の、ありふれたバノフィーパイだ。どこの町のカフェへ行ったって、似たようなものが出てくるだろう。

 しかし、エヴァンジェリンは本心からそう言ったようだった。

 

(まぁ、喜んでくれたなら、それに越したことはないんだけどさ……!)


 アレックスはあっけにとられながらも、くすっと笑った。

 エヴァンジェリンを喜ばせることができて、嬉しかった。


「気に入ったんなら、よかった」


「はい。とてもおいしかったです。とてもです」


 念を押すように言う。


「なら、その、また食べにこようよ」


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