君、寒そうだね
そんな前の事を、ずっと気にしていたのか。
うつむきながら申し訳なさそうに言う彼女を見ると、なんだが胸が熱くなる。
(俺を怒鳴ったこと……ずっと気に病んでくれてたのか)
そんなこと、ちっとも気にしなくていいのに。
むしろ彼女に怒られて、自分は嬉しかったのだ。
「そんなこと、全然気にしてないよ。あやまらなくていいのに」
するとエヴァンジェリンはそっとアレックスを見上げた。
「私の事……怒っては、いませんか」
「ぜんっぜん!」
「そうですか、よかっ、た……」
するとエヴァンジェリンの目元が、ふっと安心したように緩んだ。
柔らかなその表情に、目を奪われる。
(こんな顔、するんだ)
アレックスの前では、いつもおびえているか、張り詰めた無表情のどちらかだったので、つい食い入るように見つめてしまう。
まるでそう、明け方の虹を目撃したときのように、貴重な光景だ。
しかしその視線に、エヴァンジェリンは困ったようにうつむく。
「な、なにか……私の顔についてますか」
その声が本当に困っていたので、アレックスはつい素直な心の声が出た。
「なんだろ……ハダリーさんが、自分の気持ちを言ってくれたの、なんか嬉しくて。つい、じっと見ちゃった」
くしゃっと笑うアレックスの顔を、エヴァンジェリンは相変わらず困ったような目で見上げていた。
ほどなく歩いて、二人は町中にあるお菓子屋さんにたどり着いた。
アイスボックスクッキーの看板を掲げたそのお店に一歩踏み入れると、焼き菓子とスパイスの甘い香りが二人を出迎えた。
ガラスケースにはパステルカラーのデコレーションケーキが並び、お店の棚には、ぎっしり焼き菓子が詰まったクッキージャーや、色とりどりの飴が入れられたキャンディ瓶が所せましと並んでいる。
どこの町にも一つはありそうな、ありふれたお菓子屋さんの光景だった。
「わあ……」
しかしエヴァンジェリンは、珍しそうにぱちぱち瞬きをしていた。
もしかして彼女は、こういったお店に来るのは初めてなのだろうか。
「ハダリーさんって、お菓子とか、あんまり食べないの?」
ココをはじめとする南寮の女子はたまに、体型を気にしてお菓子を断っていたりした。彼女もそのクチなのだろうか。
「そうですね。あまり食べたこと、ありません」
「甘いもの苦手?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
そう言いながら、エヴァンジェリンはすっと右端の棚を見上げた。キャンディ瓶のゾーンだ。熱心にラベルを読み上げている。
「キャンディの種類が豊富です。ラズベリーキャンディ、琥珀糖キャンディ、それに、バナナキャンディ……」
彼女の目線がふわっとした黄色いキャンディの前で止まった。
「バナナ好きなの?」
「えっ? 好き……?」
そこで彼女は言葉を途切れさせた。
そして、うん、と一回うなずいた。
「ええ、はい。そうですね。一番好きな食べ物です」
――よっしゃ。アレックスは心の中でガッツポーズをした。
自然な流れで、彼女の好きな食べ物を聞き出すことができた!
しかし彼女の目線は、バナナキャンディからジンジャーキャンディの一団に移っていた。
「オレンジジンジャー、ペッパージンジャー、シナモンジンジャー……」
真剣に、ひとつひとつラベルを吟味している。アレックスも探すのを手伝おうと棚に目を向けた。
「ん? ジンジャースノウキャンディ、何種類もあるな」
瓶たちを見つけて首をかしげたアレックスに、エヴァンジェリンが説明する。
「ジンジャースノウキャンディは、産地や濃度によって種類が違ってくるんです」
エヴァンジェリンは背伸びして、その中の瓶を一つ取った。
「おすすめなのは、このアイスフロー産の、濃度70%です。結構辛いのですが……ココさんは、辛いものは大丈夫でしょうか?」
やや心配そうに、エヴァンジェリンがアレックスを見上げる。
「たぶん平気だと思うけど」
自分も彼女も、いただきものはありがたく平らげるタチだ。
「なら、こちらにします」
小さくうなずいて、エヴァンジェリンはさっと店員のもとへと向かった。
「お決まりですか?」
「はい。こちらのキャンディを」
「何グラムにいたしますか? 風邪用でしたら、スノウジンジャーシロップもおすすめですが」
エヴァンジェリンは、ケープのかくしからずしりとした巾着を取り出した。
「どちらもください。これで買えるだけの分を」
ポケットから財布を取り出しかけていたアレックスは驚いて目をむいた。
(えぇ!? す、すげぇ。大人買いならぬ、お嬢様買い……!?)
「はい、お包みしますので、少々お待ちください」
「お願いします」
――かなり太っ腹な買い物の結果、アレックスはキャンディとシロップを山盛りに腕に下げて店を出ることになった。
「すみません、荷物、だいぶ持たせてしまって」
「いや、こっちこそごめん、ココのためにこんないっぱい」
するとエヴァンジェリンの表情が、今までで一番やわらかくなる。
「ココさんには、バナナのことでとてもお世話になったので」
「草の面倒見るのは、あいつの趣味みたいなもんだからさ。そんなにありがたがることもないよ?」
「それなら、いっそう感謝したいです。私ひとりでは、きっと木を枯らせていました。
私のバナナを育てても、ココさんには何の特にもならないのに、自作の肥料をくださったんです。貴重なものを……。だから、何かお礼がしたいと思っていたのです。いただいてばかりでは、申し訳ないので」
彼女がこんなに長くしゃべるのを、初めて聞いた気がする。
いつのまに、ココはこんなに彼女に信頼されていたのか。
さすがあいつ、という気持ちと、ちょっと面白くない気持ちがアレックスの中でまぜこぜになる。
「へぇ……そうなんだ」
それにしても、不思議だ。
エヴァンジェリンはグレアムの婚約者のはずなのに、グレアムを奪おうとしたココの事を好いているようだ。
もしかしたら……
(彼女、グレアム・トールギスの事、そんなに好きじゃないのかな⁉)
二人の関係がほんとうのところどうなのか、アレックスもココも謎に思っていた。
(グレアムの方はハダリーさんを邪険にしてるけど、ハダリーさんは従ってて……もし好きじゃないとしたら、なんで文句ひとつ言わずにしたがってるんだろう? 家の事情とか?)
きいてみたいけれど、さすがのアレックスもそんな突っ込んだことは口にできなかった。
(く~……なんだろうな、歯がゆい)
そう思いながら一歩踏み出したその時。
エヴァンジェリンが空を見上げた。
「あ……ふってきましたね。早く帰らないと」
ひら、と雪のひとひらが、エヴァンジェリンの差し出した手の上に落ちた。細く華奢なその指先は、じわりと紅くなっていて、見るからに寒そうだった。
「ハダリーさん、手袋してこなかったの?」
「手袋……薬学用のしかもっていなくて」
「えぇ⁉ こんな寒い場所で手袋もってないなんて……」
アレックスは驚いたが、エヴァンジェリンは首を振った。
「私にはあまり必要がないのです。 学園外に出ないので……」
そう言って、彼女は歩きだした。むき出しの手に、細い首に、スカートから伸びる華奢な足。
雪が降ってくると、彼女の後姿の何もかもが寒そうに見えた。
(み、見てるだけでなんか寒いぞ……!)
こんなに華奢な子を薄着で歩かせて、自分は手袋にマフラーにとぬくぬく重装備している事が、なんだか罪のように感じられる。
すると彼女は振り向いた。
「どうしましたか? あ、お荷物……重たいですよね。私、半分……」
「いや、それは大丈夫だけど。ハダリーさん寒くない?」
彼女がきょとんとする。
「え……そう、ですね。サンディさんは大丈夫ですか?」
「俺は着こんでるから……」
ちらりとアレックスはあたりを見回した。
すると、すぐそばの建物のカフェの看板が目に入った。
(あっ、ここ、前にココたちと入ったところだ)
ココはたしか、名物なのだとバノフィーパイを頼んでいた。
なんてちょうどいいのだろう。アレックスは、ちょっと勇気を出してみることにした。
「あ、あのさ。よかったら……」