エヴァンジェリン、怒る
しかし途中で、アレックスの手刀がさく裂し、彼の言葉は聞けずじまいだった。
「マシューてめっ、やめろ! ったく……」
頭をかきながら、アレックスがひとり集団を抜け、エヴァンジェリンの方までやってきた。
「ごめん。迷惑かけた。あとであいつら、きつく叱っとくから」
何を言われたのかまたしてもよくわからないエヴァンジェリンは、首を振った。
「いいえ、迷惑なんて、そんな事は」
少し話しかけられただけだ。暴力を振るわれたわけでも、罵倒されたわけでもない。
「それより、みなさんと一緒に行かなくて大丈夫ですか?」
さっさと歩いていく朱色の彼らは、時折ちらちらアレックスの様子をうかがっている。
「いーんだ。どうせいつもの昼練だし」
「ええと、クラブ活動……でしょうか」
この学園にはさまざまな課外活動のクラブがあるが、エヴァンジェリンはもちろん、どこにも属していない。
「そ。俺はメガ部の南寮選手」
少し誇らしそうに、アレックスが言う。
メガロボール。魔術をかけたボールで行う人気の競技だ。学内で対抗試合があるくらいだから、エヴァンジェリンも名前くらいは知っていた。
エヴァンジェリンを作る前のグレアムも――かつては北寮の選手だったらしい。
「そうですか。おつかれさまです」
そう言うと、アレックスは顔をぱっと明るくし、にかっと照れたように笑った。
「へへっ、ありがとう。俺、ここじゃ入ったばっかだけど、地元じゃそこそこ強かったんだ。次の試合、がんばるよ」
試合がどんなものかは見た事がないのでわからない。エヴァンジェリンはあいまいな笑顔でうなずいた。
「ハダリーさんは、誰かと待ち合わせ? 昼休みに、こんな場所で」
説明しようとしたその時、道のむこうから荷馬車がやってくるのが見えた。
「あ、あれを待っていたんです」
受け取り表にサインをし、代金を支払い、エヴァンジェリンは大きな苗木を受け取った。
「なにこれ?」
「バナナの木の、苗です」
答えながら、エヴァンジェリンはよいしょと鉢植えの部分を持ち上げた。
――けっこう、重たい。
「おっと、大丈夫?」
すかさずアレックスが鉢を支えてくれたので、エヴァンジェリンは転ばずに済んだ。
「はい。あの、でも大丈夫です。自分で運ぶので……」
無駄づかいになってしまうが、最悪魔術でもっていけばいい。そう思ったエヴァンジェリンは鉢を取り返そうとした。が――
「で、これどこに持っていけばいいの?」
軽々と鉢を持ち上げ、アレックスは歩き始めていた。
借り受けた温室は、一番奥の、今は誰も使用していないと思われる古い温室だった。
「へぇ~、こんなとこに入ったの、初めてだ。ここに下ろせばいい?」
中央の吹き抜けになっている部分に、アレックスは鉢を下ろした。
――屋根を突き抜けて、空いっぱいになるくらいこの苗が育つといいな。そんな事を思いながら、エヴァンジェリンはアレックスに頭を下げた。
「お忙しいところを、ありがとうございました。どうぞクラブ活動に戻ってください」
「植え付けまで手伝うよ。あっちの方は平気だから」
いや、こんな密室に2人きりはさすがに嫌だ。
――謝罪されたとはいえ、エヴァンジェリンはまだアレックスに対して苦手意識があった。
一言でいえば、怖いのだ。
「いえ、ここまでで。その……お申し出はありがたいですが」
言いにくいことを、エヴァンジェリンは勇気を出して言った。
「謝罪もしていただきましたし、重いものを運んでもらいました。私は十分にアレックスさんを許しています。なので、もう何もしていただかなくて、大丈夫です」
アレックスは何か言いたげだったが、やがて肩を落とした。
「そう……」
「はい。どうもありがとうございました」
エヴァンジェリンは温室の扉をあけ、彼にさりげなく退室を促した。
出て行く際に、アレックスは意を決したような顔で、ぱっとエヴァンジェリンを見た。
「あのさ、ハダリーさん!」
少し大きな声に、エヴァンジェリンはびくっと身をすくめた。
まだ彼は出て行っていないし、ここは奥まった温室で、通り掛かる人なんてそうそういない。
――いや、もし人通りがあったとしても、エヴァンジェリンを助けてくれる人などおそらくいないが。
そう思って、エヴァンジェリンは無意識に一歩下がり、魔力をすぐにでも使えるようにこっそり手のひらに力をこめた。
エヴァンジェリンの反応を見て、アレックスは少し驚いたような顔をしたあと、うつむいた。
「あ……ごめん、そっか……怖いよな、俺のこと」
「そ、そんな事は……」
「嘘つかなくても、いいよ。ごめん」
そう言って、彼はエヴァンジェリンに背を向けた。
「何もしなくて大丈夫、って……もう近づかないで、ってことか。そっか……。
もう……隣の席に座るのも、だめ?」
その声は、悲し気だった。
「え……」
「ハダリーさんの隣に座ったのはさ。謝罪とかじゃなくて……俺がしたいから、そうしてたんだ」
(どういうこと? この人もイーストさんみたいに、グレアム様を狙っているとか…?)
そう思って、エヴァンジェリンは警戒した。
「けど、君を怖がらせるのは俺も嫌だから。そうなら、やめるよ」
そのしょんぼりした声を聞いて、エヴァンジェリンの胸のなかに、もやもやとした気持ちが沸き起こる。
(な、なんでサンディさんのほうが、悲しがっているの? あなたに迷惑をかけられたのは、私のほうなのに……っ)
そうか、これが『怒り』なのか。気づいた時には、エヴァンジェリンはその気持ちを口に出していた。
「あなたは……何の目的があるんですか。私なんかに近づいて、同情心を誘って何を引き出すつもりですか」