予想外の謝罪
朝9時過ぎ。すっかり日が高くなってから、エヴァンジェリンは目を覚ました。
(あぁ……なんだか、だらだらしちゃった)
こんなに朝寝をする事は、めったにない。しかしそれでも、まだ身体は重たかった。少し微熱があるようだ。
もどかしい気持ちで、エヴァンジェリンはため息をついた。
(ああ……もっと強くならないと)
そうすれば、ディックにしてやられる事もなかったはずだ。
彼の呪いを解呪しきれなかったのも、彼に少し、心を傾けてしまっていた事も――どちらもエヴァンジェリンの弱さのせいだ。
(あの時は――グレアム様やみんなに責められた直後で、落ち込んでいて……)
だから、ディックが親身になってくれて、嬉しかった。もしあのまま何も知らずにディックと仲良くなっていたら、エヴァンジェリンはきっと利用されていたはずだ。
毛布の中で、エヴァンジェリンはぎゅっと拳をにぎりしめた。
(私の周りにいる人は――皆、私を利用しようとする人だけ)
誰も、信じる事なんてできない。誰も、エヴァンジェリンそのものを気にかけてくれる人なんていない。自分を作ったグレアム本人ですら、そうだ。
わかっていた事ではあるが、こうしてその事実が目の前に突き付けられてしまうと、やるせない気持ちになる。
(それでも……それでも私は、グレアム様の願いをかなえるために、頑張らなくっちゃ、いけない)
役目をまっとうするその日まで。
(起きて、授業に出なくちゃ)
授業から遅れれば、その分強くなる日は遠のく。
エヴァンジェリンは重いため息をついて、ベッドから出た。身体がふらりとよろける。
やっとの事でピィピィにバナナをあげる。具合の悪そうなエヴァンジェリンを見て、彼は心配そうに指に頬をこすりつけた。
「ありがとう、ピィピィ。私はだいじょうぶ」
そう言いつつ、なんとか自分の支度をし、寮の外へと出たその時。
「ハダリーさん。少し、いいかしら」
びくっと声をかけられて振り向いたら、そこには険しい顔つきのココが立っていた。後ろには、アレックスもいる。
(ココさん!? なんで……)
また、何か言われるのだろうか。でも、もう彼女は、エヴァンジェリンが嫌がらせの犯人ではないと知っているはずだ。
けれど――エヴァンジェリンが彼女にとって邪魔な存在であるという事は、変わらない。
(どうしよう……)
エヴァンジェリンの足がすくむ。勝手に肩が震える。みっともないと思いながらも、エヴァンジェリンは恐怖していた。
(また、責められるのかな……叩かれるの、かな)
グレアムはもちろんココの味方だし、前回囲まれた時に助けてくれたディックももういない。
(というか、イーストさんが私を助けたのは――利用するため、だったんだけど)
そう気が付いて、エヴァンジェリンは全てを諦めてうつむいた。
この世界に、エヴァンジェリンを助けてくれる人などいない。
歯向かう事も、戦う事も許されない。エヴァンジェリンはただ、与えられた役目をこなすしかないのだ。
(だから……ココさんが私に当たるのなら、アレックスさんが叩くのなら……受け入れてやりすごすしか、ない)
ふ、と小さなため息をついて、エヴァンジェリンは覚悟を決めた。さきほどエヴァンジェリンを心配してくれたピィピィの姿が、目の裏に浮かぶ。
(そうね――だれもいないわけじゃない。ピィピィが、私の帰りを待っている)
だから、なんとかこの一日を乗り切って、無事に帰らなければ。
大人しくしていれば、さすがのココもアレックスも、命を取りはしないだろう。
「サンディさん、なんの用でしょうか」
エヴァンジェリンが顔を上げたと同時に、ふわりとココの赤毛が宙を舞う。
「ハダリーさん、ごめんなさい……!」
ココが、ほぼ直角に頭を下げていた。
エヴァンジェリンは目をぱちくりした。
「よく確かめもせずに、あなたを犯人扱いして……私、昨日犯人がディックだってわかって、あなたにひどい事をしてしまったって……」
あまりに予想外の言葉をかけられて、エヴァンジェリンはかえって言葉が出なかった。
「え……あ、あの……」
思わず後ずさるエヴァンジェリンを見て、ココは傍らのアレックスの背中をはたいた。
「あんたも、ほら!」
アレックスはエヴァンジェリンの前に出て、勢いよく頭を下げた。
「疑って……ごめん! マジで……っ!」
大きな体がこちらに折れ曲がって、エヴァンジェリンは思わず一歩下がった。
「ひっ……」
さらに頭を上げた彼と、目が合う。鋭い目つきに大きな体に、エヴァンジェリンは無意識にびくっと肩を震えさせた。
ちょっと、こわい。
「い、いえ、いいんです、私はその、これで……」
逃げようとしたエヴァンジェリンの手を、ココが掴む。強い力だった。エヴァンジェリンは振り払いたかったが、ココに無体を働けば後でグレアムに何を言われるかわからない。ので、我慢した。
「待って! まだ話があるの」
「おい、ココ、離してやれよ、彼女怖がってる」
アレックスが間に入ると、ココはキッと目をつりあげた。
「怖がってるのはあんたの方でしょうが! こんなでかくて人相も悪いんだから! ほらもうあっちいって!」
「なっ……お前なぁ!」
二人が怒鳴り合う。廊下の先の先まで届くような大声だ。
(ど……どちらもっ……ちょっと怖い、です……!)
しかしそんなこと口にだせるはずもなく。
エヴァンジェリンはあたりを見回した。こんな所、グレアムに見られたらどうしよう。
「ごめんなさい、怖いわよね。ほらもうあんたはいいから、帰って!」
追い払われるようにして、アレックスはぷいっと姿を消した。
「あ、あの、はなしては、いただけないでしょうか……」
「あ、そうよね。強く握り過ぎちゃった……」
ココが手の力を緩める。エヴァンジェリンは少し落ち着きを取り戻して聞いた。
「お話とは、なんでしょうか」