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私は悪役令嬢


 幼いころに読んだ物語で、忘れられない話がある。


『ある所に、明るく頑張り屋の女の子がいました。女の子は素敵な王子様と出会い、恋に落ちました』


 誰もが一度は聞いたことのある、昔のお話。けれどそんなお話には、必ず出てくるものがある。


『ところが――王子様には、決められた婚約者の令嬢がいました。王子の事が好きな令嬢は、女の子にいじわるをして、恋の邪魔をします。が、王子様は最後、心の美しい女の子の方を結婚相手に選びます。そして二人は永遠に幸せにくらしました』


 めでたし、めでたし。この物語を読んだ時、小さいながらもエヴァンジェリンは気が付いた。


(この『悪役令嬢』って……私とおんなじ役目じゃない!?)


 そう、このお話は、エヴァンジェリンの物語ではない。

 主役は別にいるのだ。もうずっと、エヴァンジェリンが知らない昔から。

 だから、エヴァンジェリンはその瞬間から、分をわきまえる事にした。


(私は何も、望まない。王子様とヒロインが結ばれる邪魔なんてしないし、むしろ、応援しなくっちゃ……)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 それなのに、これはどうした事だろう。エヴァンジェリンは今、教室の真ん中で生徒たちの注目を浴びる中、クラスメイトの男子生徒、アレックスに頬を張られて床に倒れている。


「シラを切るのはやめろっ!ココのブレスレットを捨てたのはお前だろっ!」


 誰かに頬をひっぱたかれるなんて初めてだ。エヴァンジェリンは驚いて蒼白になりながら、身体を起そうと手に力を入れるが、腕がこわばってうまく起き上がれない。

 その無様な姿を見て、しらっとした冷たい空気が教室に流れる。

 本当なら味方であるはずのエヴァンジェリンの婚約者・グレアムは、ただただ無表情にエヴァンジェリンを見下ろしていた。その隣には、新しい恋人のココ・サンディがいる。


 ひそひそ声が、どこからか聞こえる。


(……自業自得よね、あんな事をしておいて)


(いつも澄まして優等生ぶってたけど――実は嫉妬深かったのね)


(婚約者をココに取られてヤケになったのかしら?)


(やぁね、ああいう人ほどキレたら怖いのよ……)


 エヴァンジェリンはそこでやっと状況を把握した。

 

(私が……グレアム様を取られた嫉妬で、ココさんに何かしたと思われているの……?)

 

 アレックスの握っているブレスレットは、ちぎれて無残な姿になってはいるが、たしかに見覚えがあった。グレアムの部屋に置いてあるのを見たからだ。


(そう、ココさんの目の色……緑色の宝石が繋がったブレスレット……綺麗だなぁって思ったから、覚えているわ)


 けれどもちろん、エヴァンジェリンは指一本もそれに触れてはいない。ただ少し、羨ましさを感じただけだ。


(それがなんで、私が壊したことになってるの……?)

 

 考え込むエヴァンジェリンの沈黙を無視と取ったのか、アレックスがさらに責める。


「困ったらだんまりか。アンタの今までの悪行は、全部バレてるからな。さすがに俺たちも、我慢の限界――。言っとくけど、この教室にアンタの味方なんていないからな!」


 そう言われて、エヴァンジェリンは思わずグレアムを見た。


(グレアム様……! 私、ココさんには何もしていません……!)


 しかし、傍らのココを抱き寄せるようにして、その目は冷ややかにエヴァンジェリンを見下ろしているだけだった。

 濡れ衣を庇うどころか――彼もエヴァンジェリンが、ココに嫌がらせをしていると信じているかのような顔つきだ。


(そんな……ココさんがそんな目に遭っているなんて、今初めて知ったのに。私は二人の邪魔をしようなんて……一度も思ったこと、ないのに)

 

 そう、エヴァンジェリンは昔から知っていた。自分は偽の婚約者で、グレアムの本当の想い人はココだという事を。

 だから学園にココが転入してきて、二人の仲が進展しはじめても、見て見ぬふりをつらぬいて、自分のすべきことに集中していた。

 

(グレアム様も……それだけは、知ってくれていると思っていたのに……)


 アレックスの平手打ちよりも何よりも、グレアムのその目線が辛かった。彼の隣のココは、憐れむような、蔑むような視線でエヴァンジェリンを見下ろしている。

 いや、ココだけじゃない。クラス中のそんな視線が、エヴァンジェリンに集まっていた。

 そして目の前のアレックスは、燃えるような赤毛は逆立たんばかりで、緑の目はらんらんと怒りに光っている。


(本当に、怒っているんだわ……この人はたしか、ココさんと同郷の、親友だったもの)


 ココもアレックスも、今年、5年次の初めに入学してきた転入組だ。遠い南の地方からやってきた二人だったが、明るくて人好きのする性格をしていて、あっという間にこのクラスになじみ、中心的な存在となった。

 ――1年次の最初から学園にいながら、いつもクラスの隅で勉強だけに精を出してきたエヴァンジェリンとは、正反対の二人だった。

 幼いころから自分の気持ちを口に出す事が苦手で、人と関わる事が下手なエヴァンジェリンが太刀打ちできる相手ではない。


(それでも――せめて、弁明しなきゃ)


 エヴァンジェリンは勇気を振り絞って、怒るアレックスを見上げた。

 大きな体の相手だ。手足は長く、全体的にがっちりしている体の上に、すごむ顔が乗っている。

 怖い。だけど。


「私……して、ません」


 すると緑色の彼の目が、不穏に歪んだ。


「は? 何をしてないって?」


「サンディさんのブレスレット……私は壊していません」


「じゃあ何? 金属の鎖が勝手に溶けてちぎれたってわけ? ココのミサンガも、カバンも、レポートも……勝手に破れたり捨てられたりしたって?」


 そんな事があったのか。まったく知らなかったエヴァンジェリンは驚いてそれを聞くばかりだった。

 黙っているエヴァンジェリンに、アレックスはぐちゃぐちゃになったレポート紙をエヴァンジェリンの前に突き付けた。


「これもあんたが書いたんだろ!?」


 ココの苦心の作であろう、レポート。魔法生物・ヌースの皮の活用方法がびっしりと記されたその用紙の上に、真っ赤なインクで無粋な字が躍っていた。


『卑しい牝牛は、田舎の牧場に帰ってヌースと寝てろ』


 エヴァンジェリンは絶句した。なんてひどい言葉だろう。紙を握るアレックスの手は、怒りに震えている。


「北の名門家系のあんたが、辺境から来た俺たちを見下すのはわかる。でも、言いたい事があるなら、直接言え。こんな卑怯な方法じゃなくて……!」


 紙をずいっと押し付けて、アレックスはエヴァンジェリンに迫った。


「言えよ! ココに不満があるなら、今ここで……っ!」


 張り詰めそうな沈黙の中、すべての視線がエヴァンジェリンに集まっている。

 怒りだけではない。そこには好奇心も含まれていた。


(みんな……私が彼女に対して怒ることを、期待しているのかしら……?『この泥棒猫!』って……?)


 でも、あいにくエヴァンジェリンはそんな事ちっとも思っていないのだ。

――いや、ほんのちょっとだけ、羨ましいと思った事はあるが。

 しかしそれは、憧れに近いような淡い気持ちで、決して嫉妬などという激しい気持ちではない。


(だから、ココさんがグレアム様を取ったなんて、そんなこと思った事もないわ。私はそもそもグレアム様に愛されるような存在じゃないって、よくわかっているんだから…)


 周囲の視線が痛い。そう思いながらも、エヴァンジェリンは無理やり立ち上がって軽く頭を下げた。


「……私はサンディさんの事をよく存じ上げませんし、不満などあるわけもありません。ですが……みなさんをお騒がせして、申し訳ありません」


 すると、アレックスは目を吊り上げてエヴァンジェリンを詰った。


「あんた、ちゃんと謝れよっ! ココにやったこと全部!」


 何を言っても、目の前の男子生徒は信じてなどくれないだろう。だけどエヴァンジェリンはふらつく足を踏ん張った。


(私、やってないもの……!)


 しかしその時。二人の間にほかならぬココが割って入った。


「アレク! もうやめて、もういいの」


「ココ! いいわけないだろう。俺たちの故郷までけなされて。ミサンガだって、ココの母さんが作ってくれた大事な――」


「いいの、やめて! 私にもわるいところがあるから……」


 ココは叫ぶように言ったあと、ちらりとエヴァンジェリンを振り向いた。冷たい目だった。


「……でも、もう物を壊すような事は、やめてほしいわ」


 そう言って、アレックスを振り切るようにココは教室から出ていった。彼女を追うように、グレアムも歩き出す。エヴァンジェリンの前を素通りしたその時、彼は低く鋭い声で言った。


「お前には失望した。今後の沙汰は後で通告する」


 ココとグレアムが出て行き、アレックスも舌打ちをしながら教室を出た。野次馬をしていたクラスメイトたちも、三々五々散っていく。

 エヴァンジェリンも必死で平静を装って、教室を後にした。



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