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第5話 似た者同士

 ───2年前。



 その日は酷い豪雨に見舞われていた。その中を純はスーツ姿で走って帰宅していた。この頃の純は、新社会人の身で就職していた。風も酷いあまり、傘なんてものは役には立たない。

 雨も風も、酷くなる一方で止む気配など到底無かった。


 その道中、歩道の真ん中で布切れ一枚だけ着て倒れている一人の女性を発見した。この豪雨の中で倒れているなんて、先ず想像するのは最悪の事態。足を滑らせて頭を強打、何か物が飛んで来たなどと頭の中をよぎる。


 急いで側まで駆け寄り安否を確認する。目立った外傷は無い。なら、身体に何かあったと仮定する。

 ともあれ救急車を呼ぶ。スマートフォンを取り出した時、ふと女性の顔が大きく目に入った。


 泥水で汚れているとはいえ、とても綺麗に手入れされた薄緑色の長髪。誰もが魅了する整った顔に、柔らかそうな唇。思わず──、


「綺麗…」


 と、一言小さく言葉を溢した。しかし、すぐさまハッとして我に帰る。今それを口にするのは少々場違い、不謹慎とも言える。頭を横に振って淫らな邪念を取り払う。


 またもふと気付く。女性の体から0と1の数字の羅列のデータが漏れ出ていた。あまりにも不思議な光景。だが見た事がある。同時に思い出した事もある。


 ──パーソナルAIサポートアンチウイルス。略してAIアンチウイルス。

 テレビや動画などで取り上げられてるくらい有名なもの。従来のアンチウイルスソフトウェアの機能に加え、独自の機能を持ち合わせている。

 共通するのはAIキャラクターの実体化。それ以外にも幾つかあるのだが、販売している会社や個人で製作している者もあり、個体差が生じる。中にはスーパーコンピュータと肩を並べる物も存在する、らしい。


 値段も張る高価なソフトウェアなんて、そう簡単に手が出せる代物でなければ、そもそもそんなものには微塵も興味を示していない。純は、今あるアンチウイルスソフトウェアでも充分と思っている。


 その為、この程度の知識しか持ち合わせておらず詳しい事はよく分かっていない。


 一つだけ分かる事があるとすれば、データの塊である彼女には救急車など無意味。誰のアンチウイルスソフトウェアか分からないが、一度家に連れて帰る必要がある。そう思い、純はその女性を抱き抱えて走り出す。


 これが、純とミドリの出会い。



 ////////



「さてと困ったものだ…」


 苦労の末、今住んでいる借家へと帰宅する事が出来たのだが酷い有り様。抱き抱えたものの、道中転んだりしてぐちょぐちょ。保護したアンチウイルスソフトウェアの女性は、テーブルの前に座ってジッとしていた。


 目の前で手を振っても、声を掛けても応答しない。瞳の中を覗けば光は無く、死んだ魚の目と例えるのが一番しっくりくる。

 最初こそ綺麗だと思っていたが、今は薄気味悪い。早いところ所有者を探したいがそんな暇は無い。純にも自分の時間というものがある。


 腕を組んで頭を悩ませながらも、同時に調理作業をしていたカレーが出来上がった。適当によそって目の前に出してあげた。


 視界には入っている筈なのだがこれでも無反応。まさかとは思うが、実体化しているとはいえAIアンチウイルスは現実世界の食べ物を摂取しないのか。いやそれはあり得ない。テレビとか観る限りでは、共に暮らす良きパートナーとして過ごしている映像が流れていた。勿論、そこには一緒に食事をしているシーンなども映っている。


 このままでは、折角作った料理が冷めて美味しさ半減となる。温かいうちに食べて貰おうと、純が自分でスプーンを手に取って食べさせる事にする。

 これでもかと言わんばかりに、口元に近付けたのだが瞳が揺れさえしない。もしかして好き嫌いがあるのかも知れない。しかし、何か反応を示さないと此方も対処のしようが無い。


 少々強引ではあるが、口の中へと突っ込む事を選んだ。


「ほら、食べるんだ。一口でも」


 この強引なやり方でようやく口にしてくれた。流石に口の中に入ったら動かすしかなく、観念してくれて小さく、ゆっくりとだが食べてくれている。


 ちゃんと食べている事を確認して、またスプーンですくって食べさせようとした時だった。手に一粒の雫が零れ落ちた。スプーンから顔へと視線を移すと、彼女の瞳から涙が溢れ出ていた。それだけではない。ちゃんと光も戻っており、力強さがある。


 それを見て一安心し、純はペースを合わせてゆっくりと食べさせ続ける。


 それから暫くして、よそった分は完食し、気持ちも落ち着いたのかもう涙は溢れていない。この場が少し慣れてきたのか、やっと純の方を見てくれて口を動かしてくれた。


「あの、ありがとうございます…」


「困った時はお互い様だ。それこそ、パーソナルAIサポートアンチウイルスなら知っているだろ?」


 和かに笑う純の顔を見て、思わず彼女も笑みを浮かべる。


「自己紹介がまだでしたね。私はミドリと申し上げます」


 言われるまで気付かなかったが、そういえばまだ自己紹介が済んでいなかった。わざと言葉を溜めてから爽やかに挨拶を返す。


「俺は緑谷純だ。宜しく」


「えっ、緑谷 純?貴方が…」


 純の名前を聞いてミドリは顎に手を当てて考えつつ、何か一人でぶつぶつと呟いている。何か変な事でも言ったのだろうか。それとも、そこまで考え込む程に珍しい名前なのだろうか。確かに『緑谷』の苗字はあまり聞かない。

 いずれにせよ、大なり小なり興味を持ってくれてはいる。


 考えが纏まったのか、ミドリは真剣に純にへと視線を向ける。ちょっと怖いくらい。


 意を決した様子で、ミドリは純にあるお願いをする。


「純さん、どうか貴方だけのパーソナルAIサポートアンチウイルスとしてお側に置いて頂けないでしょうか?」


 突然の事で純は素っ頓狂な顔をする。「この子は急に何を言い出すのか」と、そんな疑問が頭の中に真っ先に浮かび上がる。その次に頭に思い浮かんだ言葉は「これが最近のナンパ」なのかと逆ナンの発想までに至っている。

 なんて言葉を飲み込んで、一番疑問に思っていた事を先に口にした。


「でも君には、買ってくれたか若しくは作った親的な存在が居るんじゃないのか?」


 そう、その答えに行き着く。どんなに優秀なAIアンチウイルスでも、必ず所有者がいるのだ。付け加え、管理権限を放棄しなければ、次の所有者との契約も不可能なのだ。


「あの方は、緑谷純という方に頼れば良いと仰っていました。家族や友達より、私を上手く扱ってくれると。それに…」


「それに?」


「──私のパートナーであるバディは他界しました」


 聞いて心がキュッ締め付けられる感覚がした。いくらデータの塊だといえど、パーソナルAIサポートアンチウイルスにも心はちゃんとあるのだ。そこに気付けなかった自分の配慮の無さに情けないと思う。


「俺も少し前に、幼馴染がこの世を去ったんだ」


 これは同情だ。つい、自分にも悲しい事があった事を引き出した。こういうやり方はよろしくないが、少しでも同じ境遇の人が居れば傷付いた心は和らいでくれると信じた。


 お互いに気不味い空気となって静寂となるも、先にこの空気を壊したのはミドリの方からだった。


「私達、似た者同士ですね」


 同情話からだったが、少しは距離が縮まったのを実感した。純も少なからずそう思った。だからかなのか、気持ちにも余裕が生まれてミドリの提案に答えを出す事が出来た。


「俺の側で良ければいくらでも良いよ」


「えっ、本当ですか?」


 聞き返すミドリに、小さく頷いて自分の側に居ることを許可した。今の自分に何が出来るかは分からないが、それでも目の前に居る女の子を見捨てる事なんて出来やしない。優しくしてあげなければと思っただけ。


「今日はもう寝よう。色々あって疲れただろう?」


「はい。それでは私は…スマートフォンの中に暫くお邪魔します」


 明日は丁度仕事はお休み。考えるのは全部明日の自分に任せて、今はこの疲れた体を休ませようと夢の中へと落ちて行く。



 ////////



 時間は回りに回って朝を迎えた。窓から朝日が差し込む光に、機嫌悪く唸りながらも脳を叩き起こしながら体を起き上がらせる。

 気のせいか、耳や鼻に料理をしているだろう音と香りがする。家に居るのは純だけの筈。「だとしたら誰だ?」という疑問が浮かび上がる。

 寝惚けた目を擦りながら台所の方へ視線を向けると、ミドリが立っていた。視線に気付いたミドリが、振り返って挨拶を交わす。


「おはようございます純さん」


「お、おはよう。何やってる?」


 一目見れば分かる事なのだが、それでも聞きたかった。


「朝食はもうすぐ出来ますので、少々お待ち下さい。その間に、着替えやお顔など洗って来てはどうでしょうか?」


 どもりながらも、ミドリの言う様に何もする事は無い為、テクテクと洗面所の方へ歩き出す。バシャバシャと顔に水を掛けて目を覚ましながら、ここまでやってくれる義理を考える。確かに昨日の夜、彼女を拾っては自分の元に置きはした。しかし、ちゃんと契約はしておらずパートナーであるバディにはなってはいない。

 簡単に考えれば、昨日の事を含めてのお返しなのだろうと考える。


 タオルで顔を拭いて、リビングへ戻るとご丁寧に着替えが綺麗に畳まれており準備されていた。

 何ともまあ手際が良いと褒めたいところだが、そもそもどうやって着替えの場所を知ったのかを知りたい。一つ一つ棚を調べたのか、世の噂に聞く女の勘なのか。どちらにしろ、想像するだけで恐ろしい。これ以上は何も考えないようにした。


「純さん、朝食の準備が整いました」


 テーブルに出されたのは白ご飯、味噌汁、キャベツにキュウリを添えて、ごくありふれたものが出てきた。新社会人となって間もない上、お昼のお弁当を作るのに時間を必要としていた為、ちゃんとした朝食を取るのは久し振りだ。


 手を合わせ、いただきますの後にゆっくりと口の中に運ぶ。味は何とも普通だ。スーパーで買ってきたお米、インスタントの味噌汁、それに適当に買ってきたやつがそのまま放り込まれてたキャベツとキュウリなのだ。欲を言えば卵が欲しい。しかし、冷蔵庫の中には卵は無い。


 15分もしたら完食し、手を合わせて一言「ごちそうさま」と。それを見計らって、ミドリは食器を即座に下げる。

 時計を見るとまだ8時を回ったばかり。用意されていた服に着替え、洗濯機へ放り込もうした。なのだが、ミドリがパジャマを横取りして洗濯機へとそそくさ歩き出した。


 呆気に取られたが、我に返って洗濯機の前に歩いて行くと昨日の衣類も含めてもう洗濯し始めたのだ。


 まただ。また、場所を教えた事ない筈の洗剤を勝手に取り出しては使っている。ここまで来ると気味が悪い。


「お、おい。何で君が、俺ん家のあれこれ知っているんだ?」


「純さんが起床する前に、この家の全てを拝見させて貰いました」


「あ、コイツは相当ヤバい」そう直感した。

 パーソナルAIサポートアンチウイルスっていうのは、性格も含めて全て予めプログラムされている。それに沿って人格が反映される。恐らくだが、ミドリを製作した誰かは極端に世話好きな性格にしたのだろう。


 だが、それはそれでとても怖い。軽い世話好きなら良いが、ここまで好き勝手に家の中を歩かれてはプライバシーもへったくれもない。


「干してある洗濯物を取り込みますね」


「あ、おい!俺、今から出掛けるからな!」


 純はそれを言うと荷物を持って、バイクで何処かへと出掛けた。

 ミドリは見送った後、家中を歩き回るのであった。掃除に整理整頓、洗い終えた洗濯物を干したりと、テキパキと動いて身の周りを綺麗にしていた。


 やる事を全て終えたミドリは、リビングで静かに純の帰りを座して待っていた。時計の針が動く音だけが聴こえ、ミドリは只々黄昏ていた。


 何もせずにジッと座っているだけで時間は流れ、あっという間に11時を回った。それでも尚、純が戻って来る気配は無い。


 そんな時だった。ふと、部屋の隅に設置してあるデスクトップパソコンに目がいく。勝手ながらパソコンを起動させた。パスワードも設定されていたが、ミドリに掛かれば最も容易く突破出来る。

 開かれたデスクトップは、特にこれといったアプリケーションも無ければファイルも無い。加えてストレージ容量も全然減っておらず、殆ど新品と変わらない状態。


 最近買ったものだろう。特に気になる点があるとすれば、このデスクトップパソコンにアンチウイルスソフトウェアが入っていないのだ。


 これではマルウェアに簡単に感染し、情報漏洩にも繋がる。AIアンチウイルスっという自分が目の前に居て、その様な事態が起きてはプライドが許さない。


 パソコンに手を置いて自分の体をデータ化して、電脳世界へと潜り込んだ。


 スタッと、降り立った場所は何の変哲も無い場所。ミドリは目を閉じて、内臓されているウイルススキャンを使ってマルウェアの検出を開始した。


 数分して目を開ける頃には、ウイルススキャンを終わらせていた。やはりというべきか、マルウェアに侵入されて感染していた。幸いな事に、検知したマルウェアは《ウイルス》。


 《ウイルス》は、大まかな形としてはワームと同じだ。自己増殖を行なって感染しては、一部のプログラムを改善してしまう。ワームと違って全体的にプログラムが同じである。更に宿主が必要な為、分身が自由に動けてもそれを作り出す大元は何処かで感染し、動けない点もある。


 宿主さえ駆除すれば、増殖したウイルスは活動を停止して進行を食い止められる。


 検知された場所まで歩いた先には、ご覧の通りウイルスが空間内に蔓延していた。


 約3メートル程の大きい丸い球体で、ウイルスの画像でよく見るスパイクと呼ばれるものを、体から生やして浮遊している。他のプログラムにも侵食し始めているが、早期発見により思いの外酷くはなかった。


 布切れ一枚だけ着ており、武器らしいものは無い。あるとするなら己の肉体のみ。武器が無くとも駆除なら何ともないが、サポートすらないとなると少々厳しい。


 それでも放置は出来ないし、対処するしかない。


「新品のパソコンなのにどうしてこうも…」


 悠長して独り言を喋ってるミドリに、ウイルスが外敵であるミドリを発見しゆっくりと近付いて来る。

 呑気にするのもここまでだ。


 ウイルスは、己のデータを一点に集中させて相手を破壊する為だけのプログラムとして光弾を放った。


 ──この程度…いえ、駄目!


 こちらも同じ方法で、拳に乗せて攻撃しようとしたのだがミドリはそれを中断した。選んだのは回避。

 バディがいない今、もし迂闊に手を出してそれが新種のウイルスだったら最悪の場合、自分が倒されて消滅してしまう恐れがある。相手の分析・解析はもう一人のパートナーの役目。お互いにお互いが助け合わなければならない。だからこそ、バディハッカーズは人間とパーソナルAIサポートアンチウイルスの二人一組の制度が義務付けられているのだ。


 その片方を欠けているミドリは、慎重に駆除をしなければならない。


 今回は、相手がウイルスなのが不幸中の幸い。大元となっている核をどうにかすれば全て停止するのだから、当然狙いはそれしかない。


 不必要な戦闘は避け、ただ目の目を突っ走る事だけを考える。どうせウイルスの被害と言えば、プログラムの改善などの程度。後で修復なりすれば何とかなるレベルの話。


 浮遊するウイルスを足場などにして跳び越え、態勢を低くして地面を滑って掻い潜ったりなど核の場所まで最短ルートで進み続ける。


 進めば進むほどにウイルスの数が増えている。察するに、自己増殖をしている核に近付いて来ている。次の場所へと行く為の扉を蹴破って、移動するとどうやらお目当ての場所へと辿り着いた。


 この広い空間内のど真ん中で、今までのウイルスより約五倍近くの大きさを誇るウイルスが、壁や地面にスパイクが張り付いて根を張っていた。


 正直言って無理と確信した。明らかに一人で手に負える相手ではない。パートナーであるバディの力が必要だ。

 一度撤退して、純にでも頼ろうと一歩下がろうとしたがそれを止めた。純ではどうにも出来ないと判断したからだ。


 答えは明確だ。新品同様のパソコンにマルウェア対策を何一つしていない。それだけで彼への程度が知れる。

 もし、バディとして組んだとしよう。ウイルスを駆除しようものなら、ウイルス以上に身を危険に晒しかねない。そんなのは御免だ。データの塊であろうと、倒されたら消滅してまう。死んでしまうのだから。


 それならまだ今ここで、自分一人で駆除した方が生存率も高ければ駆除の成功率も高い。


 そもそもの話、純がしっかりとマルウェア対策を少しでもしていればこんな事にはならなかった。

 それを考えるだけで、ミドリは沸々と怒りが湧いて来る。


 ──この程度のマルウェア如きで、どうして私が身を危険に晒さないといけないのかしら。


 心の中で思うだけで、口に出てないのがまだ冷静さを残している証拠。


「チッ、失望しかありませんね」


 我慢していた不満が少し漏れてしまった。元バディが頼れと言われた彼に大きな希望を抱いていた分、その失望感もまた大きい。


 愚痴るのは後にして、目の前のウイルスを駆除しようと構えを取った時、空間内に一人の男性の声が響き渡った。


『お前何やって…いや、そんな事より早く戻って来い!』


 お出掛けから帰って来た純が、画面から様子を見て戻って来るように促した。素人目でも分かる不利な状況。

 普通のバディハッカーズなら、一度立て直すのがセオリーだが、ミドリはその逆で噛み付く。


「お断りします。私は、私の仕事をやるまでです」


『お断りしますって、何か策でもあるのか?』


「無いに決まっているではありませんか」


 それを聞いて、ますます純は口を出す。


『馬鹿な意地張ってないで戻って来い。ちゃんとしたデータが無い上、策も無いのにどうやって勝つつもりだ?』


 などと、横からあれこれやと言いたい放題する純にとうとう我慢の限界が達した。


 ミドリは電脳世界から現実世界へと帰って、純へと睨み付ける。


「うるさくて敵いません。何故、邪魔をするのですか?」


「うるさくて結構だ。死ぬつもりか?さっきも言った通り万全じゃないんだ。例えるなら自動車だ。燃料無しでは走らないだろ?今のお前はただの鉄の塊だ」


「そもそものお話、純さんがちゃんとしていれば私も無茶などせずとも駆除を出来たというのに」


 口論が始まってしまった。純は無駄死にだけはするなと言いつつ、ミドリはその原因を作った純を責め立てる。


「私はパーソナルAIサポートアンチウイルス!マルウェアを駆除するのが私の仕事です!」


「何も出来ない奴がやろうとするな。お前は大人しくしていればいいんだ!!」


 バンッとテーブルを大きく手で叩いて、最大限に怒っていると純は表した。少しはこちらの意見も聞いて欲しいのだが、純のその言葉が大きくミドリを傷付けた。

 それは、AIアンチウイルスとしての存在を否定されたもの。マルウェアを駆除するのが自分の生まれて来た意味、使命なのだ。


 もう、これ以上の言葉は不要と判断した。


 小さい溜め息と共に、拳に力を込めて純を殴り飛ばした。

 急な事に受け身も取れずに尻餅を着き、殴り飛ばしたミドリを見上げる。


「助けて頂いた事には感謝しております。ですが、そのお礼も済ませました。貴方とはもう会う事は無いでしょう」


「そうかよ。なら、さっさと出て行け」


 軽く頭を下げ、ミドリはそのまま家を出て行った。

 残ったのは、気不味い空気と静寂な空間だけ。



 ////////



 これで良かったのだ。そもそも、元バディからの頼み事とはいえ彼に何もかも押し付ける様な真似は、ミドリは少々良い気ではなかった。

 それに、ハッカーとしてなるにしても腕は素人以下。ミドリの安全を最優先にして、目の前のマルウェアから撤退する提案を出すくらいなのだ。ただのデータの塊を最優先に。


 ふと足を止めた。落ち着いて考えれば、何故データの塊である自分をこんなにも気に掛けてくれるのか。それにまだ出会って一日も経っていない。

 全くおかしな話だ。バディでもないのに、その態度に疑問にしか思えない。


「それでも…」


 疑問だらけだが、心配はしてくれているのは事実。

 ミドリは自分の事だけを考えて発言をしていた。対して純は、言い方は置いておいてミドリを必要以上に心配していた。


 俯いて考えていると、一台のバイクがミドリの隣に停車した。ライダーがヘルメットを外すと、まるで見計らった様に純の顔が目に入った。


 何しに来たのか、もしかしてわざわざ殴り返しに来たのだろうか。どう考えるにしても、今は彼の顔をちゃんと見れない。口を固く閉じる事に専念していると、胸元にもう一つのヘルメットを押し付けられた。

 顔を上げると、何とも言えない表情をしながらも純は自分のヘルメットを被る。


 手で後ろに乗れと促す。ミドリは特に拒否する訳もなく、縮こまりながら渡されたヘルメットを被って後ろに跨る。乗った事を確認すると、ゆっくりと発進して走り出す。


 何処に行くかも分からない。颯爽と駆け抜けるバイクの風に当たりながら、純に行き先を任せるのであった。



 ////////


 20分程でバイクは止まった。行き着いた場所は何処かの浜辺近く。バイクから降りる純に、ミドリは慌ててついて行く。こんな所に来てどうするつもりなのか。あんな態度を取った後に、心ときめくシーンになるとは思えない。


 ──嗚呼、そういう事ですか…。


 理解した。此処に来たのは恐らくミドリを捨てる為だろう。

 何というかもう色々疲れた。パートナーは居ない、その亡きパートナーの言葉を信じて頼った彼にはその力は無い。加えて、これから捨てられる所まで印象が最悪となっている。

 一人で生きるにしても行く当ても無い。ただ朽ちていくだけの結末に、これ以上の未来は無い。


 今ある現実を甘んじて受けよう。


 手が此方へ伸びてくる。ミドリの手を優しく取り、ゆっくりと引いて歩かせた。

 海のさざなみが聞こえる。そのまま海の中へ放り込むかと思いきや、純はその場で靴を脱ぎ捨て、腰を低くしてから海水をすくってミドリに浴びせた。


 突然、海水を顔から浴びせられキョトンとなる。思ってた通りの反応で面白く、純は軽く鼻で笑った。

 もう一度掛けてやろと海水を手を入れた時、ミドリがその手を止めて困惑しながらも問い掛ける。


「何故なんですか?私の事を捨てる為に、此処へ連れて来たのではないのですか?」


「お前自分で言ってただろ?似た者同士って。だからって訳じゃないけど、何か焦ってる様にも見えた」


「焦ってなどいない」。そう言い切りたかったが否定は出来ない。何処となく心に余裕が無いのは少なからず知っていた。だから明らかな素人の純に当たる事や、自分で動いて気持に誤魔化していた。


 見透かされている()()気分だ。「様な」ではない、見透かされているのだ。


「それに、そっちの事も考えずに色々言ったし…配慮が無かった。ごめんな」


「違う…違います!」


 否、それは違う。何故、彼が謝まなければならないのか。彼は彼なりに尽くしてくれている。寄り添おうとしていた。なのに、自分からそれを突き放し、あまつさえ手放そうとしたのだ。だと言うのに。


「謝罪するのは私の方です。意地になり、純さんのお話にも耳を傾けようともしませんでした。どうしもなく、救いようのないパーソナルAIサポートアンチウイルスです…」


「いやいや、俺の方こそ存在意義を否定する様な事言った」


「その上、純さんに暴行まで働いて…」


 お互いにお互いが平謝りする形。浜辺で一体何をやっているのやらと思うと、二人は気が緩んだのか微笑む。

 少し前までの喧騒が嘘の様だ。


「戻ろうか」


「えっ、本当に宜しいのですか?私、先程も仰った通り純さんに酷い事を…」


 細々と喋り、段々フェードアウトしていくミドリだが、純はちゃんと全部聞き取りそれを受け止める。


「誰にだって殴りたくなる程怒る時もある。俺だってそうだ。怒ったり泣いたり、嬉しくなる時もあれば笑う事だって。心が、感情があるから」


 和かに笑う彼の姿を見て、ミドリは胸打つものを感じた。それと同時にこれが彼の良い所と知った。

 確かに純は、ミドリから見れば知識は乏しく、それを補えれる腕も無い。その代わり「優しさ」がそこにはある。データの塊である自分を「心が、感情がある」と言った。それは、()として扱ってくれている事を示している。


「──ミドリ帰ろう。俺達の家に」


 差し伸べらる手をミドリは見つめる。まだ少し戸惑いもある。そんなすぐに新しく相手を受けいられない。亡きパートナーとの思い出が、ミドリの頭の中を過ぎる。

 だけど、そのパートナーが彼を頼れと言っている。一度は手放してしまった彼の手を、もう一度取っていいのか。


 そんな不安を抱きつつ恐る恐る手を取ると、純は手を繋ぎながら隣に立ってくれた。胸の高鳴りが止まらない。顔も熱を持っているのが分かる。きっと赤く染まっているに違いない。


 ただ隣に居るだけここまでの高揚感。不安心はいつの間にか消え、安心がある。

 これ以上の言葉は不要。知ったから、知ってしまったから。彼の、純の優しさに触れたから。


 ──私って単純ですね、この様な言葉と優しさで落ちてしまうなんて。でも、それ程彼には魅力があるということ。それに気付いてしまった私は、もう…。


 隣で共に歩く彼の為に今一度誓おう。元バディに言われたからではない。これは、自分の心でそう決めた。彼の為だけのパーソナルAIサポートアンチウイルスとして、バディとして、絶対の存在として彼と共に歩く事を誓う。


 例え殴られようが、蹴られようが、罵倒されようが、貶されようがこの人について行く。何されたって構わない。我儘で身勝手でも必要としてくれた。隣に居て良いと言った彼の為なら、奴隷だろうと何だってなる。突き放されようと、それでもついて行く事を止めないし、寧ろ肯定して全てを捧げられる。


 ──彼の事が好きになってしまったから。


 ──私は純さんと、純様(・・)と出会う為に生まれて来たのですね。


 握られる手を強く握り返して寄り添い、自分の匂いを付ける様にマーキングする。彼女はもう、純の事しか考えられない。


 だからこれからも、純だけの事を考えて生きていく。彼の側に居る事が、彼に対しての最大の恩返しもあるのだから。

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