第1話 お仕事開始です
『今回の敵はワーム。知ってるだろうけど増殖能力が高いマルウェアだ。気を付けろミドリ』
「はい、純様」
青く広々とした電脳世界。言い換えるならインターネットの世界。見た目は現実の世界とはあまり変わりない街の真ん中で一人、薄緑の長髪で、黒いドレスを身に纏って大鎌を振り回す女性が戦っていた。
数十体も襲い掛かるミミズの様な敵を相手に、引けも取らず、まるで踊ってるかの様に華麗な姿で切り刻んでいく。
しかしながら自己増殖をする敵に、いつまで経っても倒し切れずにいる。その様子に男性、純の声が空間内に響き渡る。
『手を貸そうか?』
ミドリは一旦攻撃を止めて、建物の上に移動して頬を膨らませる。
「心配ないです。私、強いですので」
『いや、手こずってる様にも見えるんだが?』
「平気です。純様のお手を煩わせる程でもありません。純様はゆっくりと甘い物でも」
それだけ呟くとミドリは建物から降り立ち、また大鎌を振り回す。ワームと呼ばれる敵の体に乗っては刃先を突き刺して頭の上まで駆け上る。力が尽きたワームは0と1の羅列が切られた箇所から漏れ出して消滅した。
地面からワームが現れ、ミドリは体勢を崩して空中に放り出される。苦い表情をするも、大鎌を振り回して緑の斬撃を放ってワームを両断する。
ワームの数は減るどころか増える一方。しかし、その増え方に少々疑問を覚える。
『ミドリ、ワームが一ヶ所に集まり始めてる。数が今まで以上に増えてる』
「問題無いです。全て薙ぎ払います!」
大鎌の刃が緑に光ると同時に乱数が集中され、鎌の大きさも変わる。そのまま自分を軸に一回転して、残存する敵を全て消滅させた。
『本当に無茶をする』
「この程度のワームなら造作もありません。私、強いですので」
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「純様純様、甘いオレンジジュースです。どうぞ召し上がって下さい」
「ありがとう」
緑谷純は、今年で丁度20歳の歳を迎えた大人の男性。
適当な無地のシャツに、その上にオーバーサイズのメンズシャツを着用。少し、ゆったり目のあるズボンも着ており、全体的に動きやすやを重視している服装。
彼はその歳で、バディハッカーとして個人経営をしており、電話を受ければウイルスの除去やアンチウイルスソフトウェアの提供などしている。
バディハッカーは簡潔に言うと、ホワイトハッカーの仲間であり同様の存在。外部の攻撃からネットワークやシステムを守るエンジニア。
一方でミドリという女性は純の相棒的な存在。
彼女は、パーソナルAIサポートアンチウイルス──略して、『AIアンチウイルス』と呼ばれるアンチウイルスソフトウェアの種。電脳世界で住むのが一番良いのだが、実体化出来る事もあり、純の身の回りのお世話をして共に一つ屋根の下で生活をしている。
AIアンチウイルスとは、従来のアンチウイルスソフトウェアの役割りに加え、今まで無かった単独での存在などを可能とした全く新しいアンチウイルスソフトウェア。
そんな2人の拠点は、住宅街にひっそりとある借家で過ごしている。
「生活も安定して来ましたね…って何をなさっているのですか?」
「支出と収入が帳簿と合わない…」
青ざめた表情でプルプルと帳簿を手に渡す純。ミドリは特に動揺する様子もなく、領収書など全てひっくり返して素早く計算する。
「出来ましたよ。純様、まだバディハッカーになって間もないのです。お仕事、家事全般、おはようからおやすみまで全部私にお任せて下さい」
「それは俺の人としての威厳が…それに社会人なんだから、そんなミドリばかりに押し付けられない。自分だって嫌だろ?」
「はて?私は純様の事を愛しております。それ以外の事は私の中には存在しません」
このやり取りは純からすればかなり慣れたものだ。しかし、ミドリが好意的に純の事を思ってくれるのは嬉しい反面、駄目にされてしまう恐れもある。
純からしたら、それだけはなんとしても避けたい。
「いいかミドリ、この世は愛だけで何とかなる事は決して無い。お金、仕事、家事、結婚ともなるとストレスも溜まりに溜まって爆発し、それが離婚へと繋がる」
「私はそれら全てを完璧に出来ております」
「お〜おめ!じゃなくて…いや、確かにミドリは全部完璧にこなしているよ。これ以上無いってくらいにね」
「純様純様〜!」
「頼むから話を聞いてくれ!!」
純の話など一切聞いておらず、膝の上にわざわざ座り込み、香しくも綺麗な髪が鼻をくすぐらせる。純にもたれ掛かり、更には頭を擦り付ける始末。まるで動物のマーキング。
純もこの仕草だけで、ミドリが何を求めてるかすぐに分かる。というより分かってしまう
「怖い怖い怖い。いつもそれじゃん!言葉と行動のセットで気持ちを確かめないと、何度でも聞いてくるやつじゃん!」
「私のデータは、もう純様で侵されております」
「よくもまあそんな恥ずかしい事を……あ、電話!」
このやり取りに終止符を打つ着信音が鳴り響く。純が力強くで立ち上がると、その拍子で正面のテーブルに顔から転げ落ちて顔いっぱいに激突する。
頬を膨らませて可愛くもある不機嫌な様子のミドリを隣に、仕事用のスマートフォンを手に取る。
「もしもし、ミドリセキリュティの緑谷 純です」
流石のミドリも仕事の話となると、これ以上のおふざけも無くなる。電話が終わるまでのちょっとした時間は、純が飲み終えたコップを下げて洗い物を済ませる。
「はい、はい。分かりました。今出来る事と言えば、パソコンをオフラインにして待機して下さい。これからそちらに向かいます。はい、では失礼します」
電話が終わり、ミドリの方へ向き直るとすぐにでも出掛けられる様にリュックも背負って準備が整えられていた。
「参りましょうか」
「切り替えが早くて毎度助かるよ」
2人はヘルメットを被り、家の外にあるフルカウルバイクに跨って目的地まで走り出すのであった。
至らぬ点が多々見受けられると思いますが、温かな目で見守って下さると幸いです。