転生・憑依の理論を考えてみた
そもそも魂なんて存在しない!とお考えの方はブラウザバックを推奨します。
・夢は魂が見ている
夢においては、一人称と三人称視点が存在します。
夢の中で一人称視点は、夢の世界の登場人物として言葉を話し考え本物の経験を重ねているかのように錯覚させます。
三人称視点では、誰かが話しているのを後ろから或いは上から俯瞰するように観察しています。
経験も経験を供わない観察においても、どちらも夢が見せる世界で現実との接点は薄く、夢から覚めると体を思い通りに動かせて安心します。
夢を経験している自分と観察する自分、その世界を作り出す自分は、その全てが魂です。
夢が見せる想像の世界を作り出す側に、魂の声は広がっています。
それを阿弥陀如来と私は認識しています。
魂だけでは体は動かせません。
金縛りにおいて身体が動かないのは、魂と体との繋がりが強制終了されています。
魂、夢の経験が直接身体にフィードバックされるなら、夢の中で死ねば身体も死ぬでしょう。
・魂と身体の関係
赤子が体の繋がりを知っていくように、加齢や事故で思うように体が動かせないのは魂と身体の結びつきが離れているからです。
身体に魂が宿って心が誕生します。
心の成長に伴って、身体或いは脳が形作られ、思考を深めて魂(私自身)を捉えられるようになります。
魂が何故生まれたのかという疑問は、菩薩様が幾百億年の時間をかけて悩み続けているので、お任せしましょう。
・憑依転生について
成長した身体が死んで魂が無くなり、別の魂がその身体に入る事です。
突っ込みどころが満載ですが、身体から離れて間もない魂ならば、もう一度身体に宿ることで生命活動を再開します。
別の体に魂が宿る場合、水木しげるの死神や異世界転生における転生神という第三者がいます。
第三者であるなら、その存在は生命体であり異世界転生はアブダクションと同じ事です。
しかし第三者が出来るなら、あらゆる創造者である夢、魂も自力で転生することが可能だと考えます。
時間軸、空間軸、可能性などの世界軸を、魂は軽々と跳躍して世界は無限に広がっています。
魂の本質を知り操れるなら、転生も憑依も自由自在です。
現代でも式神使いは魂を使役して空間を自在に飛んでいます。
知り合いが式神を飛ばしているのをみると、魂を使う術を私達が編み出しているのは間違いありません。
・元の身体の持ち主はどうなるか
赤子の体に魂が宿り、成長を通して体と魂に心が形作られます。
憑依先の身体に魂が無い場合、残されるのは身体と心です。
元の身体の持ち主は、生命活動と脳による思考とは別に、未知の記憶として魂の声を聴き続けることになります。
身体と心だけでは、これまで反復してきたことを実行するだけの機械人間になります。
身体と魂の結びつきを作り本当の意味で心を作るには、常人以上に心技体の修行が必要となります。
・憑依した魂はどうなるか
憑依した魂は、自分の意志とは別に動く身体にRPGを連想します。
あるいは夢における第三者の視点として、ただ漠然と眺めるしかない。
ただ夢と違うのは、魂が身体に宿っているから思考を行い衝動的に体を動かせるものの、学ぶことは無いので憑依する以前行っていた思考しか出来ません。
魂と身体の結びつきの無さは理不尽さを掻き立てて、他者を攻撃するだけの魔物のような存在になります。
身体と魂の結びつきを得るには、子供のように感情を爆発させて身体の実感を再び得る必要があります。
・異世界転生はあり得ない?
魂は夢の創造そのものであるので、身体と離れている魂のみの転生者ならば、夢を見るように「ステータスウィンドウ」や「鑑定」を妄想と言う形で認識することが可能です。
しかし、その情報量は魂が知っている事だけ、という条件が付いてきますが、転生神が後ろでバックアップしているとすればその情報はアカシックレコードへ繋がり、万物を創造するように全てを認識することも可能です。
可能性という軸を超越した存在なら異世界転生のようなことも出来ます。
抜けたばかりの魂を掬い取り、どんな世界に連れて行くのかは神の意のままです。
異世界転生という言葉が産まれるのは、現実としてそれが出来そうだという実感が伴っているからです。
その世界が高度なシュミレーションにおける仮想空間だったとしても不思議はありません。
それを現実だと錯覚させることが出来れば、異世界転生も可能です。
・つまるところ
転生はあるらしいぞ、と言うのが結論です。
それは魂の力を扱える存在なら誰でも可能となるものです。
本来の輪廻転生は、私達が死んで仏となった時にもう一度魂を生まれ変わらせることを言います。
つまり、どんな世界に生きたいのか、私たち自身で決めることが出来ると言う事です。
夢の中であらゆる世界を旅していることがそれを裏付けさせます。
しかし、夢でいろいろな世界を体験しようとも所詮は夢の世界。
現実世界のように精巧に作り上げる事は出来ません。
この現実がアカシックレコードを知った何者かの夢であるのかもしれません。
しかし、この現実で経験される事が私を成長させ心を育てます。
それこそが私には、人生の目的だと思えます。
異世界転生・憑依とは何か?何故それが可能になるのか突き詰める事は決して難しい事ではないと思われます。
そのことを考えて作品を書くことで重みが一段と増します。
仮想の世界に色が着き匂いが産まれるのではないでしょうか。
記憶を持ちこして異世界転生するのは、仏に成れなかったのと同義で不幸なことです。
そう言えばギリシア神話に、神の罰で永遠死ぬことの無くなった者がいました。古代の人々も記憶を持ち続け、生き続けるのは天罰、自然から離れることだと恐れたのでしょう。