第7話
翌日。いつものように森へ入って藪に隠れたキノコを狩っていると、赤い目が俺を見つめていた。相手は魔物では無く、白いウサギだが。
咄嗟に短剣を抜くものの、その動きでウサギは俺を跳び越え藪に消えた。ウサギすら捕まえられないのでは冒険者を名乗る資格は無く、食堂でも陰で笑われているのは理解出来る。
「……巣穴か」
藪を進むと丘とも言えない傾斜に穴が空いていて、その先にも幾つか穴が見える。出入り口が複数あるというのは聞いた事があり、あのウサギかその仲間がここにいる可能性はある。
枯れ枝や土で目に付く穴を埋め、その内の1つに野営用の火打ち石で火を付ける。すぐに離れた場所で煙が幾つか上がり、そこも慌ててふさいでいく。
後は唯一残してある穴の前で待機するだけだ。
しかし待てど暮らせどウサギは出てこず、モグラの穴かとも思ったとの時。
「わっ」
突然飛び出てきた塊に慌てて飛び退き、転び様顔を腕で覆う。
微かに聞こえる鳴き声と、濡れた感触。
何かと思うと、足下に血まみれのウサギが転がっていた。顔を覆った拍子に、タイミング良く短剣が当たったらしい。
これは狩りでは無くただの偶然で、2度も3度もある事では無いだろう。また転び方が悪かったのか、体のあちこちが妙に痛む。
今までもウサギや他の獣を見た事はあるが、それを狩ろうとしたのは初めの頃だけ。自分には才能がないとすぐに悟り、以降は見かけても完全に無視していた。
それが怪我を負ってまでウサギを狩ろうとしたのは、どういう心境の変化だろうか。
怪我の程度は軽いがそれ以上キノコを狩るゆとりもなく、早めに森を出て食堂を訪ねる。
「これ、良かったら」
カウンターにキノコを置き、見よう見真似で締めたウサギも例の鞄から取り出す。
店主は俺とウサギを交互に見比べ、結局いつものように無言で席に着くよう促した。
俺も定位置に収まり、少し傷む腕を押さえる。怪我をしては元も子もなく、明日からは自重しよう。
「これ、良かったら」
猫耳のウェイトレスが、少しおかしそうに濡れたタオルを渡してくれた。温かいそれで顔を拭くと痛みが走り、顔にも傷が付いていたのだと今更気付く。
「ありがとう。シチューとパン、それと果物のジュースをお願い」
「祝杯じゃないんっすか?」
「怪我をしてるから、飲まない方が良いと思って。それにウサギだしね」
「だけどウサギっすよ。これは僕が調理するから期待してて下さいっす」
猫耳のウェイトレスは俺が戻そうとしたタオルを「サービスっす」と言って、テーブルに置いていった。彼女の私物かなと思いつつ、少し痛む頬を撫でる。
ざわつく胸の感覚と共に。
彼女が運んできたのはいつものシチューとパン。そしてベリーっぽいジュースに、ウサギの香草焼き。どうやら、シチューにも入っているようだ。
「例の幽霊、大した事は無かったな」
「あなたは何もしなかったでしょ」
「後から出てきた悪魔の群れは、俺が倒しただろ」
勇者達のテーブルから聞こえる威勢のいい話。ウサギ相手に死闘を繰り広げていた俺とは雲泥の差で、周りの人間も彼を褒めそやすというものだ。
これであの幽霊屋敷は晴れて本当に空き家となり、ただごつい戦士が危惧した通り借り手は付きづらいはず。大抵の人間は、元幽霊屋敷に住みたいとは思わないだろう。
「親父さん、ここは繁盛してるんだろ。2号店を出そうと思わないのか」
「そうだそうだ。幽霊屋敷なら、安く貸してくれるかも知れないぞ」
無責任に盛り上がる酔客。ただ店主もまんざらでは無いようで、奥さんらしい人と話し込んでいる。
「日本食を出す店があれば、俺は嬉しいけどな」
「誰が作るのよ」
「ただ、また食べてはみたい」
しんみりとした会話をする勇者一行。この店には元日本人も多いのか、半分くらいは、彼等と同じ反応を示す。
「……君、この間の調味料まだある?」
「少しなら」
「あれって、また作れる?」
「勇者様が手伝ってくれるなら」
彼等のテーブルに酒を運んでいた猫耳のウェイトレスがそう答えると、勇者は彼女の手を両手で握り顔を近付けた。
「是非ともお願いしたい。俺のために」
「はぁ」
「そういう言い方止めて。親父さん、彼女に2号店を任せる事って出来るの」
魔法使いの女性が声を掛けると、店主は奥さんと顔を見合わせ頷いた。
少しの間があり、勇者が雄叫びを上げ、それが周りの客に広がっていく。
猫耳のウェイトレスは何が起こったのか分からないという顔で、ただそれが自分にとっての起点。いや、大きな転換点になるのだと少しずつ気付きつつあるようだ。
結局猫耳のウェイトレスも勇者達のテーブルに付き、その大盛り上がりの中で楽しげに笑っている。テーブルには料理と酒、そして契約関係の書類が並ぶ。
宴とも呼べそうな雰囲気の中、そこから切り離されているのはただ1人。このシナリオを書いた俺だけだ。
夢へと導く者と叶える者。その夢はささやかで、ただ真摯な思いであればこそ見る者の胸を打つ。
そして夢が叶った者は、叶えてくれた相手を強く思う事だろう。