第十三話 駿府墜つ
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なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
遠江を発って浅間大社を経由して七日後、駿河侵攻軍に合流した。武田晴信の一年早い行動理由も分かったし、その原因も潰した。陸奥守には悪いが、太郎の射線上に次郎もいたのだ。仕方ない。
その後の武田はどう動くかを探ってもらうため、大峰衆と風間と疲れ切っていた隠形鬼に残ってもらった。帰りに加藤も言っていたが、移動時の隠形の為の幻術は要らなかったかもしれない。あんなに疲れるんだね。申し訳ない事をしたよ。
さて、駿河を西から落としながら、進軍している。海から半里の距離にある城には海軍から大砲が飛んでいる。すごい音がしているはずだが、今川義元はこちらに引き返してこない。まだ、防諜はしているが、何かしら気づくと思うのだ。あんなに音がしていれば。ここまで来るとご都合主義的な力が働いているとしか思えないな。
駿河で臣従したのは、国人衆では、先に述べた富士能登守を除くと、青島五郎兵衛尉長忠、秋山三郎兵衛尉光俊、甘利太郎右衛門之忠、池谷三郎右衛門尉満重、原遠江守頼景。家臣衆からは朝倉次郎左衛門景高、安東左馬允家定、一宮出羽守宗是、一宮彦三郎輝宗、井出惣左衛門盛重、井出神左衛門尉堯盛、井出善三郎堯正、岩本次郎右衛門信長、江尻民部少輔親氏、大野見掃部助親直、岡部忠兵衛尉貞綱、岡部与惣兵衛貞綱、荻図書助小次郎清誉、荻伊予守政元、興津豊後守興忠、興津彦九郎盛綱、加々爪備前守政豊、各和肥後守氏勝、各和又三郎元樹、神尾織部佑元直、佐竹雅楽助高定、伊達藤三郎吉宗、中川吉右衛門通秀、長谷川次郎右衛門長久、広戸備前守重久、向助兵衛尉正重、山内右馬允通輔、弓気田七郎次郎昌利が内応した。
また、河東に出兵した諸将の中にも内応者はおり、浅井小四郎政敏、関口刑部少輔親永、瀬名伊予守氏俊、大村彦五郎家成、興津又四郎輝清、関口刑部大夫氏緣、長谷川伊賀守元長が内応している。
なお、岡部貞綱が二人並んでいるが、別々の人物だ。岡部忠兵衛尉は武田水軍となった土屋貞綱の事で、岡部与惣兵衛は徳川水軍となった旗本岡部氏の祖である。二人とも今川譜代の岡部一族ではあるが、水軍衆は忍び衆と同じで下に見られていた時代だ。岡部氏でありながら、随分と辛酸を嘗めていたようだ。
水軍と言えば、向助兵衛尉も水軍だ。こちらは後世の史料には向井正重となっているが、向井姓にしたのは息子の正綱の頃であり、父親の頃は向姓である。読み方は同じなので、より読みやすくしたのかもしれない。ちなみに向助兵衛尉の父親は西尾水軍副将向忠太郎忠綱である。そういう伝もあって真っ先に内応した。先に述べた両岡部は向助兵衛尉の仲介によるものだ。
そうこうしているうちに、駿府館に着いた。はっきり言って、駿府館は後世の駿府城とは雲泥の差がある。天守閣も無ければ堀も無い。ただの平城だ。当然、すぐに落ちた。すぐに落ちたが、今川氏の居城である事には変わらない。これでもう、今川氏は帰るところがなくなった。
あとは、ゆるりと河東へ進むだけだ。ゆっくり進んでいるうちに、甲斐から躑躅ヶ崎館を落としたとの報せが入った。その報せは、浅間大社で右往左往した武田軍にも行ったようで、飯富兵部少輔が軍をまとめ上げて引き上げて行った。
さぁ、いよいよ決着の時が迫っている。




