第十一話 鈍過たる大将
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なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
さて、中御門侍従と翠光院と龍王丸が並んで座っている前を通って、上座に向かう。本来なら、一番官位の高い侍従が上座のようだが、私に交渉に来ている立場、または交渉の場を作り出す為の付き添いで来ているので、上座ではない。
恐らく、女宰相・尼御台と呼ばれた翠光院殿が交渉にあたるのだろうが、それよりも気になる事がある。まだ睨まれるなら分かるが龍王丸から憧憬と思われる眼差しを浴びている事と、中御門侍従が直射日光を避けるように眩しそうに目を細めている事だ。
中御門侍従には星見の能力があると聞いているので、何かが見える人だと仮定すると加護が輝いて見えているのかもしれないと予想がつくが、龍王丸が分からない。今川義元は翠光院の子ではないので、龍王丸は中御門家の血が入っていないのだ。まぁ、それはあとだ。翠光院殿は今川家を支えてきた大政治家。こちらに優位な交渉にするにはかなり厳しい部類に入る人物だ。
翠光院寿桂は、晩年病床にあった夫の今川氏親を補佐しており、氏親の花押のある文書が見られなくなるのが大永三年である事から大永六年四月に制定された今川氏の分国法である『今川仮名目録』は翠光院とその側近が中心となって作成し、氏親の名前で配布したのではないかとされている。しかし、仮名交じり文である事から、今川仮名目録の制定に翠光院が関わったとする考えには『相良氏法度』『塵芥集』『結城氏新法度』など多くの分国法も仮名交じり文であるから一概には言えないとする説もある。一方、氏親の病状が深刻になったのは、大永六年五月であるとして、死期を悟った氏親が傍らにいたであろう翠光院の協力を得て作成したのではないかと推測されるという研究もある。
他にも翠光院を大政治家と称えるのには、理由がある。先程述べたように氏親の政治を補佐していたが、何も晩年だけが病床にあったわけではないようだ。とある研究では十数年とされている。分かっているだけで、翠光院の印判(父中御門権大納言が今川氏に嫁ぐ娘に与えたとされる「歸」の印判)で発給された公文書が十二通が確認されている。また大永六年六月、氏親が病死して今川氏輝が家督を継いだとき、氏輝はまだ十四歳という若年であり、氏輝の代にも先の印判を用いて公文書を十三通を出している。また、翠光院は甲斐の大名武田晴信とその正室で三条家の出自である三条の方の縁談を斡旋したという説もある。このように政治も外交もこなせる大政治家なのだ。そして、戦時中の敵本陣に乗り込める胆力もある。侮れる人物ではない。
「よう参られた。お三方。」
「場を整えていただき、誠にありがとうございました。まさか、左馬助殿がおられようとは思いもしませなんだが。」
「ははは、翠光院殿を驚かせられたとは嬉しい事ですな。」
「あ、あの!」
「こ、これ龍王丸殿。」
「いや、良い良い。どうされた龍王丸殿。」
「三河守様!どうか弟子にしてください。」
「「え?!」」
前哨戦に入る前の軽い皮肉合戦を吹っ飛ばす内容だ。弟子入り出来れば間違いなく、今川家は存続する。それが大名という形ではなくても。そう考えたのであれば、たいした器である。
今川氏真は十九世紀前半に編集された『徳川実紀』にあるように、今川家の凋落について、桶狭間の合戦後に氏真が「父の讐とて信長にうらみを報ずべきてだてもなさず」、三河の国人たちが「氏真の柔弱をうとみ今川家を去りて徳川家に帰順」したと描写されている。こうした文弱な暗君のイメージがある。しかし、一方では江戸時代初期に成立した『甲陽軍鑑』では、武田氏滅亡後に氏真が大名として取り立てられる可能性が囁かれ、家康に仕えていた今川氏の旧臣の中には今川氏に復帰できるのではないか、と期待する動きがあったことが描かれており、氏真が家臣達から本当に暗愚で家を保てない人物と見られているのであれば、そのような動きは起こらないのではないか、とする研究もある。
---弟子とは言わず、側近とし
---元服の時に諱でも与えれば
---今川家を下に置けるか
---翠光院殿には悪いがそうしよう
「弟子には出来ぬが、三河流の鍛錬を修め、側近として活躍の場を与えよう。」
「はい!」
「はぁ。龍王丸殿に全てを持っていかれましたが、今川家存続は間違いござりませぬ。ありがとうございまする。」
確かに、全てを持っていかれた。流石は鈍過たる大将よ。
タイトルの「鈍過ぎたる大将」は『甲陽軍艦』原文のままですが、解釈は研究者によって違います。弱過ぎるという意味、あえて鈍いように振る舞っていたという意味、おバカな人という意味など、本当にたくさん有りましたが、本書では、こう書きました。
本書の中では、今後、酒井忠次・本多忠真に続く、いじられキャラになる予定です。
本文で諱を使ってますが
(修正前は片諱でした)
上の者から諱を与える場合は片諱で
下の者が賜る場合は偏諱だったようですね。
一般的には「偏諱を賜る」という史料が多いですからね。




