第十話 意外な訪問者
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また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)
なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
南信濃が落ち、遠江整備も粗方終わったところで、甲斐侵攻と駿河侵攻が始まる。南信濃では、小笠原が半数死に、臣従。高遠は滅んだ。信濃の武田方で生き残ったのは、内応していた武将以外にいないと言う。だいぶ早いが板垣駿河守は死んだようだ。まぁ、元々その予定だったから問題ない。
武田晴信は北条の側面を突こうと富士川に沿って侵攻していたようだが、こちらに内応している浅間社大宮司の富士能登守信盛が連日連夜歓待して酒を浴びるように飲んでいるとか。勿論、酒やつまみになりそうなものは三河からの大量の物資である。ひと月近く滞在しているということなので、何をしに来たのかという話だが、甲斐の食糧事情が余程ひどい状態なのだろう。
しかし、それにしても気になるのは、武田晴信の行動だ。陸奥守信虎の追放にしても北条の側面を突く行動にしても一年早い。たまたまなのか、それとも今川か武田に転生者がいるのか。非常に気になるところだ。いや、最後の一人は天文十一年生まれのはず、坊丸の一年前に産まれた人物か。のちの丹羽長秀は違った。ほかに後々織田家に影響を与えそうな人物は尾張周辺国に、いるにはいるが、今川・武田に影響力はない。
---帰蝶殿が、それだという可能性か
---今考えても、どうにもならん
---どうせ後日、会うことになる
---その時、鑑てみるか
何やら城内が騒がしい。傅役で本陣抜刀隊隊長の塚原土佐守が執務室に近づいてくる。
「若。」
「土佐守、どうした?」
「中御門侍従が、女子どもを連れて、この地に参られました。」
「は?」
「現在、司笆左馬助が対応しております。」
「中御門か。女子どもの数は?」
「老婆が一人、妻と思しき女性が一人、男の子二人、女子三人ですな。」
「まじかぁ。侍従は、神龍大明神の孫よな?何らかの能力があると考えた方が良いか?」
「伝え聞いた話では、幼少より星見が得意とか。」
「左馬助は対応して分かっておると思うが、翠光院殿と侍従殿に最上の歓待を。左馬助にそちらに伺うと伝えよ。」
「翠光院ですと?!」
「どんなに防諜を施しても、その手の能力を防ぐ手立てはないわ。望みにもよるが、龍王丸まで連れているとなると、今川家は存続せざるを得ん。」
中御門侍従。天文十三年現在は、従四位下侍従の官位にいる。彼の祖父は古来より日ノ本の卜占を一手に担ってきた卜部氏の末裔で、吉田神道を興した吉田非参議である。この吉田兼具の記した『唯一神道名法要集』によれば、神道は本迹縁起神道、または社例伝記神道、両部習合神道、元本宗源神道の三種に分けられ、このうち第三の元本宗源神道は吉田家の祖先神である天児屋命によって伝えられた正統的神道であるとしている。
天児屋命と言えば、別名春日権現。春日社は四柱の神を祀っており、そのうち二柱は坊丸に加護を与えている。その繋がりで中御門侍従が来たとしか考えられない。
中御門侍従が駿河にいた理由は、叔母の寿桂尼の勧めで今川氏親の娘を娶っていた。その為、京都と駿河を往復する生活をしており、通算して二十年以上に亘って駿河に滞在する人物だからだ。
城の曲輪の一つ治部方付近に建てられた武家屋敷の一つに来ている。こちらは治部方家老司笆氏一族の屋敷が固まっている。屋敷に入ると、司笆左兵衛佐の妻石橋殿が迎えてくれた。左兵衛佐は三軍の軍監として従軍しているので、遠江にはいない。その為、この屋敷の実質の主人は石橋殿なのだ。
「侍従と翠光院は中か。」
「はい。あとは、龍王丸殿が一緒におりまする。他のお子は疲れたのか別室で休んでおります。」
「相分かった。」
やはりか。今後の方針を脳内整理しつつ、応接の為の部屋へ向かう。義元は五体満足とは行かずとも生かさねばならない。責任の所在をどこに持っていくのが落とし所として問題ないか。翠光院が侍従を伴っていることから、翠光院には出来ない。ならば、九英承菊にするしかあるまい。超有能なのだが、死んでもらうしかない。いつどこで殺すかだが、戦後ではダメだ。決戦時に突っ込んで来てもらうしかないな。朝比奈備中守の時の二の舞は出来ない。あとは、龍王丸が伴われた意味だが、人質と考えるのが妥当だな。そして、義元を隠居させて当主に据え、今川家を存続させる為の駒だろうなぁ。あー!考える事が多過ぎだ!




